中原の覇者になりそう

面白い作品はネタバレしたら見る気を無くさせるからネタバレはするなという風潮は、 裏を返せばダメな作品はどんどんネタバレすることで見る気を無くさせて潰すことができるということである だから天気の子やOver Quatzerは保護されてユアストーリーは保護されないのである
性の話ではない。物語の話。 この世にはいろんな作品が溢れている。その多様性は認めるべきだし無いとつまらない。 が、しかし、個人的な意見ではあるが ボーイミーツガールをして別のパートナーができる話が納得できない。 いや納得しようとはしてる。でも好きじゃ無い。 恋愛関係では無かったんだよ…って説明も分かる。 だがそれなら、別の相手を付けなくて良いと思う。 これが短編なら傷が浅い。しかし物語が長くなるにつれてそれはどんどん深い絆になっていくと、もうこいつにはコイツしか無理だろうという思いになっていくのだ。 恋愛ものでも同じだ。三角関係になれど最初にプラグが立ったほうとくっついてほしい。 後で人気が出た方とくっつける三角関係にするならいっそ三人同時にそこに表れてほしい。せめて一話で全員出てきて欲しい。二話じゃ嫌だ。一話がいい。 つまらない物語ができてしまうだろ?という反論も聞こう。 しかしそうでな
「天気の子」を観て、ふと思い出したエピソードがあるので、ちょっと書いてみる。 自分が小学校低学年のころのことだった。 ある日、父が拳銃を持って帰ってきたのだ。 拳銃、である。 たぶん、酔っ払っていたのだろう。 酔うと、お調子者になったり不機嫌になったりする父であった。 その拳銃は、「トイレで拾った」「紙袋に入ってた」とのことだ。 無論、父もホンモノだと思っていたわけではない。おもちゃに決まっている。 とはいえ、おもちゃだからといって、持って帰ってくるのはちょっとどうかしている。 で、持ち帰ってどうしようというわけでもなかったため、 拳銃は、僕ら兄弟に与えられた。 ゴツくて大きくて重い拳銃だった。金属製である。 銃身の横に刻印があり、兄は、マグナムって書いてあると言ってたような気がする。 自分はアルファベットが読めなかった。 全体は鈍い銀色。それなりに古いもののようで、瑕が多い。 銃口はパテ
正しくは「セックスはしたくないが、子供が欲しい」と言っている。妹として私ができることはなんだろうか?とずっと考えている。 私が思うに「アセクシャル(※1)な男性」と友情結婚し、人工受精する案が一番良いと思う。 (追記:子育てパートナーになってくれたAセク男性の精子を人工受精する、という意味です。姉も性的なことを抜いた友情的な愛し方はできるはずです。精子製造機なんて扱いは絶対しないはずです。寧ろ下心0でアガペー100なんじゃないかなぁと妹は勝手に思ってます。) どうやったらアセクシャル男性と出会うことができるのか、それが知りたい。 知って、探して、コンタクトをとって、姉にどんどん紹介だけするお見合いおばさんになりたい。 ※1.性的なことに興味がない人 以下脳内整理用メモ。 ◼️姉のスペック ・30代後半 ・子供が好き ・公務員 ・年収500万(推定) ・貯金500万(推定)※2 ・実家住み(
歴史や宗教、哲学などをわかりやすく解説した書籍や雑誌、テレビ番組。“教養ブーム”が続く一方、『批評メディア論』などで知られる批評家の大澤聡さんは、〈知の下方修正〉が起きていると警鐘を鳴らしています。 今回大澤さんにお話を伺ったのは、今年5月に刊行された著書『教養主義のリハビリテーション』について。大澤さんの危惧する「教養主義の消滅」とは何か。われわれはどのように知識を身につけるべきか。気鋭の批評家は、現代の“教養のあり方”をどんなふうにとらえているのでしょうか。 目次 第1章 現代編 「現場的教養」の時代 ―鷲田清一×大澤聡(リーダー・フレンドリー? 第2章 歴史編 日本型教養主義の来歴 ―竹内洋×大澤聡(教養主義の起源をめぐって 第3章 制度編 大学と新しい教養 ―吉見俊哉×大澤聡(「いま・ここ」を内破する知 第4章 対話のあとで 全体性への想像力について ピンポイントなネタの消費には〈
日本語の欠点のひとつとされるものとして「形容詞+です」の問題があります。 これは標準語の敬体表現において、名詞であれば「犬です」のように「です」があり、動詞には「遊びます」にように「ます」があるのに対して、形容詞に付く適切な助動詞がないことに起因しています。一種の仕様バグかもしれません。 とても丁寧に言えば「楽しうございます」となるけれど、この「ございます」ほど丁寧でなく、もっと日常的で使いやすい語尾がほしい。京都には「楽し(う)おす」という表現があり、これが入って標準語にも「です」「ます」「おす」が揃っていればキレイだったんですが、残念ながら含まれていない。 それで仕方なく使われてるのが、本来なら名詞に付く「です」を形容詞に付けた「楽しい+です」という表現で、これがどうしても木に竹を接いだような印象になってしまう。とはいえ、いかんともしがたいので、最近では「い+です」も正しい日本語でいい
こういう仕事をしていると、遺された部屋の様子から、亡くなられた人の思いや葛藤を、望むと望まざるとにかかわらず垣間見てしまうことが少なくない。吐き出す場所もないので、ここへ書き込むことにする。 前提として、東京と周辺の夏の暑さは、もう人が住める限界を超えていると思う。とくに低収入でエアコンなしの部屋に暮らしている「弱者」たちから、実際に暑さで身体が溶けて亡くなっていくのだということを実感する。 先週入った現場は、40代男性の、いわゆる孤独死の後片付けだった。例によって冷房なしのアパートだった。防毒マスクをして臭いに覚悟をしながら入ったが、畳に残っていた体液の量はそれほどでもなかった。 ただ一瞬目を疑ったのは、床がすべて同じ、細長いビニール袋で埋め尽くされている様子だ。いくつかの袋にはフランスパンが食べかけのまま残り、カチカチになっていたり、一面黴に覆われて緑黒くなっていたりした。 男性が突っ
子供この頃に自分が聞かれて困ったから。 子供に将来の夢を聞くのって、子供は前人間段階扱いしてるようなものだと思うたしかに、小学生はいずれ大人になるわけだが、別にいずれ大人になって働く20代から60代の間だけが人生なわけではないし、働くことだけが、将来ではない。 何になりたいか、何ものになるべきか、とかとらわれて生きるのはしんどいと思うんだよな。別に何者でなくても俺は俺だと思えることの方が幸せだと思うんだ。 甥っ子くんは野球選手になりたいか、そうかそうか頑張れよ、と言うためだけの自己満足。このような醜い質問を子供にしない。そう小学生の頃に誓ったので、今年の盆も聞きませんでした。かわりに、今何が好きか聞いてる。甥はゲーム、姪はYouTubeらしい。 普通に考えて、他人の人生設計とか親戚があーだこうだ言うもんじゃねえと思うんだ。たとえ子供でも。
割とリアルに「身の丈に合う人と多数マッチングする」と思う。 故に自己評価が高すぎたり、相手に高望みしすぎると時間と金を無駄に使うだけになる。 マッチングアプリ余裕じゃんって人と、イイネなんかつかねーよって嘆いてる人の差はその辺な気がする。
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