■「文明の衝突」避ける古典の寛容 カトリック宣教師が来た桃山時代も、プロテスタント宣教師が来た明治以降も、西洋人の日本理解は、キリスト教的西洋優位の視点からなされた。戦後、北米の日本研究をリードしたライシャワーもノーマンも宣教師の息子だから、同傾向の価値判断を下した。 ≪ダンテとボッカッチョの違い≫ わが国には新井白石のような日本本位の見方で西洋紀聞を綴(つづ)った人もいた。明治以降も徳富蘇峰などは西洋事情によく通じていた。だが後半生は英米本位の見方に反撥(はんぱつ)、国を過(あやま)る論説を書いた。日本は世界を敵にして戦う悲惨に陥ったからである。戦後は知識人は自信を喪失、外国産の見方で自国を裁断した。東大法学部の川島武宣はベネディクトの『菊と刀』を推奨し、日本の恥の文化は西洋キリスト教の罪の文化に劣るとした。 私たち昭和一桁の知識青年も外国に憧れ、西洋の価値観を我が物にしようとした。和魂