編集者注: これは、Center of Open Source & Governmentの所長で、ジョージ・ワシントン大学のCyber Security Policy and Research Instituteの副所長であるTony Stanco氏が、2003年4月29日に、政府のテクノロジに関するニューヨーク市議会の特別委員会の席上で行ったプレゼンテーションの全文に若干手を加えたものである。 Brewer議長ならびに議員のみなさん、おはようございます。私はTony Stancoと申します。Center of Open Source & Governmentの所長、およびジョージ・ワシントン大学のCyber Security Policy and Research Instituteの副所長を務めています。 こうしてみなさんの前でオープンソース調達政策のお話をさせていただけることを光栄に
●今年2月に出版された『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』が、2006年6月現在32万部突破のベストセラーとなっているサイエンスライターの竹内薫氏。 ●同氏は「最近、頭が固くなってきた」と感じている人たちに向けて、「科学の基本を知るだけで、あなたの頭は柔らかくなるかも知れない」と言う。科学の基本とは「世の中全部仮説にすぎない」ということであり、そのことを知れば、思い込みや常識、前例、先入観、固定観念などから解放されるという。 ●そこで今回は、竹内氏に、企業経営者やビジネスパーソンが、思い込みや常識、固定観念といったものから解放されるための仮説思考と、それをビジネスに応用するためのコツなどについて話を聞いた。 竹内 薫(たけうち・かおる) サイエンスライター。 理学博士。 1960年生まれ。 東京大学理学部物理学科卒業。 マギル大学(カナダ)大学院博士課程修了
それにしても、本書を自分で読んで第一に感ずるのは、いいことをいっているのは、引用の箇所だけで、自分で書いた箇所はなんということもない上に、徒らにくだくだしいことである。残念ではあるけれども。(来栖三郎) 自分にとって、形のさだかならぬ思考に没頭するのは面白くてたまらないことであるが、一旦形の出来上ったものを他人に分かりやすく伝えるという作業は、最も苦手の部類に属する。(遠藤博也)
日本の個人主義 (ちくま新書) 作者: 小田中直樹出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/06メディア: 新書購入: 2人 クリック: 18回この商品を含むブログ (49件) を見る 大塚久雄の議論を論じながら、現在における「個人の自律」の意義、そしてその可能性について考察した本。叙述は、大変平易で読みやすいにもかかわらず、現在「個人の自律」を考えようとすれば避けて通れない、「ポスト近代主義」からの問題提起を正面から受け止める形で議論が進んでいく。 とくに、いかに他者性、主体の構築性、網の目の権力などが指摘されようとも、それでも「主体性」はギリギリ確保されているのではないかという69頁以降の指摘や、「他者啓蒙」と「動員」との間に「すきま」(127頁)を見出そうとする議論、さらには個人の自律の要件に「懐疑精神」と「コミュニケーション能力」を挙げる点(180頁)などに、ギリギリのところ
文部科学省の信じられない官僚主義の「毒」にあたって、きわめて大きな精神的打撃を受けた。 友人と恩師がかかわっているため、詳細は書けない(書かない)が、文部科学省が進めている科学インタープリター、サイエンスライター養成プログラムは、完全にインチキだったのだとわかり、今後、一切、かかわらないことに決めた。 ただし、7月5日と12日に予定されている二回の臨時講義は、友人と学生に迷惑がかかるので、誠心誠意、きちんとやる。でも、それでおしまいだ。次はない。 人を愚弄するにも限度というものがあるだろう。 いや、お高い文部科学省から見れば、オレみたいなフリーの人間など、下界のゴミ屑にすぎない、ということなんだろうな。きっと。 電車に乗っていて、気がついたら、涙がボロボロ出てきちゃったよ。 *** ゴミはゴミなりに、同じ目線の読者(と視聴者)のためにガンバル。 それしかない。 (この件、今後、一切書きませ
私が「日本型エリート秘密クラブ」とか「立身出世主義者の卑しい動機」について語ったところ、各方面で顰蹙と失笑を買ったようである。 このような敵対性を描き出す私の主張に、どの程度説得力があるものであろうか? それ以前に、このような表現の正確な意味は何かを、その真理条件や検証可能条件から明らかにすべきではないか? あるいは、そもそもこのような主張には、反証可能性は保証されているのか? 普通に考えれば、これらはいずれも当然問題にしなければならないように思われる。しかし、戦略的言語使用というものをめぐっては、より込み入った事情があることを明らかにしたい。 私は、マルクスやケインズの社会論について言及しているが、そこで、それらの解釈が彼らの政治的・実践的戦略と一体のものであると指摘しておいた。つまり、どこに当面の重要な友―敵関係をおくのかということは、それ自体が政治的なものであり、単に客観的には決定さ
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