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米長邦雄に関するhokaze153のブックマーク (28)

  • 足の早いもやしはレンチンして保存! | NHKテキストビュー

    変わりつづける。学びつづける。新しい自分に出会うための1ページ。

    足の早いもやしはレンチンして保存! | NHKテキストビュー
  • 盤上の勝負 盤外の勝負 - Chikirinの日記

    故米長邦雄氏の『われ敗れたり』 を読んで最も勉強になったのは、将棋の勝負は、盤上の技能だけで決まるわけじゃないとわかったことです。 われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る 作者: 米長邦雄出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2012/02/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 42回この商品を含むブログ (51件) を見る このには、将棋ソフトとの対局が決まった時、米長氏がどんな準備をしたかについて書いてあります。ソフトの指し方を研究するなど、将棋の技能に関する準備もあるのですが、実はそれ以外にもいろいろと準備が必要なんです。 たとえば、米長氏は「勝負の前日から将棋会館に宿泊する」ことを希望しました。 コレ、なぜかわかります? この勝負には大きな注目が集まっていました。米長氏が対局日の朝に自宅から将棋会館に向かえば、入り口で待ち受けたマスコミの記者たちにもみくちゃに

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  • 『われ敗れたり』 米長邦雄 - Chikirinの日記

    前日将棋連盟会長、米長邦雄永世棋聖の『われ敗れたり』を読みました。この、めちゃくちゃおもしろいです。 「おもしろい」というのは、「勉強になった」とか「米長さんってやっぱりスゴイ!」ではなく(いや、それもあるけど)、文字通り、吹き出すほどおもしろかったという意味で、読んでいて何度も声を出して笑いました。 われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る 作者: 米長邦雄出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2012/02/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 42回この商品を含むブログ (51件) を見る 内容は、昨年 2012年の1月14日、米長氏がボンクラーズという将棋ソフトに負けた第一回電王戦についての敗戦記です。(氏はその年末=去年末に他界されています) 米長氏は、トップ棋士としてのキャリアはもちろんですが、その自由で破天荒な性格でも知られており、加えて「将棋界の経営者

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  • 米長邦雄永世棋聖インタビュー 第2回将棋電王戦

    米長邦雄永世棋聖インタビュー 第2回将棋電王戦 [ゲーム] 第2回将棋電王戦に関しての米長邦雄永世棋聖のインタビューついに開催される第2回将棋電王戦プロ棋...

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  • 米長邦雄永世棋聖の葬儀に将棋関係者や各界の人たちなど約2000人が参列: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    米長邦雄永世棋聖(前・将棋連盟会長)が12月18日に69歳で死去し、23日・24日に東京都目黒区碑文谷の円融寺で葬儀が営まれました。 写真・上は、白菊であしらわれた祭壇。米長が青色を好きだったので、遺影の周囲には青のデルフィニウムの花が囲みました。 祭壇の遺影は、米長が7回目の挑戦をした1993年(平成5年)の名人戦第4局での終局後の光景のようです。米長はその対局で中原誠名人に4連勝し、49歳11ヶ月という最年長記録で念願の名人位を獲得しました。写真はまさに日一の笑顔となりました。 写真・下は、告別式での光景。右端は、参列者を迎える連盟の専務理事(現・会長)で葬儀委員長を務めた谷川浩司九段。その隣は、米長の弟弟子の丸山忠久九段。 葬儀には、羽生善治三冠、森内俊之名人、渡辺明竜王、佐藤康光王将をはじめ棋士や将棋関係者、生前の幅広い交際を象徴するように政治・経済・メディア・芸能など各界の人た

  • 追悼 米長邦雄 元弟子林葉直子が「ライバルと不倫してごめんなさい」 | 特集 - 週刊文春WEB

    12月18日、日将棋連盟会長の米長邦雄氏が亡くなった。享年69。昭和を代表する名棋士だったが、晩年は連盟内で権力を一手に握り、セクハラ・パワハラ問題も報じられた。かつての弟子、林葉直子さん(44)が師匠の「当の素顔」を語る。 「米長さんの体調が悪い事はお付き合いのある棋士たちから聞いていました。この1、2カ月、一門の弟子など親しい人を呼んで最後の挨拶をしていたそうです。18日の午前中に一報を聞いて、ああ、やっぱり、と思いました。一言ではとても言えない、様々な気持ちがあります」 福岡の天才少女だった林葉さんは11歳の時に女流アマ名人戦で優勝。その後、米長氏の弟子となった。 「思えばあそこで私の人生も大きく変わったのかも知れませんね」 林葉さんは先崎学八段とともに米長宅に住み込み、「内弟子」として生活していたが、実は米長氏とは一局も将棋を指したことがないという。 「ないですね。一度も。そも

    hokaze153
    hokaze153 2012/12/26
    ”師匠のライバルと不倫したのは申し訳なかった。” そういう問題か
  • 【おやこ新聞】まめちしき 「泥沼流」ってどんな将棋? - MSN産経ニュース

    hokaze153
    hokaze153 2012/12/26
    羽生には何流と呼ばれるものがないという不思議。羽生マジックとは言われるが。
  • どうなるのだろうコラムの連載(週刊現代) - ストンリバーの日記

    将棋連盟の米長会長が亡くなられたのは各報道等で周知のことである。 米長さんは長い間、週刊現代に1ページもののコラムを連載していた。 最近、装いも新たにして「棋士の愛した駒たち」と題したシリーズが始まったばかりである。 書き溜めした分(1月5日・12日合併号で大山名人が登場は確認)があるにしても、おそらく連載は打ち切りになるのではなかろうか。 その週刊誌の12月22日・29日合併号に登場したのが永瀬拓矢五段である。 好きな駒が「歩」とある。その実戦例として紹介されたのが今年タイトルを獲得した第2期加古川清流戦3番勝負の第1局である。 上図は後手の伊藤真吾四段が63銀と指した局面。先手の永瀬拓矢五段が指した手は後手飛車の退路に蓋をする85歩である。 受け将棋がうまいイメージもある彼の棋風からして、遠くは伊藤看寿が大橋宗与との1局で指した「魚釣りの底歩」あたりの手を期待したが、よき実戦棋譜が

    どうなるのだろうコラムの連載(週刊現代) - ストンリバーの日記
    hokaze153
    hokaze153 2012/12/23
    誰か連載を引き継ぐといいのですが。弟子の先崎八段あたりが適任かなあ。
  • NIKKEI STYLEは次のステージに

    キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。

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  • 囲碁・将棋チャンネルホームページ

    プロ棋戦やアマチュア大会などはもちろん、レベル別に分かれた講座番組、視聴者ご自身が参加できる棋力認定などバラエティに富んだ番組内容でお届けしています。覚えたての方から高段者まで幅広く楽しんでいただけるチャンネルです。

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  • 12/18 阿部(光)四段戦

    僕の先手で対一手損角換りの戦型に。 やや模様のいい将棋と思っていましたが、短気な仕掛けでフイにしてしまいました。 苦しい戦いの中、迎えた下図。相手の手番です。 苦しいながらも粘れているかと思いましたが、ここで△7七桂成が好手。 ▲同飛は△7六歩▲7八飛△8八金、▲同銀も△5七香成▲同金以降、△3六馬の筋があって分かりやすい負けです。48の地点に利きが無くなるのが痛いです。 この桂が取れないようでは、、、とここで負けを覚悟しました。 またもや順位戦は苦しい星取りになってしまいましたが、年明け3戦気持ちを切り替えて頑張りたいと思います。 この日の昼過ぎに米長会長の訃報を知りました。 対局中だったので、そのときは務めて考えないようにしましたが 終局後からは会長とのいろいろなことを思い出していました。 この記事の写真を見たときは胸が詰まりました。 会長がいたからこそ、自分のプロ編入も実現しました。

    12/18 阿部(光)四段戦
    hokaze153
    hokaze153 2012/12/21
    ”プロ入り後、少ししたとき「いじめられたりしてないか」といったことを聞かれたことがあって、~ 僕にとってはとても優しい先生でした。”
  • 故米長さん1000人斬り野望 – 東京スポーツ新聞社

    ダンディーさと奔放な言動で知られる日将棋連盟会長の米長邦雄さんが18日朝、前立腺がんのため東京都新宿区内の病院で逝去した。69歳だった。棋士として、同会長として米長さんほど将棋界に多大な影響を与えた人はいないだろう。一方で、自由奔放に棋士人生を駆け抜け、問題児であり続けた米長さんのもう一つの野望は、“死ぬまでに1000人斬り”だった。 米長さんは中学1年で佐瀬勇次名誉九段に入門。1963年に19歳でプロ入りし、73年に「棋聖」のタイトルを奪取。85年に通算5期となり「永世棋聖」の称号を獲得した。93年には史上最年長の49歳11か月で「名人」に。通算の獲得タイトルは19期で、2003年に現役を引退、05年から日将棋連盟会長を務めていた。 多くの名誉を手にした米長さんだが、品行方正という言葉は似合わない人物だった。 昨年、始めたツイッターで「うんこなう。快心の作です。直径2センチで長さ80

    hokaze153
    hokaze153 2012/12/21
    英雄色を好みすぎ
  • 米長会長との思い出。

    米長先生と初めてまともに話をしたのは、僕が竜王戦に初出場した年の年末だった。シリーズは3対3か2対3という状況だったはず。先生がまだ会長になる前で、もし会長になれたらこんな事をしたい、という構想を数名の棋士の前で語る、そんな事会だった。店を出て駅に向かう途中、酔っ払いのおじさんに「おお、将棋の米長さんじゃないの?」と話しかけられる姿を見て「自分もこれくらい有名になりたい。竜王になるぞ」と思ったものだ。 先生が会長になってからはスポンサーへのご挨拶や宴席にお伴する機会も増えた。知識は多岐にわたり、どんな話題でも合わせられるのはすごかったし、会長ってのはこういうもんだ、見て覚えろとその背中が言っているようだった。米長会長就任後、将棋界には色々な出来事があった。やる事に全て賛成というわけではなかったけれども、リスクや批判が伴うことを断行する行動力と勇気は組織のトップに立つ人間らしかった、と思う

  • ものぐさ将棋観戦ブログ : 米長永世棋聖が逝去

    2012年12月19日19:10 カテゴリ 米長永世棋聖が逝去 日将棋連盟 訃報 米長邦雄日将棋連盟会長 大変強烈な個性の持ち主で、熱烈な信者を含めて米長先生が大好きな人間も多かった一方で、敵も多かったし米長さんを嫌う人間もたくさんいた。 勿論、我々一般ファンは米長先生の生の姿をよくは知らない。今回、棋士や女流棋士や関係者が、皆さん口を揃えて、米長先生に気さくに声をかけられて嬉しかった思い出を語られている。当に、話すだけで心がはずむような魅力的なキャラクターの持ち主だったのだろう。 しかし、米長さんの人間的魅力については、氏と関係がこじれたり敵対したり結果的に関係が断たれてしまった人たちも皆認めていたようである。例えば、米長さんと色々あったこのお二人もこのように書かれている。ずっと米長氏と近かった人達の感想よりも、むしろちょっと胸打たれるものがある。 人生、詰んでます。〜林葉直子の波

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    hokaze153
    hokaze153 2012/12/20
    こういう話がたくさんありそう
  • 米長邦雄会長の思いやり - 一公の将棋雑記

    第6期マイナビ女子オープンは、来週17日(月・祝)、戦1回戦6局が一斉に行われる。選手に懸賞金を懸けた個人スポンサーも6倍になり、控室もにぎやかになると思われる。 私は4年前の第2期、挑戦者決定戦の中村真梨花女流二段と岩根忍女流初段(当時)戦に懸賞金を懸け、その日…2009年3月9日は、会社を休んで東京・将棋会館に赴いた。 担当氏の配慮か、そもそもの権利だったのかは分からぬが、当日は控室に入ることが許された。しかし、「スポンサー」の名札は付けているものの、ここでの私は、完全な門外漢である。同じく懸賞金を懸けた人はもうひとりいて、その人はテレビの前にかじりついていたが、私は部屋の隅で小さくなっていた。 やがて中井広恵女流六段と石橋幸緒女流四段が入室し、私に挨拶をしてくれた。中井女流六段はつねに周りの状況を気に掛ける人で、LPSAの懇親会などで手持ち無沙汰にしている客がいると、ほかの女流棋士

    米長邦雄会長の思いやり - 一公の将棋雑記
    hokaze153
    hokaze153 2012/09/11
    会長すごい
  • 米長邦雄永世棋聖が『週刊現代』で連載中の「名勝負今昔物語」に田丸が登場: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    米長邦雄永世棋聖は『週刊現代』で「名勝負今昔物語」というエッセイを連載しています。その欄には毎回、いろいろな棋士が登場し、米長一流のユーモアあふれる筆致で公私にわたるエピソードや印象に残る1局を紹介しています。 今週発売の『週刊現代』(8月18日・25日合併号)には、前回の櫛田陽一六段に続いて、私こと田丸昇八段が登場しています。師弟が連続で登場するのは初めてだそうです。 写真は、「名勝負今昔物語」の記事の冒頭部分。今週号で94回目を数えました。 「名勝負今昔物語」に登場する棋士は、ベテラン・中堅・若手・故人と様々です。その中には米長とは交流がなさそうな若手棋士の私生活を書いた記事があり、よく知っているものだと驚いたことがあります。じつは米長は執筆にあたり、登場する棋士と会ってじかに取材しているそうです。私も7月上旬に米長から取材の依頼を受け、東京・鷺宮の米長の自宅に出向きました。 私にとっ

  • 米長 邦雄さん 棋士 | 「介護110番」総合案内

    hokaze153
    hokaze153 2012/07/15
    ”1995年05月-月刊:介護ジャーナル掲載より(当時51歳)” いじめについて語る
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • われ敗れたり(書評)

    阪田大吉の満足度:80% 「第1回将棋電王戦 米長邦雄永世棋聖 VS 将棋ソフトボンクラーズ」について米長邦雄永世棋聖の自叙伝を中心に書かれた。 第5章が公開対局直後の記者会見全文、第8章がプロ棋士と将棋ソフト関係者による客観的な見解、それ以外が米長永世棋聖の対ボンクラーズ戦における自叙伝という構成。 随所随所に米長節が炸裂しており、ニヤッとさせられる部分が多かったです。 の中で最も熱く語られていたのは後手番初手△6二玉で、その手に命を削っていたことは重々承知しました。 第2回将棋電王戦でその手を継承する棋士が居るのかどうか、そのあたりは注目したいところです。 個人的には第7章「自戦解説」と第8章「棋士、そして将棋ソフト開発者の感想」が満足度100%で、そこは「プロ棋士VS将棋ソフト」という企画に興味がある方ならば満足する確率が高いでしょう。 ただ、ボンクラーズの開発者である伊藤さんの

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    hokaze153
    hokaze153 2012/03/26
    伊藤氏とは本当に合わなそうに見えた。プロレスかと思ってたけど。