「知名度頼りの人気投票ではなく、政策本位の選挙を」 脱原発派やリベラル派は、選挙がある度に、そう、繰り返し主張してきた。しかし、今回の都知事選ほど、そうした主張が本気であったのか、それとも単なるお題目に過ぎなかったのか、が問われている選挙はない。 僕が憂慮しているのはもちろん、細川護煕・小泉純一郎連合の出馬と、彼らの政策が出揃う前にいち早く支持を表明した一部の脱原発派・リベラル派の方々の動きについて、である。 彼らの動きは、どう考えても「政策本位」ではなかった。なにしろ、細川氏の立候補会見を待たずに、氏の詳しい政策が明らかになる前に、「支持」は表明されたからである。 支持の理由も、「勝てる候補を支援すべき」というものであり、細川・小泉連合の知名度と世間的人気を重視したものであった。その発想が、選挙で勝つためにタレント候補を擁立する政党のそれと相似形であることは否めない。それは私たちが「民主
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