さて、金食い虫のトランジスタであったが、東京通信工業(ソニーの前身、以下東通工)仙台工場が稼動し始めた1954年6月には、東京・品川の本社工場ではポイントコンタクト(点接触)型、ジャンクション(接合)型両トランジスタを使って、初めてトランジスタラジオの試作を始めるまでになっていた。 10月になると、日本で初めてのトランジスタ、ゲルマニウムダイオードの披露会を東京・千代田区の東京会館で開いた。当日、東京会館の片隅で、井深と笠原、そして三田無線の茨木悟氏が先ほどからコソコソと立ち話をしていた。笠原が井深から、トランジスタの呼称を何としようかと相談を受けていたのだ。笠原はしばらく考えて、「結晶の晶の字をとって“六晶”“七晶”と言ってはどうでしょう」と提案した。しかし茨木氏から「時計と同じように“石”(せき)を使ってはどうだろうか」という意見が出された。井深も即座に賛同して、以後トランジスタは“石