最近弱者男性関連の増田やブコメで 「弱者男性の苦しみは実存的なものだし」「女性差別と違って制度的な差別や構造的な差別じゃないし」と言う様なコメントをよく見るのだけど、 それで本当に良いのだろうか?と思う 例えばフェミニズムはこれまで公共の場での女性表象や、コンビニや献血会場の様な公共という訳でも無い(赤十字は厳密には公共団体では無い)場所での女性表象へ抗議して来た訳だけど、 これって制度的、構造的差別なの?だとしたらどういう制度や構造の問題なんだろうか? これまでのフェミニズムの動きから言って、これら制度的でも構造的でもない差別も「差別である」と言えないと困ると思うんだけど、どうだろう? もし制度的でも構造的でもない差別があり得るなら、弱者男性が日々或いは偶に受ける被害についても、同じ理屈で「差別である」と言えるものが有るかも知れない、だから知りたい (それを知る事は、弱者男性が制度的でも
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