ブックマーク / honz.jp (8)

  • 2011-2024 この13年間における最高の一冊 - HONZ

    2011年7月15日にオープンしたノンフィクション書評サイトHONZ。日2024年7月15日をもちまして13年間のサイト運営に終止符を打つこととなりました。 2011年の東日大震災から、記憶に新しいコロナ禍まで。はたまたFacebookの時代からChatGPTの到来まで。その間に紹介してきた記事の総数は6105。 発売3ヶ月以内の新刊ノンフィクションという条件のもと、数々のおすすめを紹介する中で、様々な出会いに恵まれました。信じられないような登場人物たち、それを軽やかなエンターテイメントのように伝える著者の方たち、その裏側で悪戦苦闘を繰り広げていたであろう版元や翻訳者の皆さま。さらに読者へ届ける取次会社や書店員の皆さま、そしてHONZを愛してくださったすべての皆さま、当にありがとうございました。 サイトを閉じることになった理由に、明快なものは特にありません。こんなサイトがあったら

    2011-2024 この13年間における最高の一冊 - HONZ
    hattake
    hattake 2024/07/15
    町山さんの映画評とHONZのノンフィクション評を参考にしてよく見て、読んでいた。趣味を共有できる友達もいなかったが楽しかった
  • ギネスに届け!爆笑『明石家さんまヒストリー1、1955~1981 「明石家さんま」の誕生 』 - HONZ

    かつて『ヤングおー!おー!』というテレビ番組があった。大阪の毎日放送が1969年から10年あまりにわたって制作した公開バラエティーで、視聴率が30%を越えたこともある驚異的な番組だった。日曜夕方6時からの1時間番組で、最盛期には、大阪の中高生は全員が見ていたのではないかと思えるほどの人気だった。 スタート時は笑福亭仁鶴と桂三枝(現在の文枝)が司会を務め、「嘆きのボイン」で一世を風靡した今は亡き月亭可朝、やすし・きよしらが出演し、いきなり大人気番組に。スポンサーは日清品で、1971年に発売となったカップヌードルのCM、銀座の歩行者天国で歩きながらべるCMがとんでもなくカッコよく見えた。 番組改編で1972年に司会は桂三枝のにみなる。そのころから三枝の卓抜なアイデアが色濃く出るようになり、番組は吉興業の若手芸人の登竜門になっていく。その中で組まれたのが、桂文珍、月亭八方、桂きん枝(現在の

    ギネスに届け!爆笑『明石家さんまヒストリー1、1955~1981 「明石家さんま」の誕生 』 - HONZ
    hattake
    hattake 2021/01/28
  • 『一発屋芸人列伝』大きく勝って、大きく負けた山田ルイ53世が、負けの中に見出した勝機 - HONZ

    その日、電車に揺られながら、ぼくは迷っていた。これから会う相手にどんなスタンスで話を訊けばいいのか悩んでいたのだ。待ち合わせ場所は新宿小田急百貨店。この中にある書店で、山田ルイ53世の『一発屋芸人列伝』の発売を記念したトークショーが予定されていた。 『新潮45』連載時に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞した書は、発売前から重版がかかるほど評判が高く、すでにいくつかの著者インタビューも世に出ていた。その中には現代ビジネスに掲載された石戸諭さんによる素晴らしいインタビュー記事などもあって、いまさら屋上屋を架しても……という思いがあった。 さらに個人的な事情もあった。実は山田ルイ53世は、ぼくが勤めるラジオ局で番組を持っている。ただしそれは地上波ではない。ポッドキャストでの配信番組である。 正確に言えば、かつては地上波でワイド番組を持っていたものの、打ち切りの憂き目にあい、いまはポッド

    『一発屋芸人列伝』大きく勝って、大きく負けた山田ルイ53世が、負けの中に見出した勝機 - HONZ
    hattake
    hattake 2018/06/11
  • 『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』経済学は人を幸せにしているのか? - HONZ

    書は、故宇沢弘文先生の研究生活の後半40年にわたる代表的な論文をひとつの形にまとめたものである。宇沢先生のノートパソコンに入っていた2千以上もの論稿を、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授、京都大学の松下和夫名誉教授、国連大学の竹和彦所長、帝京大学の小島寛之教授など、多くの関係者の協力を得て編集したという。 「知の巨人」宇沢先生の業績と、今日のグローバル社会における意義を正しく理解することは容易ではない。宇沢先生の活動は、数学の研究者から転じて数理経済学で業績を上げ、後に経済学を実社会の幅広い問題解決に適用することに注力し、更にその中心に「人間」を置いたことで、思想的・哲学的な大きな広がりを持っている。書の目次を見ても、「自動車」「環境」「医療」「教育」「農村」など、その研究対象は極めて広範囲に及んでいる。 宇沢経済学の根底にある人間尊重 「日人で最もノーベル経済学賞に近い

    『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』経済学は人を幸せにしているのか? - HONZ
    hattake
    hattake 2016/12/08
  • 『極限の科学』 - HONZ

    ブルーバックスの全盛期を彷彿とさせる1冊だ。中学生あたりからブルーバックスを買いはじめたのだが、ここ10年ほど買わなくなってしまった。入門書や教科書のようなものばかりになったためである。そこにはなんのロマンもない。 もともとのブルーバックスは、専門家が最先端の科学を手加減なしに紹介するというところがあった。読者は内容が理解できなくても、輝かしい未来の匂いを嗅ぐことができた。もう少し理解したいと理学の道に入った人も多かったのではないだろうか。ブルーバックスはやっと役割を思い出し始めたのかもしれない。 さて、書は温度、圧力、磁場の極限を作る方法と、その極限化での物理について解説しただ。まずは極低音である。液体ヘリウムが作られたのは1908年のことだ。やがて液体ヘリウムの研究が進み同位体を使った新しい冷却法が開発される。それ以降、核断熱消磁、レーザー冷却法などが開発される。光ラモセス、ボース

    『極限の科学』 - HONZ
    hattake
    hattake 2013/10/21
    読んでないけどいい本だ。きっといい本だ。
  • 『犯罪は予測できる』 防犯ブザーは役立たず - HONZ

    書店でタイトルを眺めつつ、犯罪の予測といえば、フィリップ・K・ディックの「少数報告」だよな、などと思いながら手に取ると、まえがき1ページ目でそのことに触れており、一気に著者に対する親近感が増してそのまま購入してしまった。 もちろん、書には予知能力者のプレコグたちを使った犯罪予知法が書かれているわけではない。著者は、日人として初めて英ケンブリッジ大学で犯罪機会論を学び、帰国後は「地域安全マップ」を提唱した人物だ。その文章は明晰で論理的、そのうえリズムがあって心地よく読め、著者の頭の良さがよくわかる。 地域安全マップ作りは、地域の人々が実際に町を歩いて犯罪が起こりそうな場所をマッピングしてゆくことだ。著者が定義する犯罪が起こりやすい場所とは「入りやすく、見えにくい場所」。実にシンプルだが、書を読めば読むほど非常に腑に落ちる定義である。自分の住む町を歩き、「入りやすく、見えにくい場所」を探

    『犯罪は予測できる』 防犯ブザーは役立たず - HONZ
    hattake
    hattake 2013/10/03
    つまりテクノロジーが役に立たないのでなくて、エビデンス、データに基づいたテクノロジーでなかった。ということね。
  • 泥棒稼業も楽じゃない『空き巣なう』 - HONZ

    闇夜を駆け、密かに忍び、大金をせしめて逃げる。 普段、私達は空き巣の稼業など想像もしないだろう。タイトルがあまにりにポップなので侮っていたが、事実は小説よりも奇なり。書は空き巣家業50年余の著者による体験録である。 著者が犯行におよんだ場所は、滋賀、奈良、三重など実際の現場が登場している。パトカーから逃走した国道42号線、ナンバーを控えられた津市など具体的で、犯行に及んだ出来事はリアリティにあふれる。空き巣にとって午前9時から午後4時は最も安全で稼ぎやすい時間帯だ。地方農家など何軒もハシゴしては荒らす様子を伝えているが、同時にこんな簡単に侵入するのかという怖さも感じる。 著者にはポリシーがあった。悪事はするが、家人を傷つけたり殺害するような極悪非道な行為は絶対にしてはならない、と自分を戒めてきたそうだ。刑務所で知り合った人物など、共犯者として様々な空き巣が登場するのだが、皆個性的で、女性

    泥棒稼業も楽じゃない『空き巣なう』 - HONZ
    hattake
    hattake 2013/04/17
    たんぽぽ
  • 『名刀と日本人』刀に込められた思い。 - HONZ

    冷たく光る鋼の地肌の中に、打寄せる白波の如き、あるいは大地を切裂き流れる川の如き刃紋を有する日刀。刀身にはまるで水墨画のような景色を秘めつつ、優美に彎曲した静かな佇まいを現代まで保ち続けている。世界的に見ても、刀身自体に芸術性を見出せる刀剣は日刀だけの特徴であるとされている。多くの人が博物館や美術館などで一度はその美しさにふれ、感嘆の声をもらしたことがあるのではないだろうか。私達の先祖は、どのような思いを内に秘めながら、刀に接していたのか。そんな思いを贈与という視点から眺めてみることが書の趣旨である。 平安時代より天皇家では皇子が生まれると「御剣(みはかし)」を贈るという習慣が存在した。長保元年(999年)11月7日に一条天皇の皇子敦康親王がお生まれになったとき、御剣が贈られたことが『栄花物語』に書かれている。このときの御剣がどのようなものであったのかは、今ではわからない。剣とは直刀

    『名刀と日本人』刀に込められた思い。 - HONZ
    hattake
    hattake 2013/01/10
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