草場 純(くさば じゅん、1950年[1] - )は、日本のゲーム研究家である。世界中のボードゲームやカードゲームの普及と、埋もれた伝統ゲームの発掘に努めている[2]。日本バックギャモン協会評議員。 略歴[編集] 東京都生まれ[1]。都立秋川高校卒業後[3]、1974年に東京学芸大学を卒業[1]。大学時代は漫画研究会に所属[4]。また、柴野拓美、大宮信光らが行っていた「SFファン科学研究会」に参加し[4]、現在も継続している。 卒業後、都内公立小学校に勤務し、子どもたちとさまざまな遊びを実践[1]。 1976年、ゲームについての最初の論考を『SFマガジン』2月号に掲載[1]。1982年、ゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を設立し、以来30年以上にわたって1700回を超えるゲーム会を開催[1]。 のち「遊戯史学会」に入会し、論文を発表[1]。 2000年、第1回「ゲームマーケット」を主
商品説明 上記の本の下巻です。 著者名 草場 純 販売者 くぼた屋 関連URL http://kusabazyun.banjoyugi.net 書籍情報 製本サイズ:A4 ページ数:448 表紙加工:カラー 本文カラー:モノクロ 綴じ方:無線綴じ 商品説明 ゲーム研究家の草場純さんが2005年9月よりSNSサイトのmixiに毎日書かれていた日記を製本化しました。 ※軽い気持ちで編集し始めたらたいへんな量でした(笑)。よろしければお買い求めください。 (バラ売りはいたしません。価格には送料が含まれています。) 著者名 草場 純 販売者 くぼた屋 関連URL http://kusabazyun.banjoyugi.net 書籍情報 製本サイズ:A4 ページ数:446 表紙加工:カラー 本文カラー:モノクロ 綴じ方:無線綴じ 商品説明 上記の本の中巻です。 著者名 草場 純 販売者 くぼた屋 関
「まずは体験してみてください」。東京スカイツリーの麓にある「ヒラメキ工房」を訪ねると、代表の関場純さん(68)が「ヒラメキゲーム」を取り出した。ルールを教えてもらって、カメラマンと対戦をする。軽い気持ちで始めたが、たちまち本気になり、何戦か交えることとなった。勝つための定石がないため、知力のみならず勘もものをいう印象だ。「そう、だから子どもが大人に勝つことができる」と関場さんは語る。 会社員時代から「発明」に興味があった関場さんは、リハビリ用器具など幾つかのアイデア商品を考案、一念発起して十二年前に起業した。使い手の声などからもっとも手応えを感じたのは「ボードゲーム」だった。考案したゲームを児童館などに持ち込み、「シンプルかつ楽しくないと、見向きもしてくれない。一番厳しいユーザーです」と語る子どもたちの反応を見ながら改良を加えていった。 「ヒラメキゲーム」は、そんな努力の結実のひとつとして
英ロンドン中心部で復元された、伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの寝室(2016年2月8日撮影)(c)AFP/LEON NEAL 【2月9日 AFP】英ロンドン(London)でこのほど、伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)が1960年代後半に恋人と暮らしていたアパートが復元された。部屋は10日から一般公開される。 ヘンドリックスと当時の恋人キャシー・エッチンガム(Kathy Etchingham)さんがこの部屋に住んでいたのは、1968~69年にかけて。当時の写真やエッチンガムさんの記憶を頼りに、寝室が再現され、ヘンドリックスが聞いていたというレコードも数多く用意された。併設された展示スペースには、本人が使っていたというアコースティックギターが置かれている。 復元された部屋を見たエッチンガムさんは「タイムカプセルに乗ったみたい」と興奮を隠しきれない様子だ
ボードゲーム「オセロ」の原型は戦後の焼け跡で生まれた。水戸の空襲でバラックに住んでいた少年時代。遊び道具もない旧制中学で友人と囲碁をしているうち、「挟んだら相手の石が取れるゲームにしよう」と始めた。 表裏が黒白の石を使うようになり、大学卒業後、就職した製薬会社で営業マンとして病院回りをするときこのゲームを紹介すると、医師や看護師に好評で、昭和48年に商品化にこぎつけた。「患者さんが喜んでくれる。こんなにうれしいことはない」と後に語った。 「挟んで取る」ゲームは既に英国にあり、日本でも発売されていたが、やはりこのとき生まれた「オセロ」が日本中、いや世界中に知られたものだろう。モノが何もない時代、少年の日の工夫と好奇心を持ち続け、後世に残るゲームを誕生させた。 病院回りで使っていた石は牛乳瓶のふたを3枚張り合わせ、妻と一緒に手作りしたもの。ふたの直径3・5センチが、オセロの石のサイズになった。
今夜は、音楽家の大友良英さん! 「アジアのアングラミュージック特集」と題して、大友さんがディレクターを務めるイベント『アジアン・ミーティング・フェスティバル2016』に出演するアーティストを楽曲とともにご紹介して頂きました! 【選曲リスト】 M0.『ラジオのように』/大友良英スペシャルビッグバンド M1.『What Remains Shall Be Forgotten part. IV』/クリスナ・ウェディアタマ SODADOSA M2.『Over』/スキップ・スキップ・バンバン M3.『The bad sleeps well』/ヨン・ヤンセン GOP M4.『Two To Your Right, Five To Your Left-2』/オッキョン・リー M5.『3glassbowl_spin』/フィオナ・リー M6.『CO Part IV』/The Observatory(ユエン・チー
「遊び」通じてまちづくりを ○…生田緑地では外遊び、小学校ではボードゲームイベント。「遊び」を通じ、まちづくりに取り組んでいる。ボードゲームの持つアナログの面白さを普及させたいと、おもちゃコンサルタントの資格を取得。活動を広げようと、今年1月に任意団体「わくラボ」を立ち上げた。「遊びの楽しさを通じて、今の日本を明るくしたい。子どもが夢を持てる社会を作りたい」とその思いは熱い。 ○…多摩区内にキャンパスがある明治大学建築学科を卒業し大学院へ進学。学生時代から区内で地域活性化に取り組んだ。現在は研究員としてまちづくりコンサルタント会社に勤める。「いいまちとは、そこに住む人が自分のまちを好きだと思えること。そのためには住人とのたくさんの思い出が必要」。そこで着目したのが「遊び」だ。「大切なのは活動の継続。どこかに拠点を決めて、いつでも遊びに行ける場所を作りたい」 ○…千葉県木更津市の出身。幼いこ
対戦型ゲーム「将棋ウォーズ」などの携帯端末用アプリを手がける「HEROZ(ヒーローズ)」は23日、バックギャモンの世界トッププレーヤー望月正行さん(36)とスポンサー契約を結んだと発表した。同社は望月選手の活動を資金面などで支援し、望月選手は大会やイベントで同社のバックギャモンアプリのロゴ入りジャケットを着る。スポーツ界ではテニスの錦織圭選手とユニクロの例などが知られるが、ボードゲーム界では珍しい試みといい、同社はスター選手と協力して愛好者を増やしたいという。 バックギャモンは「西洋すごろく」とも呼ばれ、世界最古のボードゲームの一つとされる。チェスなどと同じく知的ゲームとして世界中で親しまれ、日本の囲碁・将棋棋士にも愛好者は多い。 望月選手は日本人初のプロ選手で、2009年の世界選手権ではアジア人初の世界チャンピオンに輝いた。現在の世界ランクは1位。大会出場とともに普及活動にも力を入れてい
最終回、「何故、大企業へと成長したドワンゴを辞めたのか」 2014/9/1 から "株式会社アークライト" で働き始めました。 入社初日の仕事はまたしても "秋葉原で自分の PC を買ってくること" 15年前と変わったのは、今回は自作 PC ではなく SurfacePro3 を購入した点。 自作 PC のメリットは以前ほどは無くなってしまった。 さて、アークライトはどんな会社か簡単に説明すると。 主にアナログゲーム(非電源系と呼ばれたりする)のカードゲームやボードゲームを取り扱い 雑誌の出版、ショップ経営、ゲーム販売、企画、イベント運営をしている会社だ。 ここが自分の新しい職場となる。 --------------------------------------------------- 【自己アピール】 入社初日に職場で一風変わったことをやったところ、 予想以上に面白い結果が得られ、他の
前頁 拡大 次頁 今週号インデックス 週刊きちじょうじトップページへ 東京ネットホームページへ (C)2001-2007 Kichijoji Communication Center Co.Ltd. All Rights Reserved.
洞松寺住職の小野卓也(40)さん。 山形県で室町時代から続く寺の 33代目住職をつとめる小野さんは、 3人の子どもを育てる「イクメン住職」です。 研究者として働く奥さんは 週末にしか帰ってこられないため、 家事は、主に小野さんが担当。 できる人ができることをやるのは当たり前だと、 理想の親を目指す、原点とは。 「育児は修行。決して、思い通りにはいきません。」
新島 襄(にいじま じょう 英字表記:Joseph Hardy Neesima、1843年2月12日(天保14年1月14日) - 1890年(明治23年)1月23日)は、キリスト教徒の教育者である。 江戸時代の1864年(元治元年)に密出国してアメリカ合衆国に渡り、そこでキリスト教の洗礼を受けてフィリップス・アカデミー(高校)、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校で学ぶ。そして、改革派教会(カルヴァン主義)の清教徒運動の流れをくむ会衆派系の伝道団体である「アメリカン・ボード」の準宣教師となった。日本に帰った後の1875年(明治8年)にアメリカン・ボードの力添えによって京都府にて同志社英学校(後の同志社大学)を設立した。 生涯[編集] 幼少時代[編集] 天保14年(1843年)、江戸(現・東京都区部)の神田にあった上州安中藩江戸屋敷で、安中藩士・新島民治の子として生まれる。母は武州浦和宿のと
グランペールは2003年に設立されたテーブルゲームの企画・製作・販売を行っている日本のメーカー。2006年に株式会社グランペールとして法人登記された。 概要[編集] 1990年代にテーブルトークRPGの世界で活躍していたゲームデザイナーの伏見健二が2003年に設立した団体。ボードゲーム、カードゲーム、テーブルトークRPGなどのテーブルゲームの製作と出版を行っている。 「もっとも小さいゲームメーカー」を自ら名乗っており、ミニマムロットで個性的な商品を生産するガレージメーカーを志向している。そのため、グランペールから発売される商品は数百部程度しか製作されないものが多く、商品の入手もテーブルゲームの専門店でないと困難である。しかし、それゆえに商業的な需要からは製作されにくい多くの個性的なゲームの製作販売が積極的に行われている。 特徴的なところにエンドユーザーからのゲーム企画の募集を行っている部分
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く