宣言 2015-09-04 新・方法主義Shift_JIS宣言 2014-09-04 新・方法主義第四宣言 2013-09-04 新・方法主義じゃんけん宣言 2012-09-04 新・方法主義第三宣言 (PDF) 2011-09-04 新・方法主義第二宣言 2010-09-04 新・方法主義宣言 機関誌「新・方法」 2019-04-04 「新・方法」第67号 寄稿:齋藤恵汰(芸術家、経営者) 2019-02-04 「新・方法」第66号 寄稿:岸井大輔(劇作家) 2018-12-04 「新・方法」第65号 寄稿:郡司侑祐(画家・ひとり美術館 館長) 2018-10-04 「新・方法」第64号 寄稿:内田百合香(画家、画商) 2018-08-04 「新・方法」第63号 寄稿:大和田俊(アーティスト) 2018-06-04 「新・方法」第62号 寄稿:筒井宏樹(近現代美術史) 2018-04-0
アショカ財団が、日本のCountry Rep(国代表)の公募を始めました。 下記概要です。(概要PDFダウンロードはこちら) アショカ国代表の履歴書の送り先は次の両方です。 ご興味ある方は、ぜひお申し込みください。 ※アショカ財団(Ashoka: Innovators for the Public)は社会起業家を支援する組織。 ビル・ドレイトンによって設立され、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパの46カ国で活動。 これまで支援した社会起業家は1400人以上。 合計4000万ドル近くを提供するとともに、専門的な助言なども行っている。 Ashoka: Innovators for the Public http://www.ashoka.org/(英語)
日本の刑事司法制度に世界の目を!! 〜取調べの全面可視化と、自由権規約の個人通報制度に入ることを求めるウェブアクション 「私が驚いたのは、警察はもちろん犯人が誰であるか知っている、被疑者が罪を犯したか否かを知っている、という(日本政府)代表団の発言です。これは警察の役割ではありません」 (2008年、国連自由権規約委員会) 2008年、ジュネーブで行われた日本政府報告書審査の席上、国連自由権規約委員会は、日本政府代表に対し、日本の刑事司法が国際人権基準に明らかに違反していると厳しく批判した。 TAKE ACTION 1 総理大臣に、個人通報制度への日本の参加を求めるメッセージを送り、日本の刑事司法制度に世界の目を導入しよう!! 2008年、国連の自由権規約委員会は、日本政府に対して、国連自由権規約の個人通報制度に入るよう勧告しています。この制度は、個人が国連の人権機関(自由権規約委員会)に
著者、小熊英二は、これまでにも一連の力作((『単一民族神話の起源』、『〈日本人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』)など)で、その力量を遺憾なく発揮しており、私の注目を引いていた。私はややもすると他人の著作を読んでその欠点に目が向いてしまうという、教育者にあるまじき困った性格の持ち主なのだが、彼の仕事に関しては、多少の部分的批判がないわけではないにしても、概して非常に高く評価してきた(1)。その彼が、一九六八年前後の日本の若者たちの叛乱を主題とする本を書いた。これはちょっとした事件である。ちょうどあれから四〇年を経たということもあり、刊行の時点で、世間全般でもこの主題への関心が高まりつつあった。あの時代に若かった世代の人間にとってと、当時のことを直接知らない今日の若い世代とでは、関心の持ち方も大きく異なるだろうが、とにかく四〇年前の出来事を振り返り、なにがしかのことを考えてみたいという欲求は
特別講演会 北田暁大講演会「現代若者のナショナリズム―そのありかたと変化」が開催されました 講演は、論壇から距離を置こうと考えている、という北田氏のいささか衝撃的な発言で幕を切りました。その発言に込められた北田氏の思いが、ここ10年の論壇を振り返るという形で明らかにされていきます。 まず、ここ10年の論壇が、若者のナショナリズムと労働という問題を中心に展開してきたこと、しかも、前者をめぐって保守派と左派が真逆の論調をとってきたことに注意が促されました。保守派は若者のナショナリズムの欠如を憂い、左派は若者のそれの過剰に不安を表してきたのです。さらに、左派のいうナショナリズムへの傾倒は、しばしば労働をめぐる若者の不安と結びつけられて説明されてきました。 しかしながら、北田氏は保守派、左派両者の極端な若者観はイメージに過ぎないし、労働環境などをめぐる若者の不安とナショナリズムが明確には結びついて
派遣法審議会傍聴報告+キャバクラユニオン結成記者会見報告 栗田隆子 朝八時、厚生労働省・合同庁舎9階会議室で行われた「第141回労働政策審議会職業安定分科会労働力需給制度部会」はぎっしりと人が詰まっていた。 ほとんどがスーツを着た男女。傍聴席側からみて右手に使用者側代表、その反対に労働者側代表、そしてちょうど正面に公益側が座っている。 使用者側の発言が聞こえてきた。 「製造業派遣の禁止というものは大変困ります。5年前とは違い、中国も伸びている。インドだって車が作れる時代になっている。グローバリゼーションが波及しており、派遣なしには企業は成り立たないのです。製造業派遣にも女性はおりますし、製造業派遣にも例外を設けて欲しい」と秋山さんという使用者側の女性が話をしている。 「製造業派遣にも女性はいるのです。その女性のことを考えて欲しい。『ワーク・ライフバランス』を考えているからこそ、派遣が必
ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばから見放されるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体であるわたし達を見放すのです。 (『海を流れる河』"失語と沈黙のあいだ"より引用) そう日本社会へ警鐘を鳴らしたのは、詩人石原吉郎(1915-1977年)である。彼は24歳で召集され、敗戦後ソ連のラーゲリ(強制収容所)にて抑留、その後スターリン死去による特赦で帰国を果たすまでの8年を、シベリア各地を転々と過ごした。懐かしい祖国の土を踏んだ時、石原はすでに38歳になっていた。 石原が身を投じた最北8年の歳月は、私の想像も及ばぬ世界である。しかし、彼が遺した散文からその苛酷さを想像することは可能だ。 十七のときに抑留され、ハバロフスクで二十二になったこの<少年>が、声をころして泣いているさまに、私は心を打たれた。泣く理由があって、彼が泣いているのではなかった
ひきこもる人たちは、コミュニティでの人間関係は下手だが、選挙での投票率は高いといわれている*1。 つまり、《お祭りとしての意思決定》には比較的参加しやすいが、あいまいに持続して息継ぎの場所もよく分からない《日常の意思決定の関係性》が、できない。 システムに担保される意思決定の場があれば、参加しやすい。 あいまいなコミュニケーションを直接要求されるのではなく、暴力的に固定されたインフラにしたがって選択権を行使すれば済むような参加(選挙、インターネット等)。 「民主主義2.0」として、ネットでの直接選挙等が取りざたされているが*2、そこでは意思決定の方法が話題になっているだけで、《参加》の側面が論じられていない*3。 いくら新しい投票システムを考案しても、それは一時的なお祭りシステムを考案することに当たる。 斬新な意思決定システムの陰で、ベタな人間関係は前近代的体質で残り続ける。 継続的な社会
マシナリさんが「紛争になってからではもう遅い」というエントリで、労働委員会が個別労働紛争処理に熱を上げていることに皮肉を効かせています。 http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-349.html >「人事労務管理の個別化、労働組合組織率の低下」って労働委員会が言っちゃっていいんでしょうか? 排他的交渉権を認めず複数組合に個別の労働基本権を認めてきた労働委員会が、同じ企業内で正社員中心の利益団体と少数派正社員による思想集団とに分断され、それらに包摂されない非正規社員は企業外の地域ユニオンがまとめ上げるという、職場単位ではちっとも団結しない労働組合を作りだしたのではなかったですかね? 集団的労使関係構築の支援を本来の使命とする労働委員会が個別労働関係紛争処理の広報活動に力を入れるというのは、とうとう行き着くところまで行ってしまったなあと感慨深いもの
「暇すぎて死にそうなので>>4の半生でも聞こうと思う」(ニコニコVIP2ch) 【はてブ】 凝った筆名や実名ではなく、「4」「325」など、番号だけで「自分語り」がされていく。 本当に目指すべきはこっちだ。 2000年前後に「当事者本」が流行ったが、そうした本の著者名には、「>>4」という意味しかない。 誰が語ろうと、それは数ある検証素材の一つであり、番号のついた一事例でしかない。 ところが商業的には、あくまでキャラ立ちが目指される。 「この人はいかに特殊か」という演出で、商品の価値が仮構される。 現代人の社会化は、常にこのように詐欺的な方法をとる。 「自分はいかに特権的な一回性か」を、ウソをついて誇示する。 商品市場では、自分をフェティッシュとして確立できた人間の勝ちなのだ*1。 この方向には、ナルシシズムの確保しかない。 ちやほやされ、消費財として利用される「当事者」しかいない。 「当
農舞台方向の景色を見ながら、朝食をとる若者たち 住民が名画に扮した、大成哲雄+竹内美紀子《上鰕池名画館》 田島征三《鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館》 地域住民においては、作品制作への参加や作品管理のなかで、より能動的な姿が見られるようになった。公式版を補うより詳しいマップや案内板の制作、各地でおもてなし所が設けられた。冷やした夏野菜を旅人にくれるような土地柄でもあり、今回はそれを意識的に、作品の脇に野菜や特産品の販売所を設けるところもあった。小荒戸集落では、区長の発案でキジマ真紀やペルラ・クラウセとの協同制作の様子を写真展示。越後妻有地域ではよく見かける「径庭」も手がかけられ、作品へ向かう坂道がマリーゴールドで彩られた。下条地域では、女衆達が切り盛りする《うぶすなの家》が今年も繁盛した。「人が大勢来てくれることをただ喜んでいるだけではだめだ」と、自分なりの作品説明やおもてなしを考える人
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