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ギネスに届け!爆笑『明石家さんまヒストリー1、1955~1981 「明石家さんま」の誕生 』 - HONZ
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ギネスに届け!爆笑『明石家さんまヒストリー1、1955~1981 「明石家さんま」の誕生 』 - HONZ
かつて『ヤングおー!おー!』というテレビ番組があった。大阪の毎日放送が1969年から10年あまりにわた... かつて『ヤングおー!おー!』というテレビ番組があった。大阪の毎日放送が1969年から10年あまりにわたって制作した公開バラエティーで、視聴率が30%を越えたこともある驚異的な番組だった。日曜夕方6時からの1時間番組で、最盛期には、大阪の中高生は全員が見ていたのではないかと思えるほどの人気だった。 スタート時は笑福亭仁鶴と桂三枝(現在の文枝)が司会を務め、「嘆きのボイン」で一世を風靡した今は亡き月亭可朝、やすし・きよしらが出演し、いきなり大人気番組に。スポンサーは日清食品で、1971年に発売となったカップヌードルのCM、銀座の歩行者天国で歩きながら食べるCMがとんでもなくカッコよく見えた。 番組改編で1972年に司会は桂三枝のにみなる。そのころから三枝の卓抜なアイデアが色濃く出るようになり、番組は吉本興業の若手芸人の登竜門になっていく。その中で組まれたのが、桂文珍、月亭八方、桂きん枝(現在の