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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (2)

  • それって本当に承認欲求?――群れたがりな私達 - シロクマの屑籠

    最近、ネットを眺めていて思うんですが、【コミュニケーションにまつわる欲求=承認欲求】って思っている人が案外いるんじゃないでしょうか。それって間違っているので、つらつら書いていきます。 日語で承認欲求と書くと、読んで字の如く「承認されたい」ってイメージになりますし、それが大間違いというわけでもないのですが、原語が self-esteem となっているように、自分が認められること・自尊心を持てること、そういったニュアンスの強い言葉です。ですから、同僚やクラスメートから高く評価されたいとか、ブログやtwitterで注目を集めたいだとか、そういった「“自分自身が”認められたい」タイプは承認欲求と呼んで差し支え無いと思います。 でも、人間関係にまつわる欲求って、これで全てじゃないと思うんですよ。例えば、クラスのグループに溶け込みたいとか、SNSLINEに混じりたいとか、そういう気持ちには承認欲求

    それって本当に承認欲求?――群れたがりな私達 - シロクマの屑籠
  • ネットは“コミケ”から“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠

    最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記 私も、似たことを数年来感じていた。ブログは窮屈になった。他のインターネットも多かれ少なかれ窮屈になってきているような気がする。例えばtwitterも。ネット炎上は一時期ほどではないが、それをもって「窮屈が緩和された」とは思えない。むしろ注意深さが普及した効果なのかな、と思う。 「なぜネットが窮屈になったのか」は、色々なアングルで捉えられるし、そもそも多因子の帰結としてそうなったのだろう。ここでは、「ネットメディアが“コミケ”の論理から“テレビ”の論理に傾いたから」について、まとまりなく書き散らしてみる。 「書き手中心のメディア」から「読み専中心のメディア」へ 00年代初頭のインターネット、それこそ月間PVが200以下の“○○のホームページ”時代のインターネットは、概ね「オーディエンスはみんな書き手」だった。個

    ネットは“コミケ”から“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠
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