ふとしたきっかけで、来日イベントに関わることになりました。そんな理由もあって、けっこう時間をかけて読んだ以下の本の紹介を数回に分けて行います。
ふとしたきっかけで、来日イベントに関わることになりました。そんな理由もあって、けっこう時間をかけて読んだ以下の本の紹介を数回に分けて行います。
運動の想像力ということを最近よく考える。想像力は創造力と書き換えてもよい。311以降、この想像/創造力が現実として実感される磁場に引き寄せられて、うまく跳躍できていないような不全感に囚われることがしばしばある。原発の事故を何処にいて、どのような立場にあってこの事故と向き合っているのか、という問題が想像/創造力の可能性を押しとどめて、今ある生活の「安全」にだけ向かうとき、他者(とは誰かという根源的な問いを不問に付すべきではないが)への配慮と責任はどこかで後回しにされかねない。そうなってしまったときには、自らの「安全」のために他者を犠牲にする自閉的な「安全」へと退行しかねないのではないか、と思う。放射性物質を含んだ農産物や瓦礫、表土、山林の樹木などの処理をどうすべきか、をめぐって、反(脱)原発運動のなかで、明確な合意が得られていないようにみえる。福島の瓦礫は受け入れたくない=拡散反対という主張
*前篇を読む方はこちらから 1月、オーストラリア沖で日本船に乗り込んできた男の右腕に彫られていた「モンキーレンチ」の入れ墨は、過激環境保護運動のシンボルだった。これは、1975年に米国人作家エドワード・アビーが記したベストセラー小説「The Monkey Wrench Gang」に由来する。 この小説には、米南西部に残された広大な自然環境を業者の開発から守るために、工事現場の建設機械をぶちこわし、巨大ダムの破壊をももくろむ4人組の戦いが描かれている。 私が3月に刊行した『恐怖の環境テロリスト』(新潮新書)では、モンキーレンチがいかにアメリカの環境保護系、動物愛護系の過激活動家に影響を与えていったかを記している。シー・シェパード(SS)代表のポール・ワトソン容疑者(国際指名手配中)もアビーに敬意を表し、自らが乗る抗議船を一時、「エドワード・アビー」号と名付けていたくらいだ。 活動家の最前線と
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