タグ

2014年8月26日のブックマーク (1件)

  • 「ら抜き言葉」は本当に「ら抜き言葉」なのか?

    ら抜き言葉は、いまでは老境にさしかかった「戦争を知らない子供たち、すなわち私たちの世代でも、実は珍しくなかった。 「ら抜き言葉」とは、「ここに車、止めれる?」のように、ある世代以上の人にとって普通だと考えられる表現から見れば、「ら」が抜けているように見える表現のことである。しかし、それを「ら抜き言葉」と呼ぶのが適当かどうかは、かなり疑わしい。単に「ら」を抜くだけなら、「鈴木先生が来られた」「まずいところを見られた」といった表現も「来れた」「見れた」というはずであるが、そんなことは絶対に無い。これは、前者が尊敬、後者が受身の意味だからであり、「ら」が抜けるのは「10分以内に来られる」「この動物園ではパンダが見られる」のような、可能の意味のときだけに限られる。 そう考えるなら、「ら抜き言葉」という現象は、「ら」を抜くことに質があるのではなく、可能の意味をそれまで同じように表現されていた尊敬や

    「ら抜き言葉」は本当に「ら抜き言葉」なのか?
    hayami_s
    hayami_s 2014/08/26
    ここまで丁寧に考察してたわけじゃないけど、"可能の意味をそれまで同じように表現されていた尊敬や受身の意味と区別しようとする"これと同じことを思い敢えてやってる。