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1955年東京生まれ。77年慶大経済卒。同年城南信用金庫へ。92年理事・企画部長、96年常務理事、2006年副理事長を経て、昨年11月より現職。自らの年収を支店長(1200万円)以下に抑え、理事長・会長任期を最長4年、停年を60歳とする異色の改革を断行。信金業界切っての論客である。 写真/平尾秀明 ――城南信用金庫がホームページ上で訴える「原発に頼らない安心できる社会へ」と題する「脱原発」宣言が話題を呼んでいます。 吉原 大震災の被害は、私の想像をはるかに超えるものでした。痛切に、何かをしなければならないと思いました。城南信金の実質的な創立者である小原鐵五郎元会長は「銀行に成り下がってはいけない」と説いていました。地元の協同組織金融機関である信金は社会貢献(地域社会の繁栄)のために生まれた組織であり、お金儲けのためにやっている銀行ではないということです。信用金庫は困っている人に手を差しのべ
原子力研究の落日、使命を見失った学者たち――象牙の塔の「罪と罰」(1) - 11/07/07 | 16:13 5月21日、都内のとあるホテル。福島第一原子力発電所事故後初めてとなる、日本原子力学会のシンポジウムが開かれた。傍聴席からの質問に答え、東京大学の岡本孝司教授は、「津波に対するリスクの認識が非常に甘かった」と学会の責任について言及した。だが、事故発生からすでに2カ月余り。遅すぎた反省の弁は、むなしく会場に響き渡った。 学界は原子力業界の基盤を成す存在だ。原子炉メーカーや電力会社など産業界に人材を送り込むほか、日本の原子力政策を決める原子力委員会、安全基準の策定や審査を行う原子力安全委員会など、国の中枢機関の構成員の多くも、研究者が占める。それだけに、今回の事故で問われる責任も重い。 原発の安全確保について、「結果として、学者は専門家としての力量を提供できていなかった」。そう分析
破壊的イノベーションという陥穽が優良企業をいともたやすく衰退へ導く──。「イノベーションのジレンマ」の著作で日本でもよく知られる米ハーバード大学ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授から、大震災後の復興に取り組む日本のビジネスリーダーに向けて1通の手紙が届いた。日本に助言を、という本誌の求めに快く応じてくれたものだ。 クリステンセン氏はここ数年、いくつもの大病を患って闘病生活を強いられていた。2007年11月に突然、心臓発作に襲われた。その2年後には悪性腫瘍が見つかる。昨年7月には脳卒中で倒れて言語中枢の機能に障害が残るという三重苦を味わった。いまだに残る障害にもかかわらず、丁寧に打ち込まれた長文の手紙の内容は、極限的辛苦を味わった者同士だけが共感できる「原点」の教えだった。 (訳・構成=ニューヨーク支局 水野 博泰) 今回の自然災害と、その結果として引き起こされた福島第1原子力
カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま) 「非現実的な夢想家として」 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に
ソフトバンクの孫正義社長が、東京電力福島第1原子力発電所事故を受け、全国10カ所程度で大規模太陽光発電所(メガソーラー)の建設を検討し、埼玉県や近畿などの7府県でつくる関西広域連合が協力に名乗りを上げていることが21日、分かった。 埼玉県の上田清司知事は21日、記者団に、ソフトバンクが79億円、県が1億円を拠出して県内に建設する方針で調整を進めていることを明らかにした。孫社長は関西広域連合のほか、神奈川県など10都県が参加する関東地方知事会との連携も模索している。総事業費は800億円規模に上り、各自治体に一部の負担を要請する意向だ。 孫社長は同事故を受け、脱原発を訴え、再生可能エネルギー事業への参入に意欲を示していた。
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 大震災の復旧とそれを契機とする再興計画を巡っては、ネットでの論戦を含めると既に議論が百出している。そこで本稿では、それらの議論でやや欠けていると思われる「グローバルな思考」を加え、編集者からの注文であるマネジメント論を取り入れた私見を述べてみたいと思う。 論点を具体的にするために、ある仮定を置こう。いま日本では、夏のピーク時の電力不足が大問題になっているが、もし日本の北九州市と韓国の釜山市との間に海底送電ケーブルが敷設されたなら、どうだろうか。 韓国の電力需要は冬がピークで夏には余力がある。日本のピーク時には韓国から送電してもらい、逆に韓国の冬のピーク時には日本の余剰電力を送電する。これができれば、お互いにピーク時の電力不足という危機は解消さ
25年前のチェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシに渡り、5年半、現地で甲状腺がんの子供の治療にあたった外科医の菅谷昭さん(すげのや・あきら/現・長野県松本市長)。 18日のニュースウオッチ9で放送した特集の中で、時間の都合でお伝えできなかった菅谷さんの講演内容を全文掲載します。 「テーマ:子供たちを被ばくからどう守るのか」 2011年5月14日午後1時半から1時間程度 福島市の保育園にて 講師:長野県松本市長/医師 菅谷昭(すげのや・あきら) ベラルーシの小児科医 アナスタシア・タルカチョア 長野県立こども病院副院長 中村友彦(なかむら・ともひこ) 【菅谷医師】 今回、こういう形で、まさか私が保育園のお母さん、お父さん方とお話しするとはゆめゆめ思っておりませんでした。私は元々が外科の医者でありまして、なおかつ私の専門とする領域が甲状腺ということで、私自身1996年から5年半、チ
東日本大震災の遺児の支援に向けて手を重ねる安藤忠雄さん(右から2人目)、小柴昌俊さん(同3人目)、柳井正さん(右)ら=東京都千代田区で2011年5月18日午後0時35分ごろ、木村健二撮影 東日本大震災で親を亡くした遺児を支援するため、建築家の安藤忠雄さん(69)らが18日、育英資金を集める「桃・柿育英会」を発足させると発表した。一口年額1万円の寄付を1万人に10年間続けてもらい、目標額は10億円。被害の大きかった宮城、岩手、福島3県の教育委員会を通じて来年度から支給を始めるという。 安藤さんらは95年の阪神大震災でも同様の育英資金約4億9000万円を集め、遺児418人に支給している。支給額は阪神の際の月額(小中学生6000円、高校生2万円)を目安にする。育英資金は父母のいずれかが亡くなった場合でも支給対象にする。 発起人は、実行委員長の安藤さんのほか、ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さん(
福島第一原発事故の直後、私はアメリカのメディアにかかわる知人から、「なぜ日本人は二度も原爆を受けながら、アメリカからもらった原発技術で日本列島を覆ってしまったのか」と問われた。私は即座に「死の灰」を浴びたことと深い関係があると答えた。 1954年、日本漁船・第五福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験に遭遇。乗組員23人が被曝し、うち1人が死亡した。同年、水爆で生まれた怪獣が暴れ回る映画「ゴジラ」が制作された。全国に原水爆禁止運動と反米感情が巻き起こると、アメリカは原子力の平和利用を掲げて、57年、東海村に「原子の火」を“贈与”。63年には原子力で動く正義のロボットが活躍する「鉄腕アトム」がアニメ化された。これ以降、日本の子どもの中に「ゴジラ=原爆・戦争」と「鉄腕アトム=原発・平和」が同居するようになった。 こうした心象を、評論家加藤周一は、「比喩的に言えば、原子爆弾とは制御機構の故障し
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震災以降、何か気分が変わって、まだその中にいる。 震災前、ぼくは、日本の大学入試のあり方や、新卒一括採用のあり方、記者クラブ、それから、ルールやコンプライアンスを出来損ないの人工知能のように押しつける日本の社会のあり方について、大いに違和感を抱き、そのことを表明してきた。 震災が起こり、みながその対応にかかり切りになった。その時、ルールやコンプライアンスなどを杓子定規に当てはめることが無意味だとみなが気付いた。そのこと自体は良かったけれども、気付いてみると、依然として古い日本の制度は残り、システムは存在し、組織は続いている。 ぼくは二つの意味で無力感にとらわれた。一つは、いくら言葉を尽くしても変わらなかったのに、震災という外部要因であっけなく変わってしまったということ。それから、震災の後も、アンシャン・レジームは化石のように残り続けているということ。 ぼくは次第に、社会の中で意味のわからな
高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。 高さ10メートル超となった東日本大震災の津波でも、堆積物の厚さは5〜7センチ程度。専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると指摘している。 駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、東日本大震災のような巨大地震が300〜350年周期で起き、大きな津波も発生している。 今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日本大震災以前では、最大級とされる宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだった
1939年、福島県郡山生まれ。東京大学法学部卒。日本青年会議所副会頭を経て83年に参議院議員、87年に大蔵政務次官。88年に福島県知事に当選し、5期目に収賄疑惑で辞任、逮捕起訴された。全面否認したが一、二審とも有罪判決が出て最高裁に上告中。著書に『知事抹殺』(平凡社)。 ――「そのとき」どうしていましたか。 佐藤 郡山の自宅の居間で、突然、携帯電話の緊急地震速報のアラームが鳴りました。家内と庭に飛び出したとたん、立っていられないほどの揺れとなり、隣家のブロック塀が大きくたわむのが見えました。長い揺れが収まって家の前に出ると、小学校5年生ぐらいの男の子がおびえて泣きながら歩いて来るので「大丈夫だ」と元気づけてあげましたが、巨大地震の異様さが実感としてじわじわと押し寄せてきました。 ――不幸にして知事時代に懸念されていた原発事故のリスクが現実のものになりました。 佐藤 まさか、これほど大きな事
危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う> 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の
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