Nice video, with nice sound. Part 1, Enjoy!!!!!
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■『狂った一頁』ピアノ演奏つき35mmオリジナルサイレント版復元フィルム世界初上映 チケットを入手したので安心して書くが、『狂った一頁』(衣笠貞之助)の上映が行われる。 と言うだけでは、そう珍しいものではない。昨年夏にもPFFの「サプライズ上映企画」の中で、荻上直子がこの作品を選んだので突如上映された。この時は、自分は同日同時間に、今回の上映会場である有楽町朝日ホールでルビッチを観ていたので、観に行くことが出来なかった。 『狂った一頁』は、1998年4月29日に高槻松竹で上映された際に観た(この時の上映が関西では約20年ぶりだったそうである)のが初見で、以降再見する機会がなかった。今回9年ぶりに再見できるわけだが、それも、 従来上映されてきたプリントは監督自身の監修によって同じ元素材から作成されたサウンド版であったが、今回初めて画面比率を無声映画期の標準規格1対1.33のまま復元した。 で
6年ぶりの新作『ぐるりのこと。』を発表した橋口亮輔監督。(c)2008『ぐるりのこと。』プロデューサーズ 【5月28日 MODE PRESS】『ハッシュ!』以来6年ぶりの新作『ぐるりのこと。』を発表した橋口亮輔(Ryosuke Hashiguchi)監督が、製作の背景や主演の木村多江(Tae Kimura)とリリー・フランキー(Lily Franky)について語った。 ――なぜ夫婦の物語を? 前作では、孤独な価値観の違う人同士がつながる瞬間を描きました。ではその先、つながった人同士が生きて行く中で、どうすれば希望を持って生きられるか? そこから普通の夫婦の話、しかも絶対に離れない夫婦の話を描こうと思ったんです。 ――ご自身がうつを経験されたそうですね。 『ハッシュ!』公開後、張り詰めた糸が切れるように自分自身がうつになりました。 うつになると自分で解決済みと思っていた事柄が、フレッシュな感
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現在の政治的立場の背景 ——あなたは映画『スペシャリスト』とブローマンとの共著『不服従を讃えて』(産業図書)で、神聖な「ホロコースト」の購いとしてイスラエルを正当化する ことに、いいかえれば「ショアー」の政治的道具化に、異議をとなえています。こうした立場の個人的背景は、どういうものでしょうか? あなたは一九七八年 にすでに、東洋系ユダヤ人への差別に反対する運動に参加していたそうですが、あなたは幼いころから、イスラエル社会に内在する諸矛盾に感づいていたので しょうか? また、あなたのご両親はいつイスラエルにやってきたのですか? エイアル・シヴァン(以下ES)——私の両親は一九六三年にイスラエルに来ました。ラテン・アメリカのウル グアイ出身で、私はどちらかといえばシオニスト的な家庭に生まれました。ですから、イスラエル国家に内在する矛盾として何を見出したかという質問ですが、 二つの逆説的な事柄が
「議論が不在であるがゆえに暴力への訴えがなされるのです。」イスラエル人である『ルート181』の共同監督エイアル・シヴァンは、彼の作品がプログラムから外されたことに関してふたたび触れ、そうされるに到ったさまざまな理由を分析した。 ――文化大臣とポンピドゥー・センターが下した〔上映回数削減の〕決定をどう解釈されますか。 エイアル・シヴァン ヒステリーのうちに下された決定はつじつまの合わないものでしかありえないと思います。そうした決定は妥協に甘んずることにしかならないのですから。何をなせば正義にかなうことなのかということを自問することもなく、皆を満足させているというわけなのです。 物事をきちんと考えることに時間を費やすこともせずに、ジョルジュ・ポンピドゥー・センターのトップは騒ぎをエスカレートさせるという方針を取りました。それはごく単純にいって、非合理的な事柄が物事をきちんと考える行為に勝ったと
――出典はクリント・イーストウッドの映画『チェンジリング』。映画館でこの台詞を聞いたとき、まことにイーストウッドだなと思った。脚本を彼が書いていないことはもちろん知っている。 ⇒排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。 つまり、そういうことなのだが。そして、そういうことであることがわからない人は、どれだけ説明してもわからないのかも知れないとは思う。以下、mojimojiさんに対する批判ではない。 イーストウッドの映画には、毎度のごとく、法の側、秩序の側に立つ者であることを利用して、他者を抑圧し、服従させて、そのことに快楽を覚える、自身の所持する権力を自身の所持する「男」としての力と混同するサディストが登場する。あるいは偏見を公然と詳らかにする、自らを法を遵守する市民と規定する者が登場する。その、カテゴリーの意図的な反転はイーストウッド監督作の面白さであり、それ
渋谷にて。初日。是枝裕和新作。とてもよかったです! すごくいい映画でした。是枝のフィルモグラフィーは、つねに、あたらしい方向性とアイデアで刷新されつづけてきていますが、今回はおもいきって性の暗部にも踏み込むなど、さらに新境地を見いだした感があります。とつぜん心を持ってしまった、人形の女の子の物語。 空気でふくらませる人形を恋人に見立てて同居している独身男性(もちろん夜は性行為あり)、という生々しさにもかかわらず、描き方はまったく下品ではなく、映画のたたずまいは凛としている、というあたりに、是枝監督の矜持を見ました。『ラースと、その彼女』とはまた別の方向性を持つファンタジーになっていましたが、孤独というテーマを扱う手つきには、どこか共通点も感じられました*1。ペ・ドゥナかわいい! 全脱ぎ! しかし、ペ・ドゥナのはだかがいっさい下品にならないのも、ストーリーの力だとおもいました。 この映画にで
『しんぼる』編 1 松本人志の前作『大日本人』は、なにやらむつかしそうな前衛映画めいたところがあって、それで劇場まで足を運ぶのを敬遠した人も多かったようだが、予想に反して、良質のエンターテインメント映画で、馬鹿馬鹿しいギャグが満載だったが同時に、その妙なリアリティが日本の日常と文化の古層にまで到達している透徹した視線を暗示し、松本人志の天才性をあますところなく伝えていた。 いっぽう第二作『しんぼる』は、『大日本人』を見る前に多くの人々の妄想のなかでとらえられた、こういう作品だったら嫌だなと思われるものを、まさに過不足なく実現したところがあり、また前作とはまったく異なるジャンルの映画であるものの、主題的に共通のところがあり、まぎれもない松本映画でもあったのだが、前作で予想されながらも無縁であった凡庸な前衛性を全開しているところがあった。 公式サイトとかWikipediaには以下の紹介文がある
仕事終わりで『キラー・ヴァージンロード』鑑賞。偶然バイト先の女の子と一緒になったので、一緒に観た。その娘は感動していたようで、こんな事を言うのは申し訳ないんだが… 舞台の演出も手がけている俳優、岸谷五朗の初監督作。結婚前夜にマンションの大家を誤って殺してしまった主人公が、死体を隠すために富士の樹海へと行く。そこで自殺しようとしていた女と出会い、自分が殺した大家を見られてしまう。そこで自殺志願者の女はこう持ちかける。「私がその死体をなんとかしてあげる!そのかわり、私に力を貸して!私を殺しなさい!」 このストーリーだけ聞くと、非常におもしろそうだし、2時間半とかが当たり前の上映時間の中で97分というのも潔く、予告編でもぶっ飛んでる感じがあったんで、なんとなしに観てみた。ところが————開けてビックリである。これを観てる人がどれだけ居るか分からないが、もしこれを観た後であれば、同じ初監督作である
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