歴史に関するhidemayoのブックマーク (62)

  • 150年前イギリスの『牛肉の脂肪を脂として再利用する』慣習が原因で起こった大騒動を分析すると今のSNSに通ずるものがある

    エリザ @elizabeth_munh 牛肉を焼いた時に出る脂肪をドリッピングと言い、イギリスではこれを貯蔵してパンに塗りつけたり、料理用の油として再利用する習慣がある。 ところがこのドリッピングが元で大騒動になった事があった。それが、リーズのドリッピング暴動。 pic.twitter.com/o8uGQMErPF エリザ @elizabeth_munh 1865年、イングランド北部ヨークシャーの大都市リーズの治安判事チョーサーに仕えていた女料理人、エリザ・スタッフォードは、料理の副産物として得られるドリッピング0.9キロを地元の洋裁師に売った 使用人がこうした役得にありつく事は当時珍しくなく、たとえば執事なんかはワインをがめてたりする エリザ @elizabeth_munh ところがチョーサーはこれを見てカンカンになった。 「泥棒メイドめ! 訴えてやる!」 こうしてスタッフォードは起訴さ

    150年前イギリスの『牛肉の脂肪を脂として再利用する』慣習が原因で起こった大騒動を分析すると今のSNSに通ずるものがある
  • 「アンネの日記」隠れ家はユダヤ人男性が密告か 調査チーム | NHKニュース

    「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの隠れ家がナチスの秘密警察に見つかった経緯について調べていた調査チームは、ユダヤ人の男性が密告した可能性があるとする結論を出し、真相に迫る調査結果として関心を集めています。 アンネ・フランクは、第2次世界大戦中、ナチスによるユダヤ人の迫害から逃れようと、オランダ、アムステルダムの隠れ家で生活していましたが、1944年、秘密警察に見つかって拘束され、強制収容所に送られたあと15歳の若さで亡くなりました。 アンネが秘密警察に見つかった理由については、戦後、オランダの警察が捜査しましたが真相は明らかにならず、アメリカのFBI=連邦捜査局の元捜査官などでつくるチームが、6年ほど前から調査を進めていました。 ロイター通信などによりますと、調査チームはこのほど、ユダヤ人の男性が隠れ家を密告した可能性があるとする結論を出したということです。 この人物は、公証人と

    「アンネの日記」隠れ家はユダヤ人男性が密告か 調査チーム | NHKニュース
  • 「餅は最上の保存食」幕末、黒船の甲板で餅を焼いた日本人がいた 『開成を作った男、佐野鼎』を辿る旅(第56回) | JBpress (ジェイビープレス)

    (柳原三佳・ノンフィクション作家) 正月休みもあっという間に過ぎてしまいました。でも、1月11日の「鏡開き」が終わるまではおべ、もうしばらく正月気分でいたいですね。 「全国工業協同組合」のサイトによると、“”は、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』(713年)という書物の中に、白鳥の化身として登場するのだとか。以来、白いは縁起のよい白鳥のイメージと共に、「神秘な霊を宿すもの」と考えられ、ハレの日(お祝いのある特別な日)にはをお供えし、べる習慣が広がったそうです。 日人とのかかわりには、長い歴史があるのですね。 万延元年遣米使節団、「黒船」の甲板でを焼く 一方、は「お供え」という縁起物のほか、長旅における「保存」としても珍重されてきました。 連載の主人公である「開成を作った男・佐野鼎(さのかなえ)」が幕末に記した『訪米日記』の中には、万延元年遣米使節(万延元年遣米

    「餅は最上の保存食」幕末、黒船の甲板で餅を焼いた日本人がいた 『開成を作った男、佐野鼎』を辿る旅(第56回) | JBpress (ジェイビープレス)
  • ソ連は娯楽少なく…声優ジェーニャ「アニメは二つ。チェブラーシカとヌー・パガジー」:朝日新聞GLOBE+

    ソ連が崩壊してから12月25日で30年になる。史上初の社会主義超大国としてアメリカと世界を二分し、冷戦を繰り広げたが、経済の悪化や、政権弱体化を招いたゴルバチョフ氏の改革などにより、1991年に消滅した。 物不足、厳しい情報統制…そんなイメージが強いソ連だが、実際はどうだったのか。1980年代末から崩壊までのソ連で子ども時代をすごし、現在は日で声優として活躍しているジェーニャさんに「私が生きたソ連」を語ってもらった。 ソ連の記憶について語る声優のジェーニャさん ――ソ連での暮らしぶりを教えて下さい。 私はシベリアのノボシビリスクという都市で生まれたんですけど、父が軍人だった関係でリャザンやゴーリキー(現在のニジニノブゴロド)など転々としていました。 ものは少なかったですね。それはあとから分かったことで、当時は普通だと思っていました。商店に行っても、陳列棚が空っぽの記憶しか残っていません。

    ソ連は娯楽少なく…声優ジェーニャ「アニメは二つ。チェブラーシカとヌー・パガジー」:朝日新聞GLOBE+
    hidemayo
    hidemayo 2021/12/25
    ソ連の生活事情
  • 秦の始皇帝は度量衡を統一し、コーヒーチェーンのコーヒーサイズを「大」「中」「小」に改めさせたことで知られていますが…

    こやぎ @MValdegamas 秦の始皇帝は度量衡を統一し、コーヒーチェーンのコーヒーサイズを「大」「中」「小」に改めさせたことで知られています。始皇帝はラージサイズのコーヒーを注文し「あっトールですね」と店員に訂正されたことに激昂して大中小の表記を定め、これに逆らった店を焼き、経営者を八つ裂きにしました。 2021-12-01 13:01:21 ホビー門口 @hobby_kadoguchi @MValdegamas 昔、学生時代に歴史の時間に教わりました。たしかそのあと、某コンビニの商品が、客がついたとたんにコッソリサイズを小さくすることに業を煮やして、各コンビニ商品の大きさスケールを制定しようとしたところで死んだと教わった記憶が。 2021-12-01 15:01:36

    秦の始皇帝は度量衡を統一し、コーヒーチェーンのコーヒーサイズを「大」「中」「小」に改めさせたことで知られていますが…
  • 8万人の命を奪ったドラキュラ伯爵のモデル「串刺し公」ヴラド3世の生涯

    生前に描かれたヴラド3世(1431~1476年)の肖像画の模写。現在は、オーストリア、インスブルックにあるアンブラス城に展示されている。(ERICH LESSING/ALBUM) ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルの一人と言われるヴラド3世は、現在のルーマニア南部にかつて存在したワラキア公国の君主だった。ワラキア公国は1859年にモルダビア公国と統合し、ルーマニア王国として生まれ変わる。ヴラド3世は、1448~1476年の間に断続的にワラキア公国を統治し、ヴラド・ドラキュラ(ドラゴンの息子という意味)とも呼ばれていた。しかし、敵を拷問するなど暴虐の限りを尽くしたことから、ルーマニア語で「ヴラド・ツェペシュ」、すなわち「串刺し公ヴラド」という呼び名で最もよく知られるようになった。一部では、その生涯の間に8万人以上の命を奪ったともいわれている。犠牲者の多くは、串刺しにされて殺された

    8万人の命を奪ったドラキュラ伯爵のモデル「串刺し公」ヴラド3世の生涯
  • 知られざる第二次世界大戦中のイギリスの生活が「地獄」だと話題に

    世界平和を祈願する枢密院勅令 @order1914 「お宅のペット、まだ生きてるの?」「転職したい?投獄な」~ブリテン島から自由が消えた日 戦時下のイギリス②第二次世界大戦編~|枢密院勅令 @order1914 #note note.com/wa8492/n/n709c… Welcome to this crazy time 基的人権もクソもないイカレた時代へようこそ 2021-01-04 19:00:37 リンク note(ノート) 「お宅のペット、まだ生きてるの?」「転職したい?投獄な」~ブリテン島から自由が消えた日 戦時下のイギリス②第二次世界大戦編~|枢密院勅令|note 戦時下のイギリス①第一次世界大戦編はこちら 究極の緊急事態「第二次世界大戦」 我々日人にとっての第二次世界大戦とは、ご先祖様がドイツ語で書かれた誇大妄想パンフレットに騙された挙句の果てに焼きたてジャぱんにされ

    知られざる第二次世界大戦中のイギリスの生活が「地獄」だと話題に
  • 地方自治体と歴史学者【呉座勇一】 

    『公研』2020年2月「めいん・すとりいと」 呉座 勇一 今年のNHK大河ドラマは『麒麟がくる』。主人公は明智光秀である。昨年から今年にかけて、例によって大河ドラマ関連が多数刊行された。 明智光秀は謎の多い人物である。その前半生も能寺の変の動機も、いまだ定説を見ない。光秀に関する史料が乏しく、歴史学界でも結論が出せないため、作家や自称歴史研究家が「謎解き」に多数参入している。ゆえに、今回の大河ドラマ関連は、例年以上に玉石混淆である。 特に私が懸念しているのは、明智光秀の末裔を称する明智憲三郎氏の活動である。明智説の問題点については、拙著『陰謀の日中世史』(KADOKAWA)や現代ビジネスのインタビュー「この国に陰謀論が蔓延する理由」、日経BizGateのインタビュー「『能寺の変』のフェイクニュースに惑わされる人々」などで論じたので、ここでは再説しない。 明智憲三郎氏の問題は、明智

    地方自治体と歴史学者【呉座勇一】 
  • 毎日3万人が訪れていたベルサイユの“トリアノンの庭”が外出禁止で2ヶ月無人になり300年前にマリー・アントワネットが見ていたであろう本来の姿を取り戻していた

    Yuka🐾🇨🇵 @YuKa00470665 毎日3万人が訪れ、何千人という従業員で溢れていたベルサイユのトリアノンの庭が、外出禁止で2ヶ月無人になったことで300年前のマリー・アントワネットが見ていたであろう来の姿を取り戻した、という記事。ビデオ有りです。(続) francetvinfo.fr/sante/maladie/… リンク Franceinfo VIDEO. Château de Versailles : grâce au confinement, le jardin de Marie-Antoinette est redevenu comme il y a 300 ans Le Versailles "d'après" va-t-il ressembler à celui d'il y a très longtemps ? C'est l'un des eff

    毎日3万人が訪れていたベルサイユの“トリアノンの庭”が外出禁止で2ヶ月無人になり300年前にマリー・アントワネットが見ていたであろう本来の姿を取り戻していた
  • ぼくは見た、国の消滅を | NHKニュース

    10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (政治部・渡辺信) その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就任し

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  • #麒麟がくる タイトル回収と思いきや全否定する主人公を中心に、松永久秀への爆死期待、最終回予想まで出てきた感想まとめ

    【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 @nhk_kirin 第1回「光秀、西へ」 よりドラマを楽しんでいただくための『トリセツ』を毎週更新していきます。 ・美濃国ってどこ? ・斎藤家と明智家の関係は? ・四書五経はどんな書物? ・東庵の借金だという百貫っていくら? #麒麟がくる ▼「第1回トリセツ」はこちら▼ pic.twitter.com/vRDaN5bHM6

    #麒麟がくる タイトル回収と思いきや全否定する主人公を中心に、松永久秀への爆死期待、最終回予想まで出てきた感想まとめ
  • 大正14年 “婦人の洋装を可とするか否とするか” 女性たちの意見が掲載された記事に新鮮な驚き「こんな時代もあったんだ」

    戦前~戦後のレトロ写真 @oldpicture1900 大正14年(1925年)、こちらもアサヒグラフの「家庭婦人 洋装の可否」という記事です。婦人の洋装を可とするか否とするか、お互いの立場から様々な意見が述べられています。 なかなか興味深い歴史考察になると思いますので記事の隅々までご覧ください。 pic.twitter.com/1vsl5Fr7WR

    大正14年 “婦人の洋装を可とするか否とするか” 女性たちの意見が掲載された記事に新鮮な驚き「こんな時代もあったんだ」
  • 模倣こそ進化のカギ? 人類は有毒な植物をどうやって料理してきたのか - BBCニュース

    画像説明, ロバート・バークとウィリアム・ウィルズ、ジョン・キングの3人は1861年にクーパーズ・クリークを目指した

    模倣こそ進化のカギ? 人類は有毒な植物をどうやって料理してきたのか - BBCニュース
  • 『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる(一ノ瀬 俊也)

    漫画、そしてアニメ映画で多くの人びとの心をとらえてきた『この世界の片隅に』。8月3日にはアニメ映画版が地上波で初放送され、12月には新作のアニメ映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開される予定だ。綿密な取材をもとにつくられたこの作品は、戦時下の人びとの日常を知るうえで多くのヒントがつまっている、と日近現代史を専門とする一ノ瀬俊也埼玉大学教授はいう。今回は、この作品を題材に戦前の女性と家制度を考えてみたい。*以下の文章には、作品の内容に関する紹介が含まれていますので、ご注意ください。 「居場所」探しの物語 こうの史代の漫画『この世界の片隅に』とそのアニメ映画版は、広島県呉市を舞台に、戦時中のある女性の日常生活をリアルに描いた物語である。空襲や原爆、そして敗戦という異常な事態のなかでも、人びとはかけがえのない日常を強く生きていたという作品のメッセージは、多くの人の心を動かしている

    『この世界の片隅に』は家制度を頭に入れて観るとよくわかる(一ノ瀬 俊也)
  • 在野の歴史研究家に望むこと

    週刊ポスト(3月15日号)誌上での井沢元彦氏の公開質問状に対して、私が今週発売の29日号で反論した。これに対して評論家の八幡和郎氏がまたまた感想をアゴラに寄せている。 呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? 上記記事で八幡氏は私の反論文について「素晴らしい出来である」と述べている。お褒めいただいて恐縮だが、八幡氏は以前にアゴラ上で発表した記事で そして、井沢氏は「安土宗論八百長説」、つまり、信長の前で浄土宗と法華宗の間で行われた宗論について信長が最初から法華宗を負けさせるつもりだったという通説が自分の問題提起をきっかけに学説も修正されたことを指摘しているが、これには一理あるだろう。(「週刊ポスト」で井沢元彦氏が呉座氏に公開質問状) と述べている。井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである

    在野の歴史研究家に望むこと
    hidemayo
    hidemayo 2019/03/21
    最初から最後までキレッキレ。ちゅごい
  • 第二次世界大戦で兵隊に行った親族がいたら三親等以内なら軍歴を知ることができる→「いま請求しなければ永遠にわからないかもしれない」「ぜひ請求したい」

    もにょもにょ @monyomonyo5 三親等以内の親族の軍歴の取り方お伝えします! もし身内に第二次大戦時に兵隊に行っていた方がいるようでしたら、 どんな部隊に配属されて、 給料いくらだったかとかわかるので、 オススメです! 続く) pic.twitter.com/tty1LuD1iB もにょもにょ @monyomonyo5 まずは心構えを。 ・とにかく人に聞こう! 兵籍簿取り慣れている人はあまりいらっしゃらないと思います。 わからない事ありましたら、 親族とか役所とかに聞きまくりましょう。 ・気長にやろう! 基電話や封書でのやり取りになります。 気長に構えましょう! 続く) pic.twitter.com/UzFPXL7GT3

    第二次世界大戦で兵隊に行った親族がいたら三親等以内なら軍歴を知ることができる→「いま請求しなければ永遠にわからないかもしれない」「ぜひ請求したい」
  • 美術史のミソジニーと折り合いをつける

    Type your search terms above and press return to see the search results. 400年も500年も昔の美術作品を調べていると、ときどき21世紀人から見るとぎょっとするような主題のものがある。 パッと思いつく限りでも、ギリシャ・ローマ神話には「それって女性側からしたらどうなん?」となるような話が満載だし(テセウスに捨てられるアリアドネとか、ゼウスに犯されるエウロパとかレダとか)、キリスト教主題だって自分らの父親を誘惑する娘たちってどうなのってなるし(ロトと娘たち)、世俗主題でも純潔を汚された乙女が自殺するのが美談になってるし(ルクレティア)。それが絵やら彫刻やらであらわされて、当時の文献で「まことに美しい」とか書かれていたら、そりゃ絵はそうやろけどこれ相当ヤバい話やで? みたいになりますわな、こちとら21世紀人なんで…。 現

    美術史のミソジニーと折り合いをつける
  • フランス皇帝ナポレオン3世、その疑惑の血統

    このまとめは、@NAKAHARA_Kanaeさんによるフォロワー限定まとめです。 まとめを見るためには、ログインして権限を確認してください。

    フランス皇帝ナポレオン3世、その疑惑の血統
  • 昔のシャンプーの広告に書かれた洗髪の頻度の推移がコレなかなか興味深いと話題に「今では考えられない」

    らび @ibaruyan 1枚目:シャンプーの広告(1932年) 2枚目:シャンプーの広告(1935年) 3枚目:シャンプーの広告(1965年) 4枚目:シャンプーの広告(1983年) pic.twitter.com/5bMLnEgUB5

    昔のシャンプーの広告に書かれた洗髪の頻度の推移がコレなかなか興味深いと話題に「今では考えられない」
  • 戦時厨房:第二次大戦時ソ連兵は何を食べていたか

    戦時中、調理師たちは兵士に高カロリーで多様な事を出すために発明の才を発揮した。彼らがどんな知恵を絞ったかお話ししよう。 戦時中、兵士の事はいわゆる「野戦厨房」で調理された。これはパンを焼くための「野戦パン焼き場」と同様に、19世紀末にはすでに現れていた。野戦厨房は移動式の車体かトラックの荷台に載ったトレーラーのような外見だった。厨房は、いくつかの釜(1〜4つ)と、材や調理器具をしまうためのコンパートメントから成っていた。 野戦厨房の釜は薪で焚いていたが、煙突から出る煙が敵に見えないよう、事は夜明け前の早朝か、辺りが暗くなった晩に作られた。釜の水は40分で沸騰し、2品から成る昼は3時間、夕は1時間半で作られた。夜の厨房は慌ただしかった。材の準備で例えばジャガイモの皮を剥いたり、釜の汚れを洗い落としたりしていた。ちなみに戦争の初期は、調理師の大部分が女性だった。 事の配給もまさ

    戦時厨房:第二次大戦時ソ連兵は何を食べていたか