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戦争に関するhelplineのブックマーク (17)

  • 2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間 - A Successful Failure

    2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルが崩壊した映像はテレビで繰り返し放送され、人々の記憶に深く刻まれている。この史上最悪のテロによりニューヨークでは2,749人が亡くなっている。 ビルが崩壊するシーンの強烈なインパクトのせいもあって、我々は飛行機の衝突後まもなくビルが崩壊し、中にいた人の大半が犠牲になったと考えがちだが、実際には最初の飛行機が衝突してから崩壊するまで102分間にわたる猶予があり、最初の衝突時にビル内にいた1万4,000人以上の人の多くが自力で、あるいは、献身的な他の人の助けを借りて建物の崩壊以前に避難を終えることができた。 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』は200回以上に上る生存者やその家族・知人へのインタビュー、警察や消防の更新記録、電話の会話の記録等に基づいて、あのとき、あの建物の中で何が起きていたのかを明らかにし

  • 「10年目」を前に、北アイルランド、オマー。

    中途半端な英語使いが英国からのニュースを東京で読み、あちこちふらふらうろうろ。時々嘘。 はてブ = http://b.hatena.ne.jp/nofrills Twitter = http://twitter.com/nofrills Twitterのログ = http://twilog.org/nofrills ◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月) ◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月) ◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください

    「10年目」を前に、北アイルランド、オマー。
    helpline
    helpline 2008/08/15
    アイルランドのテロ事件から十年。一般市民だけが犠牲になった無意味なテロ事件の悲惨さ。
  • 痛いニュース(ノ∀`):ロシアと親欧米国グルジアが戦争に!…グルジアがロシア機を撃墜。プーチン首相は「報復」を宣言

    ロシアと親欧米国グルジアが戦争に!…グルジアがロシア機を撃墜。プーチン首相は「報復」を宣言 1 名前:ぽこたん( ・∀・ )φ ★ 投稿日:2008/08/08(金) 23:40:14 ID:???0 ロシアがグルジア空爆 南オセチア攻撃の報復 全面戦争に拡大も 【モスクワ=遠藤良介】世界各国の首脳が集い北京五輪が開幕した8日、ロシア軍機が旧ソ連、グルジアの首都トビリシ近郊の軍基地を爆撃したほか、戦車からなるロシア軍の地上増援部隊を派遣した。インタファクス通信などが伝えた。数発の爆弾が投下され、基地内には米軍顧問団が駐在していたという。グルジアはこれに先立つ8日未明、同国北部で事実上の独立状態にある親ロシアの分離派地域、南オセチア自治州への大規模攻撃に乗り出し、激しい戦闘で双方に多数の死傷者が出た。同自治州の後ろ盾であるロシアがこれに対し、報復攻撃を敢行したものだ。一方、グルジア 側が、ロ

    痛いニュース(ノ∀`):ロシアと親欧米国グルジアが戦争に!…グルジアがロシア機を撃墜。プーチン首相は「報復」を宣言
    helpline
    helpline 2008/08/08
    「プーチンが倒せない」で予習&復習しておくべし。(http://jp.youtube.com/watch?v=N9FCO9Cfl7Q
  • シモ・ヘイヘ - アンサイクロペディア

    よく・・・わしを起こしてくれた。貴様が現れなかったら、 当に永遠の眠りについていた所だ! 〜 シモ・ヘイヘ について、ジ・エンド シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä, 1905年12月17日 - 2002年4月1日)は、フィンランドの生んだスナイパー。死の妖精、白い死神(又は元祖白い悪魔)、ムーミン谷のゴルゴ13、狙撃王、銃殺王、デスムーミンと言われ恐れられた、人外の妖精スナイパーである。その大きな特徴は、とにっかく、ちっこい。その大きさたるや1hydeにすら満たない。 概要[編集] 雪のように白いギリースーツに身を包み、生涯で500名以上の人間と数え切れぬ数のケワタガモを射殺したシモ・ヘイヘ、1940年の冬戦争ではヘイヘ含む32名のフィンランド軍で4000人のソビエト軍を撃退した。以下がそのヘイヘの逸話である、まさに英雄。 わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連

    シモ・ヘイヘ - アンサイクロペディア
  • シモ・ヘイヘ - Wikipedia

    フィンランド南東部、現在のロシア連邦との国境線から約4キロメートルの小さな町ラウトヤルヴィで生まれ、同地には彼を顕彰するコッラーとシモ・ヘイヘ博物館が建てられている[2]。軍人になる前は猟師兼農民で、キツネ撃ちが得意だった[2]。 1922年頃(17歳前後)のヘイヘ 20歳の頃に民兵組織「フィンランド白衛軍(英語版)」に入隊。射撃の大会にも度々参加し、彼の家にはその腕前によって得た多くのトロフィーが飾られていた[7]。農家での仕事の昼休憩の際、他の男性陣は昼寝をする中、ヘイヘだけは昼寝をせずあらかじめ森の端につけておいた目標をめがけ建物の窓から空砲で狙撃練習を繰り返し行った。全員が起きてくるまで撃ち続けていた[8][出典無効]。 1925年、15ヶ月の兵役義務によりフィンランド陸軍に入隊。新兵訓練期間を第2自転車大隊で、下士官学校を経て兵長となり、残りの任期を第1自転車大隊で過ごす。兵役終

    シモ・ヘイヘ - Wikipedia
  • 死にたい赤軍将兵にお薦め:アルファルファモザイク

    死にたい赤軍将兵にお薦めの「ソ連人民最大の敵(スターリン曰く)」ハンス・ウルリッヒ・ルーデル ・ベルリン突入直前なら大丈夫だろうと虎の子のJS-3を出したらいつもと変わらないルーデルに撃破された ・Ju-87の機影を発見後一分で重戦車が火の付いた燃料を流して撃破されていた ・足元がぐにゃりとしないので沼をさらってみたら戦車の残骸が敷き詰められていた ・停泊中の戦艦が襲撃され、気が付いたら大破着底させられていた ・高度数百ftで爆弾を投下、というか距離100m以内で機銃をぶっ放す ・爆撃機編隊が襲撃され、爆撃機も「護衛の戦闘機も」一部撃墜された ・トラックから塹壕までの10mの間にルーデルに機銃掃射された ・装甲車の車列に合流すれば安全だろうと思ったら、車列の全車両がルーデルによって撃破済みだった ・全赤軍将兵の3/100がルーデル被撃破経験者、しかも急降下爆撃ならどんな兵

    helpline
    helpline 2008/07/19
    すごいよルーデルさん。
  • ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア

    以上の文章も嘘や出鱈目である可能性が高いです。以下の文章だって嘘や出鱈目である可能性が高いんです。 ……と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……ルーデルの逸話は全て事実である。なんてこった! かつてのルーデル[編集] 少年篇[編集] ルーデルが8歳の時のある晩、両親は彼に留守番を押し付けて近所のお祭りに行ってしまった。当然ながら憤慨したルーデルを宥めるため、母親は土産話をはじめた。中でもルーデル少年が物凄いいついて来る話が、パラシュート降下する男のショーだった。あまりにもしつこく聞いてくるので、母親はルーデル少年に落下傘の玩具を作ってくれた。ルーデル少年は、それで毎日のように遊んでいたが、ついには自ら蝙蝠傘を持って二階からダイヴしてしまった!怪我は無かったが、怒られたのは言うまでも無い。 そしてルーデル少年はこれを境に「飛行機の操縦士になろう!」と決意。空を

    ハンス・ウルリッヒ・ルーデル - アンサイクロペディア
    helpline
    helpline 2008/07/19
    アルファルファモザイクのコメントも面白いよ。http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51026033.html
  • アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」とは?

    アンサイクロペディア」といえば、Wikipediaとは違って執筆者がいたって不真面目でも何も言われないためウソ800どころかウソ1万を超えるレベルにまで到達しており、単に事実が知りたいといったレベルを超えたさまざまなひまつぶしに協力してくれるすてきな百科事典になっているわけですが、やはり秀逸な項目があるわけでして。中でもこの「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」の項目はあまりにもすごすぎ、アンサイクロペディアなのに誇張がほとんど無いという一風変わった内容になっています。 いわく、「朝起きて出撃して朝飯って牛乳飲んで出撃して昼飯って牛乳飲んで出撃して夜飯って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、いつのまにか戦車519台を撃破し、世界最強の戦車撃破王になっていた」というのだからすごすぎです。 というわけで、最強の破壊神ルーデル様の活躍を見てみましょう。 まずはこれがWi

    アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」とは?
  • トラウデル・ユンゲ - Wikipedia

    ゲルトラウト・ユンゲ(Gertraud Junge、1920年3月16日 - 2002年2月10日)は、アドルフ・ヒトラーの秘書。1942年12月、ヒトラーの演説原稿や挨拶文の口述筆記を担当する秘書として採用された。この後、総統官邸の地下壕でヒトラーが自決するまで身近に仕えた秘書の一人である。ヒトラーの遺言状(英語版)も彼女がタイプした。名前はトラウデル(Traudl)の愛称で呼ばれる。 ナチス揺籃の地であるミュンヘンに生まれる[1]。父はビール醸造職人、母は将軍の娘であった[1]。妹が一人[2]。旧姓はフンプス(Humps)。右翼活動歴がある父親は彼女の幼時に蒸発してトルコに移住したため、厳格な母方の祖父のもとで育つ[3]。舞踏好きで舞踏家になることを夢見ていたが、経済的理由から実業学校に進み、秘書としての訓練を受ける[4][5]。卒業後は縫製工場などで秘書として働く。第二次世界大戦中の

    トラウデル・ユンゲ - Wikipedia
  • Amazon.co.jp : �A���x���g�E�V���y�[�A

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  • イラク帰還兵の願い - きっこのブログ

  • 凶悪な殺人事件 - 猿゛虎゛日記

    以下は、過去に実際に起こったいくつかの事件の概要です。 (事件1)日曜日の朝、救急隊員は、25歳と31歳の姉妹の遺体をみつけた。彼女たちの両親と2人の兄弟も殺されていた。 (事件2)犯人に2人が撃たれ、放置されて失血死をし、1人の少女が家で撃たれて、救急車が到着せず、死んだ。 (事件3)自宅で撃たれた男性は救急車が到着せず、失血死した。 (事件4)子ども10人を含む56人が死亡。犠牲者の最年少は生後2日の赤ちゃん。負傷者は189人に及ぶ。 (事件5)60歳の母親と35歳の兄が殺され、他に9人が負傷した。 (事件6)銃に撃たれて、4人の子どもたちが殺され、1人が重体となった。殺された子どもたちは、7歳、8歳、11歳、14歳だ。 (事件7)サッカーをしていた少年ら3人が殺された (事件8)20歳の学生、20歳の運転手、22歳の会社員が、ひとりの家が所有するバンガローにやってきて、事の用意をし

    凶悪な殺人事件 - 猿゛虎゛日記
    helpline
    helpline 2008/03/17
    「過去3ヶ月でも、パレスチナのガザ地区では200人以上がイスラエル軍によって殺されたそうです。それに対して、パレスチナ側に殺されたイスラエル人は1人ということです」
  • ジジェクの 『アンダーグラウンド』 評

    哲学としての現象学の教えるところによれば,われわれの知覚の対象は主体がその対象に対してとる態度を通じて形成される.女性の裸体などはそのよい例だが,それは性的な刺激を引き起こすこともあれば,超然とした審美的眼差しの対象となることもあり,科学(生物学)の探究対象ともなれば,極端な場合,飢えた男たちのあいだで料理される餌等になることさえある.これと似たことは芸術作品について語ろうとする場合にもしばしば見受けられる.つまり,政治的な備給があまりに明白すぎて,政治的情念を留保して超然とした審美的態度をとることが,理論上はともかくも,実際には不可能になってしまう場合がそうである. エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』(1995)の厄介な点もここにある.われわれはこの映画を美学の対象として扱うこともできるし,政治にはセックスに劣らぬ情念が費やされる以上,政治=イデオロギー闘争に賭けられたも

  • 獺祭 | 12月の小まとめ。

  • 第56回ベルリン国際映画祭 政治よりもジェンダーが、語られた? - 本と映画の日々  そして、ゆめのつづき

    ヤスミラ・ズバニッチ ベルリン国際映画祭、ボスニア映画「グルバビツァ」が金熊賞 (ロイター) - goo ニュース ボスニア映画「グルバビツァ」受賞でレイプ被害者救済に光 (ロイター) - goo ニュース CATV ムービープラスで、第56回ベルリン国際映画祭の 授賞式の様子を放映していた。 「愛の嵐」('73 伊・米)の シャーロット・ランプリングが 審査委員長を務めている。 審査員の中に、「親切なクムジャさん」のイ・ヨンエがいたので、 おっ!と思い、 最後まで見ることにした。 招待作品「シリアナ」。(中東に派遣され、後に米中央情報局(CIA)から 見放される工作員役。)で、主演したジョージ・クルーニーが、 インタヴューで応えていた。 「『9・11』以降、映画政治を語るようになった」と・・・。 最高賞の金熊(ゴールデンベア)賞に、ボスニア・ヘルツェゴビナの女性監督 ヤスミラ・ズバニッ

    第56回ベルリン国際映画祭 政治よりもジェンダーが、語られた? - 本と映画の日々  そして、ゆめのつづき
  • http://www.cinema.janjan.jp/0711/0711065281/1.php

  • イビチャ・オシムさんの宗教観 - G★RDIAS

    オシムが語る 作者: シュテファン・シェンナッハ,エルンスト・ドラクスル,小松淳子,木村元彦出版社/メーカー: 集英社インターナショナル発売日: 2006/12/15メディア: 単行購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (20件) を見る サッカー日本代表監督イビチャ・オシムさんのインタビュー記録『オシムが語る』を読んだ。原著のタイトルは Ivica Osim: Die Welt ist alles was der Ball ist, 2002(『イビチャ・オシム ボールの中に世界はある』)。ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の命題 "Die Welt ist alles was der Fall ist." の変奏だ。 原著の刊行時にオーストリアのシュトルム・グラーツを率いていたオシムさんは、二人のオーストリア人ジャーナリストに、政治、経済、監督業、サッカー、ジャーナ

    イビチャ・オシムさんの宗教観 - G★RDIAS
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