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2013年3月7日のブックマーク (3件)

  • 「市民社会フォーラム」でインフレ目標政策を説いた件

    松尾匡のページ13年3月6日 「市民社会フォーラム」でインフレ目標政策を説いた件 九州大学数理生物学研究室での留学生活は佳境に入っています。 巌佐庸教授から共同論文を2月中に終わらせましょうと言われていたのですが、私も歳をとって、しょっちゅう計算間違いをして膨大なやり直しを重ねるし、体力もなくなっているので、案の定2月中には終わりませんわ。今も毎日かかりきりなのですが、まとめる段になって新たな問題が持ち上がったりして、終息のめどは立ちませんねえ。 私が建てたんですから、周りの院生から比べたらおもちゃみたいなモデルですけど、巌佐先生にもずいぶん手間を取らせてしまってもうしわけないです。 そんなわけで、しばらくこのエッセーも更新してませんでした。今もこんなことをしている余裕はないはずなのですが、日銀総裁人事の問題もあるのでそうも言ってられない。 政府がわざと野党側を反対に追い込む作戦に出るので

    hharunaga
    hharunaga 2013/03/07
    「景気が拡大しないことが、何かエコロジカルないいことのような印象をお持ちのかたもいらっしゃるかもしれませんが、景気が拡大した方が、国全体としてエネルギーの節約が進んでいく」(松尾匡)
  • 東京新聞:3・11集団訴訟参加の男性 浪江バッジ胸に訴える:社会(TOKYO Web)

    「まず原発全部を止め、われわれの事故の解決に集中しねぇと」。福島県浪江町から千葉県に避難する男性(82)の胸から「ふるさとなみえ」の七文字が訴える。奪われた故郷、失われた暮らし-。東日大震災から間もなく二年。福島第一原発事故で故郷を追われた被災者たちは今、国と東京電力に問い掛ける。「なぜ、われわれが」と。 農業を営んでいた男性は二〇一一年三月十四日、原発から十キロ離れた浪江町の自宅で、突然訪れた防護服姿の警察官に「放射能が来ている」と告げられた。地震では自宅の屋根瓦がずれただけだった。同居する次女夫婦にもけがはなく、「早く家を直そう」と考えている矢先に、避難生活が始まった。 翌十五日朝、「すぐに自宅へ戻れるだろう」と十五キロ離れた臨時役場に逃げた。だが、すぐに十五キロ先の二松市まで避難を指示され、行き着くと休む間もなく放射能検査が待っていた。「何がどうなっているのか。放射能はそれほど厳

    hharunaga
    hharunaga 2013/03/07
    “「筋でねぇ。まず原発を止めねぇと」と語る。浪江町の自宅は帰還困難区域にある。故郷を人の住めない土地にした国に対し「裁判で声を上げて、考えを改めさせねぇと」”
  • 東日本大震災:生後54日の長男亡くした教諭、児童に語る- 毎日jp(毎日新聞)

    hharunaga
    hharunaga 2013/03/07
    “勤務先の同県大槌町立吉里吉里小学校で、子供たちに初めて自らの体験を語った。被災した子供たちに「つらい思いは、はき出していいんだよ」と伝えるためだ”