渋谷にて。初日。是枝裕和新作。とてもよかったです! すごくいい映画でした。是枝のフィルモグラフィーは、つねに、あたらしい方向性とアイデアで刷新されつづけてきていますが、今回はおもいきって性の暗部にも踏み込むなど、さらに新境地を見いだした感があります。とつぜん心を持ってしまった、人形の女の子の物語。 空気でふくらませる人形を恋人に見立てて同居している独身男性(もちろん夜は性行為あり)、という生々しさにもかかわらず、描き方はまったく下品ではなく、映画のたたずまいは凛としている、というあたりに、是枝監督の矜持を見ました。『ラースと、その彼女』とはまた別の方向性を持つファンタジーになっていましたが、孤独というテーマを扱う手つきには、どこか共通点も感じられました*1。ペ・ドゥナかわいい! 全脱ぎ! しかし、ペ・ドゥナのはだかがいっさい下品にならないのも、ストーリーの力だとおもいました。 この映画にで
あらためて、志村けんのコント「変なおじさん」を見てみると、それはずいぶんふしぎな展開のしかたをすることに気がつく。なにしろ前ふりが長いし、そのわりにはオチがあっさりしすぎている。たとえば、4分30秒のコントのうち、変なおじさんがせりふをいったり、踊ったりする時間は、15秒ていどしかない。その奇妙なバランスが解せないのだ。 くわえて、そのせりふや踊りというのも、何年ものあいだいっさい変えられていない。変なおじさんは、与えられたほんの15秒ていどのあいだに、毎回まったく同じせりふをいって、同じ踊りをする。変なおじさんは、自らの言葉で独立した思想を語ることを禁じられた、なんらかの象徴、アイコンのような存在だ。なぜ志村けんはここまでがまんできるのだろうとわたしはおもう。たいていの場合われわれは、言葉によってストーリーを前進させる欲求、キャラクターが物語を牽引する快楽に抗えない。変なおじさんになにか
渋谷にて。初日。 今はただ、信じられないことが起こった、としか言いようがありません。
みなさんこんにちは。空中キャンプを書いている者です。今年いちばんおもしろかった映画を、みなさんの投票により、ちょう民主主義的に決定する「2008年の映画をふりかえる」の結果がでました。さっそく、順を追って発表していきたいとおもいます。みなさんからは、あらかじめ以下のフォーマットにてアンケートを集めました。 名前(id、もしくはテキトーな名前)/性別 2008年に劇場公開された映画でよかったものを3つ教えてください 2で選んだ映画の中で、印象に残っている場面をひとつ教えてください 今年いちばんよかったなと思う役者さんは誰ですか ひとことコメント 参加していただいた方々の人数と男女比は以下です。 まずは、参加していただいた方々にお礼を述べたいとおもいます。ありがとうございます! 今まででいちばんの人数、ついに大台の3ケタに到達しまして、よりたくさんの方の意見が含まれた貴重な調査結果になったので
みなさんこんにちは。空中キャンプを書いている者です。もうすっかり年末ですが、いかがおすごしでしょうか。さて、わたしは毎年かならず、この時期になると、その年に公開された映画にかんするアンケート企画をしていまして、これがおもわず長続きし、ついには五年目に入るわけですが、今年もまたおこないたいとおもいます。「2008年の映画をふりかえる」です。 これはどういうアンケートかというと、その年に公開された映画をふりかえる、そしてよかった映画のタイトルをあげていただき、それをほめるという趣旨で、みなさんの意見を集めるものです。もちろん、いただいた意見は集めっぱなしにはせず、わたしがまとめをし、できるだけおもしろく読めるような感じに工夫しつつエディットして、ちゃんと発表します。今までの結果はこんな感じです。 2004年の映画をふりかえる 2005年の映画をふりかえる 2006年の映画をふりかえる 2007
三十歳をすぎて何年かたったあたりで、わたしは自分が、ジーンズとTシャツがあまり似合わない男になったことを認めざるをえなくなった。ジーンズを履いたわたしは、「日曜にホームセンターへ買いものにいくお父さん」といった体である。若々しさに欠けている。なんだかとてもがっかりさせられる、残念な発見だった。 わたしはスニーカーも好きだったし、冬はダウンジャケットとブーツという組み合わせがかっこいいとおもっていた。しかし今となってみれば、そうした服装のわたしは、「すごく寒い日に、ダウンジャケットを着てホームセンターへ買いものにいくお父さん」にしか見えず、わたしはついに、ストリート系のファッションぜんたいを断念しなくてはならないという結論にいたった。 おもうに、たいていの人が考える「おしゃれ」とは、ようするに「若くてさわやかに見える」ということである。特に女性はそうだ。あるていど流行を意識しつつ、自分ほんら
たとえばわたしが、あまりぱっとしないプロ野球選手だったとする。入団からおよそ十年、通算打率は二割二分五厘。守備がそこそこ良かったこと、ベンチのムードメーカー的役割を果たしてきたこともあり、どうにか三十二歳までは現役を続けてこれたが、球団からは、来年以降は守備コーチとして若手を指導してほしいという要請を受けており、今シーズンかぎりで選手としては引退ということになった。 現役最後の年。しかし、なんで俺は二割二分しか打てなかったんだろうと考えると不甲斐ない。どうすれば打率が上がったのか。もっといいプレーができたのではないか。いずれにせよ、もう引退なんだ、いろいろ試してみよう。そうおもったわたしは、ある打席で、左ひじの力を抜きながら、リラックスした体勢でバットを振ってみたところ、ボールは今までに経験したことのないような強烈な打球となって、センターの頭上を軽く越えていった。あっ、こうすればよかったん
春日武彦新刊(光文社新書)。うつ病とくらべて、注目されることのほとんどない「躁(そう)病」。わたしも躁病のことはあまり知らなかった。おもしろ人間の観察がライフワークとなっている春日が、怖いもの見たさと好奇心まるだしで書いた一冊。春日の解説を通して、躁病の実際を知ることができた。医学的な解説というよりは(春日は精神科医である)、躁病を通して人生のもの悲しさをふと感じさせる、味わいぶかいエッセイのような趣もあり、春日ファンのわたしはたいへん満足でした*1。 春日によれば、うつ病が「心のかぜ」なら、躁病は「心の脱臼」だという。あり得ないぐあいに関節が曲がり、糸の切れた操り人形のような途方もない動きを示す脱臼のような症状。心の箍(たが)が外れ、秘められていたあらゆる欲望が全開となり、自己抑制がゼロになり、見る者に異様な印象を与える。うわっ、なんだこの人は。この本に書かれた躁病の症例をひとつひとつ読
きちんと目的を定めないで書店をうろうろしていると、ただ時間ばかりがいたずらにすぎてしまい、気がつくと奥菜恵の告白本をたんねんに熟読していたりする。だめである。あらためていうまでもなく、わたしはあと50年もしないうちにころっと死ぬのであり、いずれ不帰の客となる前に、たくさんの良書を読むなどしてできるだけ有意義に時間をすごすべきだということを頭ではわかっているつもりなのだが、どうしてもそれができないのはひとえに意志のひ弱さゆえである。 しかし、奥菜さんはいろいろとたいへんなようで、特に離婚後の恋愛関係のくだりは「おもしろいなあ」とおもいながら読んだ。離婚した後、歳下の恋人ができたこと。しかしその男が浮気ばかりするのでくやしかったこと。電話にでないので不審におもって家の前までいき、そこから電話を鳴らしたら、女もののカチューシャを頭につけた恋人が携帯で話しながら玄関からでてきたこと(=会話を聞かれ
スラヴォイ・ジジェク新刊。ついに、ジジェクが語る "How to read Lacan" である。結婚式には白のスーツでキメる男、ジジェク。あのスロヴェニアのおっさんが、ラカンを直接的に解説してくれるのだと期待が高まった。ラカンはきわめて難解だといわれている。巻末には、ジジェク本人による読書リストがついているが、ラカンの主著「エクリ」について、「いきなりエクリを読みはじめても、何ひとつ理解できないだろうから」とはっきり書いている。何ひとつって、ねえ。なかなか踏み出しにくいラカン思想の第一歩をどうにか、という気持ちで、この本を手に取りました。 とはいえこの本は、「象徴界ってこういう意味ですよ」「対象aとはこれを指します」といったたぐいの解説本ではまったくない*1。むしろ、ラカンを使えばどのように現実を解釈できるのか、ラカンを通じて見る世界はどのようなものなのか、ラカン思想の具体的な使用法とで
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