(あらすじ) 大学で学問研究をするという今では当たり前のことは、19世紀初頭ドイツに端を発する。 これは研究と教育とを結び付けて行う新しいタイプの大学(研究大学)によるものである。 研究大学は、ゼミナール方式を採用し成功させることで、研究と教育とを結び付けるという理念を実現した。 ゼミナール方式は、大学では、まず古典文献学の分野で採用された。古典文献学ゼミナールは、ドイツの中等教育(ギムナジウム)で生まれた古典教師の需要に応えた。これにより学問研究を職業とすることが可能となり、実利的でない学問の純粋化が可能になった。 ゼミナールでは、参加者は知識を伝授されるのでなく、自分で研究を行いゼミナールで発表し、他の参加者から批判的吟味を受け、討論することが求められた。 このためゼミナールは研究者を育成するのに優れ、また批判的吟味の習慣から議論の厳密化や研究の実証性が追求される傾向が生まれた。 古典
・はじめに 例年は私大のみ収集しているので,これは特別編である。2014年は国公立大で暴走した大学がいくつか見られた。国公立大は論述問題が多く,学部別に入試を作る必要がなくて前期1回分だけ作ればよいせいか,良問が多いのが通例である。しかし,この場合は別方向に暴走することがたまにある。教員が学生に課す期末試験の感覚で入試問題を作ってしまうという現象である。これはこれで範囲外の知識を要する問題ができあがる。 ただし,あえて言ってしまえば,論述において思考力を課す試験と範囲外の知識がないと解けない試験は紙一重である。なぜなら作った側は「確かに○○という事実を知らないと解けないが,問題文でヒント出してるんだから推測できるだろこれくらい」と思い込んでいるからだ。ゆえにこうした問題は,おそらく作った本人としては意欲作なのである,困ったことに。しかしふたを開けてみれば,推測なんてつくはずもなく,ちゃんと
書籍版ができました!この年度も収録しています。 ・序 昨年の記事は大変好評をいただき,このブログでも一,二を争う長期ヒット作となった。読者の皆様に感謝申し上げる。基本的な目的意識については昨年のものとなんら変わりない。つまり,悪問や度を超えた奇問・難問に対する糾弾である。なぜならそれらの大半は偶発的な事故や意欲的な作問の結果などではなく,大学という教育研究機関にあるまじき知的怠惰の結果から生まれるものであり,それもほとんどの場合一切釈明しないという傲慢な権威主義が見られるものだからだ。本記事は単なる悪問の収集を行うだけでなく,どうしてそのようなことが言えるのか,解説を加えていくものである。ただし,収集の目的が主であるから,きちんと釈明された問題や単純な出題ミスについても収録している。ミスのない人間などおらず,謝罪・訂正のあったものについては全く批判する気はない。この点ご了承いただきたい。
三重大(津市)は新年度から、唯一の忍術継承者とされる川上仁一さん(62)(福井県若狭町)の知識や忍者の技を生かし、「忍術学」の研究を始める。 川上さんは6歳頃から滋賀県甲賀市出身の師匠に手裏剣や武術などを習い、18歳で甲賀流忍術を継承する21代目の師範となった。流派の違いがほとんどないことから、伊賀市の「伊賀流忍者博物館」の名誉館長も務めており、昨年12月には、三重大社会連携研究センターの特任教授に就任した。 暗殺やスパイの役割を担った忍者の技は門外不出で、大半が口伝で残されたとされ、史料も少ない。三重大では「忍術学」の研究を通じ、忍者が体得していた技や武術を映像化して記録したり、スパイ活動のための変装のテクニックを分析したりする。 研究内容は講演で発表するほか、伊賀市や観光協会などと連携し、観光施策に取り込むことも予定している。サークル活動などで、学生に忍術そのものを学んでもらう構想もあ
京都大学の文化祭スローガン凄すぎワロタwwww Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/04/15(金) 23:20:42.71 ID:L31TdQWl0 # 1959年(第1回) - 戦後派意識の解明 # 1960年(第2回) - 独占資本主義社会におけるマゾヒズムとサディズムの意識 # 1961年(第3回) - 仮眠の季節における僕たちのあいさつ # 1962年(第4回) - 故郷喪失の時代と僕ら # 1963年(第5回) - 噛む時には言葉を考えるな # 1964年(第6回) - ああ自然死−このナチュラルなもの # 1965年(第7回) - 新しい歴史は僕らの手で せまりくる嵐のなか わだつみの声をのりこえて 真実を求め ともに考え前進しよう 真の学問文化を追求するなかで # 1966年(第8回) - 青年よ その眸で真実を見よ # 1967年(第
※ 本サイトのデータ作成には、平成16-23,25,27,28,30,令和4年度 科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の 補助をいただいています。(データベース名:戦前期新聞経済記事文庫データベース) 【課題番号 168059,178055,188054,198039,208033,218033,228028,238025,258024,15HP8020,16HP8019,18HP8012,22HP8012】 ※ 本事業は平成26年度に公益財団法人図書館振興財団の振興助成事業の補助をいただきました。 ※ 本事業は日本学術振興会の「人文学・社会科学データインフラストラクチャー強化事業」令和5~9年度に採択されています。
ここには、1867年にイギリスにおいて出版された、J.M.シルバー『日本 のマナーと習慣のスケッチ』(原題“SKETCHES OF JAPANESE MANNERS AND CUSTOMS”)に収録されている挿 絵(27点)のうち、イギリスのセインズベリー日本藝術研究所に所蔵されている15点を、所蔵者の許可を得て掲載 しています。『日本のマナーと習慣のスケッチ』の巻頭に掲載されているシルバーの手紙によれば、この 挿絵は、シルバーが軍務で日本に滞在していた1864−5年(元治1−慶応1)に、日本のマナーと習 慣を紹介するために収集したものです。 *本ページに掲載する画像の無断使用は禁止します。 (所蔵;セインズベリー日本藝術研究所 イギリス・ノーリッチ) 九州大学デジタルアーカイブ (作成者:九州大学総合研究博物
イギリス海兵隊の艦隊に随行して来日したJ.M.W. Silverが、1864年から1865年にかけてまとめた江戸時代当時の日本における冠婚葬祭や端午の節句、切腹、入浴、お墓参りなどなどを描いた「Sketches of Japanese manners and customs」という1867年にロンドンで出版された貴重書があり、今でもAmazonではペーパーバック版が1万5000円もするというレベル。 そんな貴重書が同志社大学の「貴重書デジタル・アーカイブ」にて公開されており、ネット経由で誰でも無料で全ページ閲覧できるようになっています。一般的によく知られている27枚の彩色画を収録した第1巻だけでなく、第5巻まで公開されており、かなり太っ腹です。 閲覧は以下から。 第1巻 第2巻 第3巻 第4巻 第5巻 九州大学デジタルアーカイブのページにはもうちょっと色が鮮やかなバージョンが公開されていま
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