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僕の先手で対一手損角換りの戦型に。 やや模様のいい将棋と思っていましたが、短気な仕掛けでフイにしてしまいました。 苦しい戦いの中、迎えた下図。相手の手番です。 苦しいながらも粘れているかと思いましたが、ここで△7七桂成が好手。 ▲同飛は△7六歩▲7八飛△8八金、▲同銀も△5七香成▲同金以降、△3六馬の筋があって分かりやすい負けです。48の地点に利きが無くなるのが痛いです。 この桂が取れないようでは、、、とここで負けを覚悟しました。 またもや順位戦は苦しい星取りになってしまいましたが、年明け3戦気持ちを切り替えて頑張りたいと思います。 この日の昼過ぎに米長会長の訃報を知りました。 対局中だったので、そのときは務めて考えないようにしましたが 終局後からは会長とのいろいろなことを思い出していました。 この記事の写真を見たときは胸が詰まりました。 会長がいたからこそ、自分のプロ編入も実現しました。
ダンディーさと奔放な言動で知られる日本将棋連盟会長の米長邦雄さんが18日朝、前立腺がんのため東京都新宿区内の病院で逝去した。69歳だった。棋士として、同会長として米長さんほど将棋界に多大な影響を与えた人はいないだろう。一方で、自由奔放に棋士人生を駆け抜け、問題児であり続けた米長さんのもう一つの野望は、“死ぬまでに1000人斬り”だった。 米長さんは中学1年で佐瀬勇次名誉九段に入門。1963年に19歳でプロ入りし、73年に「棋聖」のタイトルを奪取。85年に通算5期となり「永世棋聖」の称号を獲得した。93年には史上最年長の49歳11か月で「名人」に。通算の獲得タイトルは19期で、2003年に現役を引退、05年から日本将棋連盟会長を務めていた。 多くの名誉を手にした米長さんだが、品行方正という言葉は似合わない人物だった。 昨年、始めたツイッターで「うんこなう。快心の作です。直径2センチで長さ80
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