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2014年1月12日のブックマーク (8件)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●『進撃の巨人』、一応最後まで観た。といっても、話は全然終わっていないし、区切りすらついていない感じ。 で、結局これって「ブラック企業万歳」という話なのか、と思ってしまった。というか、世界全体がブラック企業化してしまったとしたら、そこで生きる人は、それぞれのやり方でそれに必死に適応する(ブラックに染まる)しかない、という話だというべきか。世界全体が脅迫と脅迫で塗りつぶされ、無根拠に繰り返し回帰してくる圧倒的な(ほとんど恐怖症的な)恐怖と破壊によって尻を叩かれ、環境への過剰なまでの適応へと、追い込まれるように強要される。そこでは主体には常に莫大な負荷がかかり、その負荷が適応へのモーターのさらなる動力源となり、必要以上の適応への希求がほとんど自滅(自傷)への希求と区別がつかないほどにまで昂進する(「エヴァ」のシンジのように、悩んだり逡巡したりできる余裕さえない、そしてここには、「同志」はいても

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    “『進撃の巨人』…、結局これって「ブラック企業万歳」という話なのか、と思ってしまった”(古谷利裕)
  • 快挙!『原典訳記念版:キェルケゴール著作全集』全15巻 創言社が四半世紀かけて完結 - 延原時行歌集「命輝いて」復活の家出発進行(番町出合いの家・鳥飼慶陽):楽天ブログ

    2011.08.06 快挙!『原典訳記念版:キェルケゴール著作全集』全15巻 創言社が四半世紀かけて完結 カテゴリ:カテゴリ未分類 日は、近くの甲子園球場で夏の大会が始まり、開会式があります! 広島では被爆66年の平和記念式! そして神戸の夜は、「第41回みなとこうべ海上花火大会」!があります。その他、諸行事満載の日です。 昨日、福岡の創言社の村上一朗さんから、次のような嬉しいメールが届きました。 各 位 暑中お見舞い申し上げます。 長らくお待たせしまして種々ご心配ご迷惑お掛け致しましたが、お陰様で今般漸く『キェルケゴール著作全集』全十五巻の最終回配・第13巻を上梓致しました。8月8日をもちましてご予約の皆さまを始め、書店にも配申し上げます。 ほぼ四半世紀・正味23年を費やしての完結でありました。 遅々たる私共の歩みにも拘わらず、ずっと変らずご支援ご声援を賜りました訳者・読者・関係者

    快挙!『原典訳記念版:キェルケゴール著作全集』全15巻 創言社が四半世紀かけて完結 - 延原時行歌集「命輝いて」復活の家出発進行(番町出合いの家・鳥飼慶陽):楽天ブログ
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    配本を開始した89年の大谷長氏の毎日新聞記事がある。初心者には『宗教談話』(『キリスト教談話』?)がお勧めとのこと。
  • 邯郸律檬影视文化发展公司

    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    『特別編 二人の巨匠』。綺麗な造本だったけど、連載1話分くらいのボリュームなのは残念。もう少し読みたかった。
  • 大島渚監督、幻の30分作品 今夜、半世紀ぶり再放送:朝日新聞デジタル

    昨年1月15日に亡くなった大島渚(なぎさ)監督のドキュメンタリー作品「忘れられた皇軍」が半世紀ぶりにテレビで再放送される。DVD化もされていないため、幻の作品とされていた。ファンからもう一度見たいとの声が多く寄せられ、大島監督の没後1年を機に再放送が決まった。 「忘れられた皇軍」は、1963年、日テレビの「ノンフィクション劇場」で放送された約30分間の映像だ。日軍に従軍し戦傷を負いながら、戦後、韓国籍となり社会保障制度からはじかれた元兵士を追う。 戦争で失った両目からこぼれる涙をカメラはアップでとらえる。大島監督は「カメラは加害者」と話し、怒りや悲しみなど、戦傷者が感情をあらわにした瞬間を容赦なくアップで撮影。電車内や海水浴場など東京五輪前年で盛り上がる街と白装束で募金活動する姿の対比を映し出す。最後は「日人よ、私たちはこれでいいのだろうか」というナレーションで締めくくっている。 放

    大島渚監督、幻の30分作品 今夜、半世紀ぶり再放送:朝日新聞デジタル
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    “ドキュメンタリー作品「忘れられた皇軍」が半世紀ぶりにテレビで再放送される。DVD化もされていないため、幻の作品とされていた”。録画予約した。
  • 『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 記憶喪失や殺人といった非日常的なことが、テレビドラマなどで頻繁に都合よく使われる。現実味の乏しい設定に、うんざりすることもある。そんな記憶喪失も、「虚構の世界、たとえば小説に描かれるようになったのはさほど古いことではない」という。 著者、小田中章浩が問題にするのは、「さまざまなフィクションが記憶喪失という現象をどれほど正確に再現しているかということではなく、記憶喪失を基にしながら、フィクションの制作者たちが想像力を駆使してどれほど興味深い物語を作り上げたかということである。別の言い方をすれば、記憶喪失が虚構の世界においてどのように「表象」されているか」である。つまり、滅多におこることのない記憶喪失を使って、いかに虚実ない交ぜの社会を描き、読者や観客を「楽しませる」かが、制作者の腕の見せどころとなる。 さらに、書の狙いは、つぎのように説明されている。「神話や伝

    『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    記憶喪失がフィクションで描かれるようになったきっかけは、第一次大戦で兵士が体験したシェルショック(今で言うPTSD)らしい。
  • 東京新聞:戦争という見世物 木下 直之 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評戦争という見世物 木下 直之 著 Tweet mixiチェック 2014年1月12日 ◆勝利する「物語」に酔う人々 [評者]長山靖生=思想史家 明治二十七(一八九四)年十二月の東京は、日清戦争勝利の祝賀ムードに包まれていた。書はそんな時代にタイムスリップして、当時の社会情勢を観察する体裁ではじまる。 戦争は娯楽だった-といったら不謹慎と怒られるかもしれないが、現実にそうだったのだから仕方がない。戦争は多くの国にとって現在も、正義や名誉や国民の生命財産を守る最終的解決手段と考えられている。それに戦争は、何よりの景気刺激策であり、国威発揚、国民統合に便利だった。国民も、勝ち戦なら歓迎した。 近代日が経験した最初の格的対外戦争だった日清戦争は、終始、日側優勢で進んだ。メディアも日軍の

    東京新聞:戦争という見世物 木下 直之 著:Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    “戦争は娯楽だった-といったら不謹慎と怒られるかもしれないが、現実にそうだったのだから仕方がない。…それにしても、市井の人々のはしゃぎぶりは凄(すさ)まじい”(長山靖生)
  • 7ドルの絵 ルノアールの作品だった NHKニュース

    アメリカのフリーマーケットで7ドルで売却されていた1枚の絵画が、60年以上前に美術館から盗まれた印象派の巨匠、ルノアールの作品だったことが分かり、地元の裁判所は10日、この絵画を美術館に返却すべきという判断を下しました。 この絵画は、印象派の巨匠として知られるフランスの画家、ルノアールが1879年に描いたセーヌ川の風景画です。 アメリカ・バージニア州の女性がフリーマーケットで7ドルで購入し、おととし、競売にかけようとしたところ、絵画はルノアールの作品ではないかと話題になりました。 その後、国立のナショナル・ギャラリーなどで鑑定したところ、これが物で、1951年にメリーランド州ボルティモアの美術館から盗まれたものであることが分かりました。 これを受けてバージニア州の連邦地方裁判所は10日、絵画は来の所有者である美術館に返却すべきという判断を下しました。 作品は、少なくとも2万2000ドル

    7ドルの絵 ルノアールの作品だった NHKニュース
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    「60年以上前に美術館から盗まれた印象派の巨匠、ルノアールの作品だったことが分かり、地元の裁判所は10日、この絵画を美術館に返却すべきという判断を下しました」 ←えっ!w
  • 2007-02-13

    読書感想文を書きます。今回のお題はジャック・デリダの“Mal d’archive”。95年にガリレー社から出版されたこのは、アーカイブという概念をひとつの軸としてフロイトを論じているものです。まず一読して、技術やメディアの問題に関する自分の興味関心からいって、これをいままで読んでいなかったのはきわめて重大な手落ちだと痛切に思い知りました。またそれだけではなく、その分析というか、フロイトの議論に寄り添いながら同時にそれを切り刻んで少しずつ新しい光景を示していく手際は、その他の多くのデリダの著作に比べても、格段に鮮やかであるように思いました。まだ読み終わってからそれほど経っていない(一週間くらい前ですが)というのもありますが、いまのところ、この“Mal d’archive”はデリダの最高傑作の部類に入る、というような印象を持っています。 この“Mal d’archve”というタイトルをどう訳

    2007-02-13
    hharunaga
    hharunaga 2014/01/12
    (『アーカイヴの病』におけるデリダの戦略は、)“フロイトに「ついての」アーカイブの問題を、フロイトに「とっての」アーカイブの問題と同時に考える”