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2020年1月22日のブックマーク (6件)

  • 悠仁さま「異世界転生ラノベ」ご執筆! 主人公はもちろん「ご本人」でチート生活か|菊ノ紋ニュース

    文/星川晶 悠仁さまのプレッシャーと懸念 新年早々、見事な春飾りを発表され国民の度肝を抜いた悠仁さま。なんと3歳のころから盆栽を嗜まれていたという。悠仁さまと言えば、信号機やトンボの精巧緻密な模型をつくらていたが、その早熟な才能に感服せざるを得ない。だがこの状況を危惧する宮内庁関係者も多い。 「悠仁さまが発表される春飾りや工作物は、実際には職員との合作です。ですが、これらが『悠仁さま作』として喧騒されてしまっていることに、悠仁さまご自身戸惑いを覚えているようです。 皇位継承者であるがゆえに“国民の理想的象徴”でなければならないことが重荷になっていなければよいのですが…。愛子さまは年齢に見合った等身大の作品を発表されています。このような自然体でよろしいのではないでしょうか?」(宮内庁関係者) 国民(紀子さま)の期待の高さに応えようと下駄を履き、背伸びすることが、かえって悠仁さまにとってマイナ

    hinail
    hinail 2020/01/22
    ブリトニースピアーズ息子が描いたリゼロのレムのイラストぐらいの興味でページ開いた
  • 「何度も潰されかけた…」勝俣州和が明かす“TV界のタブー”打ち破った過去(オリコン) - Yahoo!ニュース

    30年以上に渡り、バラエティ番組の第一線で活躍し続けるタレント・勝俣州和。どんな大物タレントとも分け隔てなく絡める汎用性の高さから、“企画成立屋”の異名を誇るが、いることが当たり前すぎてしまうとその重要性が希薄にもなる。そういう意味では過小評価されているタレントと言えるだろう。そんな彼が、90年代のバラエティ業界でタブーとされてきた、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンら大物芸人と分け隔てなく共演するという“免罪符”を如何にして勝ち取ったのか? じっくり話を聞いた。 【貴重写真あり】実はアイドルだった…勝俣が所属した伝説のグループCHA-CHA ■欽ちゃんからの洗礼! 週5日、毎日12時間の稽古で“1番・セカンド勝俣”を確立 ――超が付くほどのテレビっ子だった勝俣さん。一世風靡のメンバーとしてオーディションに合格後、萩欽一プロデュースによりアイドルグループ・CHA-CHAとして

    「何度も潰されかけた…」勝俣州和が明かす“TV界のタブー”打ち破った過去(オリコン) - Yahoo!ニュース
    hinail
    hinail 2020/01/22
    CHA-CHAはデビュー前にキムタクがメンバーからリタイアしたグループ。"練習"はたしかにきつかったらしい。
  • Fラン卒サラリーマン on Twitter: "もう一度合コンしたい企業、二度としたくない企業 二度と合コンしたくない企業のコメントくそわろた https://t.co/xu6sgV7f4E"

    もう一度合コンしたい企業、二度としたくない企業 二度と合コンしたくない企業のコメントくそわろた https://t.co/xu6sgV7f4E

    Fラン卒サラリーマン on Twitter: "もう一度合コンしたい企業、二度としたくない企業 二度と合コンしたくない企業のコメントくそわろた https://t.co/xu6sgV7f4E"
    hinail
    hinail 2020/01/22
    合コンしたい企業の面々がハラスメント意識薄そうなところばかりなのが興味深い
  • ラルヲタが語るスピッツとの共通点

    青い鳥👁️ @ylicachan0111 私なりのラルヲタにおすすめしたいスピッツリストはあるんだけど披露する機会がない。何を根拠にと言われると難しいけど、ラルクとスピッツは似てると思ってる。 2014-10-09 15:11:30

    ラルヲタが語るスピッツとの共通点
    hinail
    hinail 2020/01/22
    たしかに「Cares of venus」と、「渚」は似てる
  • 『童貞。をプロデュース』監督・松江哲明より|松江哲明

    まずはじめに、今回の『童貞。をプロデュース』の制作・公開の経緯において、加賀賢三さんを傷つけ、その後具体的な対応をしないまま時間を経過させてしまい、さらに周りの人まで巻き込み、多大なご迷惑・ご心配をおかけしたことを心より謝罪させていただきます。 2017年8月25日に池袋シネマ・ロサで起きた出来事の後、声明以外の満足な説明もせず長い時間が過ぎてしまったことを、お詫びいたします。 ここで、最初の加賀さんとの出会いから、先日加賀さんと2年ぶりに対面したこと、そして今思っていること等、私の瑕疵をなるべく詳細に時系列で記していこうと思っております。 一つずつの章で振り返り、必要な章は【後顧】として、件に対する瑕疵やすれ違い、説明などを付け加えていきたいと思います。かなりの長文になってしまうことをお許しください。 1 加賀さんとの出会い 00年代半ば、私がバンタン映画映像学院で講師を務めていた頃、

    『童貞。をプロデュース』監督・松江哲明より|松江哲明
    hinail
    hinail 2020/01/22
    ここにきて自分は悪くないと思うなら、もうこれから先の人生を「罪悪感すらない外道」として振る舞うしか禊の方法はないと思う。何が起こったのかは別としてもね。
  • ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)

    その年のM-1が終わると「あの人はどう思ったのだろう」と感想が聞きたくなる人がいる。石田明さんはその代表的な1人だ。 漫才に点数がついて、優劣が決まる。 「漫才で点数を競う」この競技は、2001年に『M-1グランプリ』が始まる前は今ほどメジャーではなかった。 もちろん『M-1』以前から賞レース自体は存在したが、賞を獲ったから売れるというよりは、劇場でウケている芸人に送られる賞という意味合いが強かった。 『M-1』の登場は日の漫才シーンを、漫才のあり方を、芸人の考え方を大きく変えた。 競技化することで漫才はどう変わったか、そして変わらないものは何か。 2008年のM-1王者であり、そして芸能界屈指のお笑いオタクでもある『NON STYLE』石田明さんに話を聞いた。 ――漫才という芸能は来、笑わせさえすればいいものです。なのに、M-1という賞レースになると「キャラ漫才や物まねは評価されにく

    ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)
    hinail
    hinail 2020/01/22
    復活後のM-1はだんだんと欧米のオーディション番組みたいになってきたなとは思う。