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芸術と文学に関するhharunagaのブックマーク (8)

  • 『性の夜想曲 チェコ・シュルレアリスムの〈エロス〉と〈夢〉』(風濤社) - 著者:ヴィーチェスラフ・ネズヴァル,インジフ・シュティルスキー 翻訳:赤塚 若樹 編集:赤塚 若樹 - 阿部 賢一による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    著者:ヴィーチェスラフ・ネズヴァル,インジフ・シュティルスキー翻訳:赤塚 若樹編集:赤塚 若樹出版社:風濤社装丁:単行(192ページ)発売日:2015-05-23 ISBN-10:4892193968 ISBN-13:978-4892193965 エロスの可能性を言語そして図像を通して探求する――日で独自に編集されたチェコのシュルレアリストたちの散文作品集チェコ・シュルレアリスムには『ナジャ』に匹敵する作品がないと言われる。たしかに第一世代のメンバーのなかで詩人として知れられていたのはヴィーチェスラフ・ネズヴァル(一九〇〇‐一九五一)だけであり、彼の『プラハの散策者』(一九三八)はボヘミアの首都を舞台にした散文とはいえ、グループ脱退後に発表した作品ということもあり、ブルトンの著書のような強度は感じられない。だが数はそれほど多くはないものの、チェコのシュルレアリストたちも散文を残している

    『性の夜想曲 チェコ・シュルレアリスムの〈エロス〉と〈夢〉』(風濤社) - 著者:ヴィーチェスラフ・ネズヴァル,インジフ・シュティルスキー 翻訳:赤塚 若樹 編集:赤塚 若樹 - 阿部 賢一による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
  • 東京新聞:河東碧梧桐(かわひがしへきごとう) 表現の永続革命 石川九楊著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    hharunaga
    hharunaga 2019/10/27
    「碧梧桐が句境を進めていくにつれ、書のスタイルも変化していく。書と句が身体レベルでひとつらなりになっているというありようが鮮烈に語られていく」。評:関悦史。文芸春秋。
  • 東京新聞:表現の本質は、楽しさ 『線は、僕を描く』 水墨画家、作家・砥上裕將(とがみひろまさ)さん(35):Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    hharunaga
    hharunaga 2019/06/30
    “<絵を描くことは自分の考えや言葉から抜け出すこと>-。丁寧に紡がれる作中のせりふに、幾度となく思索を投げかけられる”。講談社。
  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

    hharunaga
    hharunaga 2019/04/06
    “フィクションはもちろん並のミメーシス的産物ではない。…「模倣」から「偽装」への、さらには「遊戯的偽装」への転位”(大浦康介)
  • 三島由紀夫文学館**第3回レイクサロン

    三島由紀夫の愛した美術 この公開トークは第3回レイクサロンのイベントとして行われました。以下はその記録です。 Page → 1 2 3 4 5 6 7 三島は美術が好きだった 佐藤 三島由紀夫と美術というテーマは、今まであまり論じられたことがありません。しかし、グイド・レーニ(1575~1642。バロック期に活躍したイタリアの画家。ボローニャ派の代表的存在で、カラッチ派の折衷主義的な画風やカラヴァッジョの影響を受けた)の「聖セバスチャンの殉教」(図1)に強い関心を示していたことからもわかるように、三島と美術との関係は、浅くはありません。今日は美術史の専門家で、カラヴァッジョ(1571~1610。イタリアの画家。劇的な構図や明暗の激しいコントラストで知られ、バロック美術に大きな影響を与えた)研究で知られる宮下規久朗さんにおいでいただいたので、このテーマを徹底的に考えてみたいと思います。三島由

    hharunaga
    hharunaga 2018/10/28
    「佐藤(秀明)さんの論文のおかげで『仮面の告白』の主人公が見る絵が、パラッツォ・ロッソの二本の矢のセバスチャン(グイド・レーニ「聖セバスチァンの殉教」)だということがはっきりした」
  • "不倫・駆け落ち"した女性が魅力的なワケ 3分でわかる絵画と文学の"美女論"

    並外れた美貌の持ち主には、ドラマティックな人生がまとわりついている――そう感じている人は多いかもしれない。つまり我々の心のどこかに、美貌それ自体が驚異であるからには、人生もまたそれに釣り合う非凡さであってほしいとの、奇妙な期待がある、一方で必ずしも現実がそうとは限らない。しかし絵画においてはドラマティックな人生を歩んだ、さまざまな「美貌のひと」が描かれている。その中から、2018年秋に“来日”する美女をひとりご紹介しよう。 ペテルブルクのネフスキー通りに無蓋馬車が停まっている。背筋をすっと伸ばして座る黒ずくめの女性と目があう。その瞬間、世界に存在するのは彼女ひとりとなり、背景は朝靄の中へみるみる消えてゆくかに思う……。 不倫の果てに駆け落ちした『アンナ・カレーニナ』のアンナ この「忘れえぬ女」という名作に描かれている美女には、曰くがある。その内容は、冒頭の一節「幸福な家庭はみな似通っている

    "不倫・駆け落ち"した女性が魅力的なワケ 3分でわかる絵画と文学の"美女論"
    hharunaga
    hharunaga 2018/09/07
    “「北方のモナリザ」とも言われる(クラムスコイの)肖像画「忘れえぬ女」。このモデルはトルストイの名著『アンナ・カレーニナ』に登場するアンナではないかという説がある”
  • 今週の本棚:堀江敏幸・評 『緋の舟 往復書簡』=志村ふくみ、若松英輔・著 | 毎日新聞

    (求龍堂・3024円) 生死のあわいに立つ 染織家の志村ふくみは、色をつうじて世界をつかみ、他者とともに自分を染めてひとつの環(わ)に育てる染色と織物の学び舎(や)を建てた。批評家の若松英輔は、読んで書くことを繰り返し、勉強でない言葉の強さを取り戻すために、思考をてのひらで掬(すく)う場をあちこちでつくり出した。人間の思うようにはならない草木染めと思索=詩作の世界。自分の思うようにならない言葉と色。書くべきもの、染めるべき色はじつはすでに決まっていて、創作者は媒介者としてそれを伝えることしかできないのかもしれない。できたとしても、ながい時間がかかる。 そのためには、来るべきものが来たとき、真正面から対応できるよう、今日の言葉、今日の色を明日に延ばさず、明日への期待とためらいに飲まれないことが求められる。効率とマニュアルを求め、わかりやすさと同義にされた具象の支配にあらがうこと。過去の愚行を

    今週の本棚:堀江敏幸・評 『緋の舟 往復書簡』=志村ふくみ、若松英輔・著 | 毎日新聞
    hharunaga
    hharunaga 2016/11/13
    “(パウル・)クレーが述べているとおり、「芸術とは目に見えるものを再現することではなく、目に見えるようにする」ことなのだ”。求龍堂。
  • 61:再説・「爆心地」の芸術(28)種差デコンタ2016(2) - ART iT(アートイット)

    連載目次 八戸市美術館「赤城修司+黒田喜夫——種差デコンタ2016」展示風景(会場1階) © ICANOF 写真提供: ICANOF それにしても、福島市内のカリオキバとその痕跡を寡黙な撮影を通じて記録し続ける赤城修司と、忘れられた前衛詩人にして「ことばの内乱者」、黒田喜夫(きお)とのあいだに、いったいどのような関係があるというのだろう。しかも、この「種差デコンタ」展の中で後者は決定的に不在のままだ。それなら、見る者は自力で赤城のうちに黒田を見出し、黒田の中から赤城を浮かび上がらせるしかあるまい。しかし、それをするにしても両者は生きる時代も抱えた背景もすべてが違っている。いや、違っているだけではない。むしろ対照的でさえあるのだ。 黒田が使うのは言うまでもなく詩の言葉だ。たとえ、それが既存の詩の言葉へのうちなる違和の念から「反詩」へと傾斜していたのだとしても、そのために駆使されているのが隠喩

    61:再説・「爆心地」の芸術(28)種差デコンタ2016(2) - ART iT(アートイット)
    hharunaga
    hharunaga 2016/11/03
    “(黒田喜夫の詩には)「ツヅボウ」ないしは「ツチボウ」と呼ばれる奇妙な物体が示される。…この「土棒」こそが、赤城(修司)にとってのガイガーカウンターなのではあるまいか”(椹木野衣)
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