少々不便でも、日本よりも気楽に楽しく暮らせるところはないだろうか。そんな思いに囚(とら)われたら、高野秀行氏の本を開く。 誰も行ったことのない未知の場所を訪ね歩くことを標榜(ひょうぼう)する著者は、これまでも重箱の隅ならぬ地球の隅をつつくようにして誰も知らない国家や地域を訪ね歩き、紹介してきた。

大変な本である。現役の経産官僚で思想家の著者が、近年の日本の国家政策は「疑似科学的なドグマ」に導かれていて的外れが多く、来たるべきグローバルな複合危機には対応できないと叫んでいる。 日本だけでもない。今や主要国の政策が裏付けとする主流派経済学は、新自由主義そのものだ。規制緩和や民営化、貿易・資本移動の自由化等々を絶対視する思想に、各国政府はおろか中央銀行や国際機関、チェック機能としてのジャーナリズムまでもが、囚(とら)われきった感がある。 本書によれば、しかし、主流派経済学は「科学」とは似て非なるものであるという。経済活動には通常、貨幣が不可欠なのに、主流派の「一般均衡理論」が想定するのは物々交換の世界だし、自由貿易の意義を説く「比較優位の原理」ときたら、「世界には二国、二財、一つの生産要素(労働)のみ存在する」「常に完全雇用」「運送費はゼロ」など、非現実的な仮定がなければ成立しない代物だ
友だちと山菜採りにいく。急斜面をよじのぼって山菜をとる。すってんころり。ときに転げ落ちて泥まみれ。ゲラゲラ笑う。またのぼってまた落ちる。それをなんども繰り返していると、われを忘れ、時間も忘れて夢中になる。もう玄人も素人もない。会社も肩書もなんにもなくなる。誰がどれだけとれたのかも関係ない。どうせこのあと、みんなで食うのだ。独り占めもありえない。山は誰のものでもない。勝手に生えてくるものを、必要に応じてとればいい。上でもなく下でもなく、競争でも所有でもなく。ただその行為自体によろこびをおぼえる。それが遊びだ。 さて、本書はボブ・ブラック『労働廃絶論』の新訳だ。1980年代に書かれたアナキズムの古典を、訳者ホモ・ネーモさんが本文よりも長い、気合パンパンの解説をいれて、現代につなげている。最高だ。
イスラエルはなぜ1年3カ月にわたり、多くの犠牲をいとわずパレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けたのか-。その背景には「植民地主義」があると、一橋大の鵜飼哲名誉教授(フランス文学)が主張している。昨年10月には、見解を同じくするカナダ在住のユダヤ教徒の歴史学者ヤコヴ・ラブキンさん=写真=がフランス語で著した『イスラエルとパレスチナ』を邦訳し、岩波書店から出版。紛争の原因を虚心に見極め、平和のために声を上げるべきだと訴える。 (林啓太) ユダヤ人は、ナチス・ドイツのホロコースト(大虐殺)の被害に遭った「弱者」とその子孫だと考えられがちだ。しかし鵜飼さんは「多くのユダヤ人がナチスの絶滅政策の犠牲になったのは、紛れもない事実」と強調した上で、19世紀末から今に至るユダヤ人側の「暴力の系譜」も指摘する。 19世紀の後半から20世紀初めにかけて、ロシアやポーランド、ウクライナでは、キリスト教徒らがユダヤ人
第2次世界大戦後、バルト3国の一つ、ラトビアで日本と中国の文芸文化の紹介に活躍した著者は、満洲(現中国東北部)に生まれ育った。文字通り「一〇の国旗の下で」過ごした前半生を回想したのが本書だ。 1904年、勃発した日露戦争は、帝政ロシア支配下のラトビアから1人の機関士を満洲に呼び寄せた。ロシアが敷設した東清鉄道沿線の小さな村で23年、著者は機関士の息子として生まれた。3年後、父はハルビンに転勤。空に揺れていた中華民国旗は、やがて蔣介石国民党政府の旗に代わった。31年9月、著者はアメリカ国旗の立つYMCAギムナジウムの門をくぐった。ロシア正教の学校で、祝祭日には帝政ロシアの三色旗がはためいた。在留ロシア人と中国人子弟が大半、ユダヤ人やポーランド系などの生徒もいた。同じ9月、日本の関東軍が満洲事変を画策。翌年にはハルビンの空に日の丸と満洲国旗が翻った。
「遊びと利他」という書名に違和感を覚える人がいるかもしれない。確かにこの二つの言葉を架橋する世界観をまだ、私たちは持ち合わせていない。しかし、そこに本書の独創性と革新性がある。 ここでの「遊び」とは単に楽しむことを意味しない。それは「学ぶ」ことであり、また、自分を生きることでもある。人はそれを真の意味における「遊び」のなかで会得していくと作者は考えている。 利他はもともと仏教の言葉で、「利益(りやく)」を他にもたらすことを指す。ただ、仏教では利他はしばしば自利利他といわれ、自己の救いと他者への救いが同時に生起することが強調される。作者も指摘するように一方的な利他は、世にいう「ありがた迷惑」に陥ることも少なくない。
この本のタイトルは極めて衝撃的で挑発的な印象を与える。軍事的にも技術的にも強大でガザさらにレバノン、シリア、イランへの軍事行動を意のままに展開しているように見えるイスラエル、さらに米国の強力な支援を受けているこの国が、自滅の危機に晒(さら)されていると言っているからだ。しかしすべての現象において表の強さの裏には弱さが隠されている。その関係を立体的にみようというのが本書の狙いだ。 ガザのパレスチナ人は筆舌に尽くしがたい人道的危機に直面してきた。しかし軍事行動を主導するイスラエル側にもその大きな反作用があっても不思議ではない。極右政治家が政権のキャスティング・ボートを握っている政治の歪(ゆが)み、イスラエル兵の間でも従来以上に広がる犠牲、人質解放より戦闘継続を優先する政策、次第に拡大する経済的負担の増大、米国など世界各地のユダヤ人の間に拡(ひろ)がるイスラエルの行動に対する違和感と反発、そして
ママチャリでサンダルはいて「爆音ゴダール」に通った東京・吉祥寺のバウスシアターが閉館してから、もう11年たった。仲間はみんな、拠点を失ったboidの経営を心配したけれども、いつの間にかプロデュースする爆音映画祭は全国に広がり、樋口泰人はボヤキながら還暦をとうに過ぎても息災で、映画上映すらできないコロナ禍もなんとか切り抜けようとしていた。しかし、神様は残酷である。川上未映子が推薦文に「あらゆる失われ」と形容する通り、またまたとんでもないピンチが訪れた。 「盟友」青山真治が世を去り、「親友」中原昌也が瀕死(ひんし)の病で入院して、自身もがん宣告を受け手術し闘病生活へ。凶事は連鎖して襲いかかる。「満身創痍(まんしんそうい)」の記録は、深刻な事態や心情へ踏み込むのは繊細に避け、システムに包囲された社会の理不尽にときたま憤りつつ、乾いた筆致で綴(つづ)られる。「病院食はまだ衝撃的にまずい」といわれれ
<書評>『課税と脱税の経済史 古今の(悪)知恵で学ぶ租税理論』マイケル・キーン、ジョエル・スレムロッド 著
漢文や中国文学は、ビジネスの世界ではあまり人気がない。ただ、数少ない例外は『論語』と『孫子』だ。とりわけ孫子は、兵法書であるだけに実務に直結しそうなイメージがあるためか、同書の名を冠したビジネス書は無数に存在する。もっとも、中国古典世界における戦略の書は『孫子』だけではない。日本での知名度は高くないが、『鬼谷子』もそのひとつである。 高橋健太郎『鬼谷子 全訳注』は、上智大学大学院で漢文学を専門とした著者が、『鬼谷子』本文の全訳に初めて詳細な解説を付し、さらに解題を加えた労作である。 かつて春秋戦国時代、各国がしのぎを削るなかでさまざまな思想学派が生まれた。合従連衡(がっしょうれんこう)、すなわち合従策(当時の最強国である秦以外の国で同盟を締結する策)を唱えた蘇秦や、連衡策(合従策を破るために秦が個別の国々と同盟を結ぶ策)を唱えた張儀らの名で知られる「縦横(しょうおう)家」もそうだ。縦横家は
韓国の大統領・尹錫悦(ユンソンニョル)が逮捕された。混乱の発端となった「戒厳令」発令には大統領だけでなく、国防相など複数の人間が関係したとされる。報道された限り、全員男である。尹錫悦には、大統領選出馬の頃からジェンダー平等や家族政策を担当する国家機関「女性家族部」の廃止を公約に20代男性の人気を得るなど、反フェミニズムで支持層を築いた背景がある。本件から韓国における男性性の問題を連想するのは、飛躍ではないだろう。 ジェンダーの議論はもちろん、現代韓国の社会情勢の背景にある精神性に興味がある人にすすめたい書籍が翻訳された。「韓国」と「男子」の間に打たれた読点が印象深いタイトルは原書を踏襲したものだ。驚くべきことに、2語をつなげて略した「韓男(ハンナム)」は「有害でクソな男性」を揶揄(やゆ)する俗語として、侮辱罪も適用されるほどだという。
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