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2008年4月24日のブックマーク (6件)

  • YouTube - Japanese KDDI au CM

    「最後のメール」 ヘタなドラマより泣ける。

    helpline
    helpline 2008/04/24
    聾の女の子との恋愛。名作CM
  • YouTube - Broadcast Yourself

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    helpline 2008/04/24
    いいよ、きみちゃんが悪いんじゃないんだしw
  • YouTube - 日本で一番最初のCM

    helpline
    helpline 2008/04/24
  • なぜエロゲーだけ語られたか? - ARTIFACT@はてブロ

    ゲームと思想 - 伊藤計劃:第弐位相 この前、ある場所でとある方とお話させていただいたときに、 エロゲー(というか、ノベルゲーですか)が批評的な場で語られたのって、結局、お話だったからでしょ と、ふと思ったのでした。 それが、なぜ(一時期)エロゲーに代表されるノベルゲーだけが批評的なツールとしてもてはやされたかというと、それは結局お話だったから、単純に語りやすくとっつきやすく見えやすく何より「読みやすい(つーか読む媒体ですからね)」、「物語」だったからでしかないんじゃないか。 あのとき語られたのはゲームじゃなく、あくまでエロゲーだったんだなあ。 これは、エロゲーだけではなく、コンシューマーゲームでも見られた光景で。 『ドラクエ』がブームになった80年代後半以降のゲームについて語られた言説は、大体がRPGで、アクションゲームを語る言説は大変少なかった。 なんで、人文系の人がゲームを「発見」し

    なぜエロゲーだけ語られたか? - ARTIFACT@はてブロ
  • 2008-04-21

    この前、ある場所でとある方とお話させていただいたときに、 エロゲー(というか、ノベルゲーですか)が批評的な場で語られたのって、結局、お話だったからでしょ と、ふと思ったのでした。 たとえば、あくまでたとえばですけど、ゲームのインターフェイスの変遷や、ゲームという言葉どおりそこに内在するルールをプレイヤーがいかに受容するか、などといった方向を、(平凡ですが、まあ例ということで)生権力の話や環境管理型権力(これなんてまさにゲームデザインの思考ですからね)の話などに絡めて論を展開するとか、そういう可能性はいくらでもあったように思うわけです。なにせコンシューマーゲームでは「システム」をひとつひとつ設計し、世界(物語空間ではない)を一回一回デザインすることが多かったわけですから。ゲームの中で物語性に絡まない部分であっても、いくらでも批評的な話はできたはず(じゃあお前やれよ)。 それが、なぜ(一時期)

    2008-04-21
  • コスティキャンのゲーム論

    ** 言葉ではなく、デザインのみが、ゲームを語ってくれる ** ---- コスティキャンのゲーム論 ---- この記事は、1994年に英国のRPG雑誌"Interactive Fantasy" に掲載された。 〔目次〕 ・そもそも「ゲーム」とは何なのか? -「ゲーム」は、パズルではない -「ゲーム」は、玩具ではない -「ゲーム」は、ストーリーではない -「ゲーム」には、参加者が必要である ・それで「ゲーム」とは結局のところ何なのか? -意志決定 -目標 -障害物 -資源管理 -ゲームトークン -情報 ・「ゲーム」を魅力的なものにする他の要素 -相互支援と交渉 -雰囲気 -シミュレーション -多彩な展開 -感情移入 -ロールプレイ -プレーヤー同士の交流 -劇的な盛り上がり ・全てのゲームはダイスの下で兄弟である はじめに 世の中には様々なゲームがある。その種類たるや膨大なものだ。 ファミコ