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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (11)

  • 伽藍とバザール (レイモンド エリック)

    この論文ではまず、大成功したフリーソフト/オープンソース プロジェクト fetchmail を分析する。このソフトは、 Linux歴史から導かれる、ソフト工学についての意外な理論を試すという意図で実施されたプロジェクトである。論ではその理論を、二種類の根的にちがった開発スタイルという形で論じている。一つは FSF やそのまねっ子たちの「伽藍」モデルで、それに対するのが Linux 界の「バザール」モデルだ。この2つのモデルが、ソフトのデバッグ作業の性質に関する、正反対の前提からそれぞれ生じていることを示す。続いて Linux 体験に基づき、「目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない」という仮説を支持する議論を展開し、利己的エージェントによる自己修正システムとの有益な対比をしてみる。そしてこの洞察がソフトウェアの未来に対して持つ意味について、いくつか考察を行って結論としている

    伽藍とバザール (レイモンド エリック)
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    hiroomi 2021/08/10
  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

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    hiroomi 2020/03/01
  • 坂口安吾 ドストエフスキーとバルザック

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    hiroomi 2014/04/26
  • 作家別作品リスト:正宗 白鳥

    公開中の作品 新しくもならぬ人生 (旧字旧仮名、作品ID:58959) 雨 (旧字旧仮名、作品ID:55169) 『アルプスの真昼』(セガンチーニ作) (旧字旧仮名、作品ID:58967) 入江のほとり (新字新仮名、作品ID:53030) 入江のほとり (旧字旧仮名、作品ID:57319) 回想 (旧字旧仮名、作品ID:58961) 学問の独立 (旧字旧仮名、作品ID:57980) 学校の今昔 (旧字旧仮名、作品ID:57981) 仮面 (旧字旧仮名、作品ID:55159) 軽井沢にて (新字新仮名、作品ID:54868) 軽井沢より 〔小川未明君へ。〕(旧字旧仮名、作品ID:59749) 奇怪な客 (旧字旧仮名、作品ID:55167) 吉日 (旧字旧仮名、作品ID:55165) 今日は無事 (旧字旧仮名、作品ID:58963) 空想としての新婚旅行 (新字新仮名、作品ID:60170)

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    hiroomi 2013/07/31
  • 夏目漱石 夢十夜

    こんな夢を見た。 腕組をして枕元に坐(すわ)っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭(りんかく)の柔(やわ)らかな瓜実(うりざね)顔(がお)をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇(くちびる)の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確(たしか)にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗(のぞ)き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開(あ)けた。大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸(ひとみ)の奥に、自分の姿が鮮(あざやか)に浮かんでいる。 自分は透(す)き徹(とお)るほど深く見えるこの黒眼の色沢(つや)を眺めて

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    hiroomi 2013/07/31
  • 夏目漱石 思い出す事など

    ようやくの事でまた病院まで帰って来た。思い出すとここで暑い朝夕(あさゆう)を送ったのももう三カ月の昔になる。その頃(ころ)は二階の廂(ひさし)から六尺に余るほどの長い葭簀(よしず)を日除(ひよけ)に差し出して、熱(ほて)りの強い縁側(えんがわ)を幾分(いくぶん)か暗くしてあった。その縁側に是公(ぜこう)から貰った楓(かえで)の盆栽(ぼんさい)と、時々人の見舞に持って来てくれる草花などを置いて、退屈も凌(しの)ぎ暑さも紛(まぎ)らしていた。向(むこう)に見える高い宿屋の物干(ものほし)に真裸(まっぱだか)の男が二人出て、日盛(ひざかり)を事ともせず、欄干(らんかん)の上を危(あぶ)なく渡ったり、または細長い横木の上にわざと仰向(あおむけ)に寝たりして、ふざけまわる様子を見て自分もいつか一度はもう一遍あんな逞(たくま)しい体格になって見たいと羨(うらや)んだ事もあった。今はすべてが過去に化して

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    hiroomi 2013/07/31
  • 夏目漱石 硝子戸の中

    硝子戸(ガラスど)の中(うち)から外を見渡すと、霜除(しもよけ)をした芭蕉(ばしょう)だの、赤い実(み)の結(な)った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来(こ)ない。書斎にいる私の眼界は極(きわ)めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。 その上私は去年の暮から風邪(かぜ)を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐(すわ)っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来(く)る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いが

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    hiroomi 2013/07/31
  • 福沢諭吉 学問のすすめ

    「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする

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    hiroomi 2013/04/01
  • 牧野信一 ゼーロン

    更に私は新しい原始生活に向うために、一切の書籍、家具、負債その他の整理を終ったが、最後に、売却することの能(あた)わぬ一個のブロンズ製の胸像の始末に迷った。――諸君は、二年程前の秋の日美術院展覧会で、同人経川槇雄作の木彫「」「牛」「木兎(みみずく)」等の作品と竝んで「マキノ氏像」なるブロンズの等身胸像を観覧なされたであろう。名品として識者の好評を博した逸作である。 いろいろと私はその始末に就(つ)いて思案したが、結局龍巻(たつまき)村の藤屋氏の許(もと)に運んで保存を乞(こ)うより他は道はなかった。兼々(かねがね)藤屋氏は経川の労作「マキノ氏像」のために記念の宴を張りたい意向を持っていたが、私の転々生活と共にその作品も持回わられていたので、そのままになっていたところであるから私の決心ひとつで折好(おりよ)き機会にもなるのであった。 私は特別に頑丈な大型の登山袋にそれを収めて、太い杖を突き

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    hiroomi 2013/03/31
  • 古川緑波 牛鍋からすき焼へ

    「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」 と、僕の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。 無論、明治の話。然し、それも末期だ。だから、その頃は、牛鍋は、ギュウナベと言いました。 今でこそ、牛肉すき焼と、東京でも言うようになったが、すき焼というのは、関西流で、東京では、ギュウナベだったんだ。今でも、ギュウナベと言いたいんだが、そんなこと言ったら、映画を活動写真と言うのより、もっと嘲(わら)われそうだ。いいえ、通じないんじゃないか、第一。 僕が、その牛鍋を、はじめてったのは、四谷見附の三河屋だった。 三河屋の牛鍋は、それから何十年間、成長してからも、った。そして、今でも、牛肉と言えば、三河屋を思う程、深い馴染の店だった。 そして、誰が何と言っても、三河屋くらい美味い店は無かった、と思っている。 四角い、長方形の薄い皿に、牛肉が並んでいる。皿は、周囲に藍色の模様、肉の並べ

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    hiroomi 2012/11/03
  • 菊池寛 入れ札

    上州(じょうしゅう)岩鼻(いわはな)の代官を斬(き)り殺した国定忠次(くにさだちゅうじ)一家の者は、赤城山(あかぎやま)へ立て籠(こも)って、八州の捕方(とりかた)を避けていたが、其処(そこ)も防ぎきれなくなると、忠次を初(はじめ)、十四五人の乾児(こぶん)は、辛(ようや)く一方の血路を、斫(き)り開いて、信州路へ落ちて行った。 夜中に利根川(とねがわ)を渡った。渋川の橋は、捕方が固めていたので、一里ばかり下流を渡った。水勢が烈(はげ)しいため、両岸に綱を引いて渡ったが、それでも乾児の一人は、つい手を離したため流されてしまった。 渋川から、伊香保(いかほ)街道に添うて、道もない裏山を、榛名(はるな)にかかった。一日、一晩で、やっと榛名を越えた。が、榛名を越えてしまうと、直(す)ぐ其処に大戸(おおど)の御番所があった。 信州へ出るのには、この御番所が、第一の難関であった。この関所をさえ越して

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    hiroomi 2012/05/16
    短編小説礼讃(P099)から
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