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ブックマーク / ja.wikipedia.org (8)

  • 振り駒 - Wikipedia

    振り駒(ふりごま)とは、将棋を指す際の先後(先手・後手)をランダムに決定する正式な方法で、盤上の歩兵を5枚取って振り混ぜて放る動作のこと。 振り駒のしかた[編集] まず両対局者が盤上に初期配置で駒を並べる。先手・後手の決まっていない対局の先後の決定は、記録係が原則として、上座の対局者の歩を5枚振って決める。記録係は、振り駒の前に両対局者に確認してから振り駒をする。振り駒の結果、「歩」が多く出たら上座の先手、「と金」が多く出たら下座の先手とする。 記録係がいない場合はいずれか一方の対局者(一般的に上座、上位、目上など)が自分の側の歩兵を5枚取って手のひらの中でよく振り混ぜ、盤上か近くの床やテーブルに軽く落とす。 表(「歩」と書かれた面が上)の枚数が多いときは振った側が先手 裏(「と」と書かれた面が上)の枚数が多いときは振った側が後手 となる。 振った駒が重なったり、立った場合は、その駒を数え

  • 棋聖戦 (将棋) - Wikipedia

    棋聖戦(きせいせん)は、産業経済新聞社及び日将棋連盟主催[注 1]の将棋の棋戦で、タイトル戦のひとつ。五番勝負の勝者は棋聖のタイトル(称号)を得る。 産経新聞社主催の棋戦としては、1951年に開始した一般棋戦の産経杯が源流である。産経杯は1954年に準タイトル戦の早指し王位決定戦となり、さらに1960年からはブロック紙三社連合の協力を得てタイトル戦の王位戦に格上げとなった。1962年に産経新聞は王位戦を離脱し、新たに棋聖戦を開始した[1][2]。当初は年2回(前期・後期)開催だったが、1995年からは年1回に変更。2018年4月からはヒューリックが特別協賛に入り、正式名称をヒューリック杯棋聖戦とすることとなった[3]。 タイトル名の「棋聖」は、来は将棋・囲碁に抜群の才能を示す者への尊称であった。将棋では、特に、江戸時代末期に現れた、不世出の天才棋士・天野宗歩を指すことが多く、天野には十

    hokaze153
    hokaze153 2012/01/28
    ”2009年8月途中、日本将棋連盟の公式サイトでタイトル戦名の並び順が変更され、棋聖戦は3番目(二大タイトルのすぐ後ろ)から7番目の一番下に下がった。”
  • 王将戦 - Wikipedia

    王将戦(おうしょうせん)は、スポーツニッポン新聞社、毎日新聞社および日将棋連盟が主催する将棋の棋戦で、タイトル戦のひとつ。棋戦名は駒の「王将」が由来で、毎日新聞社が公募で命名した[1]。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年にタイトル戦に格上げされた。七番勝負の勝者は王将のタイトル称号を得る。 2021年度の第71期からは、綜合警備保障が特別協賛に加わり正式棋戦名称をALSOK杯王将戦として行われている[2]。 また、2019年度の第69期において外チェーン「大阪王将」を運営しているイートアンドが特別協賛に加わり、正式名称を大阪王将杯王将戦として行われた[3][4]。 方式[編集] 一次予選・二次予選・挑戦者決定リーグによって挑戦者を決定する。挑戦者は王将と七番勝負を戦い、先に4勝した棋士が新たな王将となる。 持ち時間は、一次予選および二次予選が3時間、挑戦者決定リーグが4時

    hokaze153
    hokaze153 2012/01/28
    ”死文化しているものの、王将戦の指し込み制そのものは現在も規則に残っている。つまり、王将戦で4勝差がつくと実際に香落ち戦が指されることはないものの、「指し込み」は記録される。”知らんかった。
  • 盲人将棋 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "盲人将棋" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年11月) 盲人将棋(もうじんしょうぎ)とは、視覚障害者が将棋を指せるように工夫された特別の盤と駒を使って指す将棋。盤の升目を区切る罫線には凹凸がある。駒の下部右側に点字があり、駒の種類と表裏が分かるようになっている。盤を見ることが出来ないため、頭の中に盤を描いて指し手を考えなくてはならない。駒には普通の駒と同じ文字が書かれているため、晴眼者と対局することも出来る。 社会福祉法人日視覚障害者団体連合が全国視覚障害者将棋大会を主催している。 名称[編集] 古くより盲将棋(め

    hokaze153
    hokaze153 2011/11/02
  • 自炊 (電子書籍) - Wikipedia

    AtizのV字型ブックスキャナー 書画カメラによる書籍スキャン 電子書籍に関する自炊(じすい)とは、自ら所有する書籍や雑誌をイメージスキャナ等を使ってデジタルデータに変換する行為(デジタイズ)を指す俗語[1]。デジタル化(スキャン)の効率化のために、書籍や雑誌を裁断機やホットプレート、アイロン等で分解する行為までを含む。もともとはP2Pソフトウェアで不特定多数に配布(著作物の場合は、当然著作権侵害となる)目的で書籍を自身でスキャニングするというネットスラングだった。[2] 一方で自身では器材を揃えず、書籍のデータ化作業を他人である業者に依頼することを「スキャン代行」[3]、「自炊代行」[4]と呼ぶ。 概要[編集] 300ドルほどで自作できるブックスキャナーのArchivist 自炊というネットスラングの語源については諸説ある。書籍を「自分で」スキャンしてデータを「吸い出す」という意味で「自

    自炊 (電子書籍) - Wikipedia
  • 森内俊之 - Wikipedia

    2003年度は、第61期名人戦七番勝負において、4連敗で名人位を羽生挑戦者に奪取されるも、第16期竜王戦七番勝負では逆に4連勝で羽生竜王から竜王位を奪取。これは羽生にとって初のタイトル戦ストレート負けとなった。第53期王将戦七番勝負においても、羽生王将を4勝2敗1千日手で降し、王将位を奪取。さらにはA級順位戦史上初の9戦全勝[注釈 4] を果たし、羽生名人への挑戦権を獲得。2003年度将棋大賞で最優秀棋士賞を初受賞。 そして、2004年度の第62期名人戦七番勝負において、羽生名人に4勝2敗で勝ち、名人位を奪取。この時点で史上7人目[注釈 5] の三冠王(竜王・名人・王将)となり、最多冠保持者となった。また、2004年(1月-12月)の獲得賞金・対局料は1億円を突破した。 王座戦では、当時12連覇中だった羽生王座への挑戦権を獲得するも、1勝3敗で奪取には至らず。また、同年度、三冠のうち竜王位

    森内俊之 - Wikipedia
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    hokaze153 2011/10/10
    写真が何故か「チェスに興じる森内」
  • カニカニ銀 - Wikipedia

    カニカニ銀(かにかにぎん)は将棋の戦法のひとつ。急戦矢倉の一種[1]で、主に先手番で用いられる。奇襲戦法に分類されることもある[2]。考案者は棋士の児玉孝一で、[3]2003年の第30回将棋大賞・升田幸三賞受賞戦法となった[4]。 概要[編集] 歴史[編集] 青野照市は富沢幹雄らが好んで用いていた急戦矢倉の二枚銀戦法にカニカニ銀の源流があるのではと推測したことがあり[5]、児玉もカニカニ銀は二枚銀急戦矢倉を母体にしたものとしている(しかし、全く違う戦法になってしまったともしている)[6]。 カニカニ銀に似た戦型は1950年11月7日 王将戦▲大山康晴 vs.△升田幸三でみられる。 戦法の命名者は森信雄で[7][8][9]、動き回る銀をカニに例えた、あるいは2枚の銀をカニのハサミに例えたことに由来する[注 1]。 指し方[編集] 飛車の活用の自由度の高さと[10]、急戦矢倉の中でも多彩な攻め

    hokaze153
    hokaze153 2011/10/10
    もうカニカニ銀は指されなくなるのか(プロで)
  • 児玉孝一 - Wikipedia

    児玉 孝一(こだま こういち、1951年2月21日 - )は、将棋棋士。2011年、引退。岡崎史明八段門下。棋士番号は141。福岡県北九州市出身。竜王戦1組に1期在籍。 棋歴[編集] 玉の囲いを放棄し、左右の銀を中央に繰り出して攻勢をとる「カニカニ銀」[1]の創案者。この戦法の独創性・優秀性が高く評価され、2003年将棋大賞の升田幸三賞を受賞。「カニカニ銀」と命名したのは森信雄である[2]。森内俊之も実戦(1992年11月20日)で採用して勝ったことがある。 父から教わって将棋を覚えたのは12歳のときであり[3]、将棋を(格的に)始めたのは高校1年生のときである[2]。福岡県立八幡中央高等学校卒業[4]。北九州アマ王位戦でA級2位[2]となった後、1968年、第4回高校選手権で団体優勝[2]。1968年、アマ名人戦に福岡県代表で出場し、ベスト4。 福岡大学[5]を中退し[2]、1971年

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