なんで?
どうでもいい事だが、レーニア山の高さが4392mもあって、富士山より高いでやんの。 コーヒー飲料の名前になる位だから大した事無いだろう…と思っていた私が浅はかだった、すまん。
絵が上手くなりたいとか言うくせにいざデッサンや美術解剖など勧めたら「そこまで本気でやってない」と言う奴が嫌いだ。 別に上手くなくても楽しいという人は否定しない。 周りの言葉なんて気にせずそのまま好きに楽しく絵を描いていれば良い。楽しいことは良い事だ。 ただ他人の指摘にいちいちへこんで上手くなりたいと言うなら、デッサンや練習法など教えた時に「そこまで本気でやってない」と言うのはやめろ。 本当は面倒くさいんだろ?なら上手くなるのは諦めろよ。本気でやってないなら上手くなるわけ無いだろ? それとも世の中の上手い人は皆何もせずに上手くなったとでも思っているのか? 何か秘密の道具や描き方があると思っているのか? そんなものある訳ないだろ。上手い人はそれぞれやり方が違っても何かしらの努力をして、絵と本気で向き合って来たから上手いんだよ。 それともそのやり方が自分に合ってるか分からないからやりたくない?
昼食時にオフィスやコワーキングスペースで、同じ室内にいる人が弁当やテイクアウトのランチを開けて食べ始めた瞬間の、ウッとくる臭いがだんだん耐え難くなってきた。 テイクアウトのカレーを開けると、まるで爆弾が爆発したみたいに、臭いが室内いっぱいに拡がって籠もってしまい、周囲に微妙な空気が流れる事態は経験したことがある人が多いと思う。 最近は東南アジア系のテイクアウトランチが増えてきた結果、事態はもっとカオスになっている。ナムプラーが入ったサラダやパッタイなどを開封した瞬間に、室内に便所のような臭いが拡がる。 だがもつとも耐え難いのは、冷めた肉の臭いだ。鳥の唐揚げ弁当を開けた人がいると、ニンニクの臭いに混じって、どこか酢えたような肉の臭いが拡がり、吐き気がしてくる。 他人の食べるものって、話題にするにはどこか微妙なためらいがあり、しかも、あれは持ち込まないでほしい、これはよい、などとはっきり線引き
増「支払いはクレジットカードでお願いします(カードを渡す)」 店「ポイントカードはお持ちですか」 増「はい(カードを渡す)」 店「すみません。クレジット払いだとポイントつかないんですよ」 増「え」
K察「ブクマカさん。これは全員に聞いてるので気になさらないで欲しいのですが、事件当時の昨夜22時頃、あなたは何をしていましたか?」 ブクマカ「ええと、自宅のPCでSNS的な活動を...」 K察「SNS的な活動...TwitterとかInstagramですか?」 ブクマカ「いえどちらでもなくて、はてブって言うんですけど」 K察「ちょっと知らないですね。投稿とかしてたんですか?」 ブクマカ「いえ、昨夜はいい大喜利も思いつかなかったのでひたすら他人のブコメを読んでました」 K察「大喜利?」 ブクマカ「はい」 K察「いいね!とかつけました?」 ブクマカ「いいね!は無いですけど、星なら」 K察「星?」 ブクマカ「はい」 K察「フォローした相手の良いと思った投稿につけるんですよね?」 ブクマカ「いや、自分はそんなスター互助会的なことは」 K察「互助会?」 ブクマカ「はい」 K察「ええと、仲間内でいいね
仕事が終わって帰ってきて、もうあと5〜6時間したら家を出ないといけないから慌ててベッドに駆け込む暮らし。 ご飯作ったりとか、洗濯したりとか、掃除したりとか、他にも運動したり読書したり、歌ったり踊ったり、後半は余計なものが混じったけど、とにかく日常のことをきちんとしたい。 下手なりに楽しんで料理できた日とか、洗濯物カゴが空になった瞬間とか、生活を回していることにささやかな幸せを感じる。 そんな小さな幸せすら平日はまともに巡り合えないのだから、大声で叫んで蒸発したくなる。 生きてはいるけど生活はできてない。睡眠時間が少ないから気力もない。 主観的にはクソみたいなこの暮らしの中自分を慰めたくて、寝る前の少しの時間で粘ってこんな文章を書いている。 明日はたぶん家には帰れないから、また、日常のことが遠くなる。仕事なんてクソだ。
1000リツイートを越えるとtwitterの闇が迫ってくる - シロクマの屑籠 上記リンク先の続きとして、いまどきのインターネットでは文脈が読み取りにくいことについて記しておく。 かつてのインターネット、ネットサーフィンするインターネットには文脈があった。それぞれのウェブサイトの構造がツリー状であったこと、ハイパーリンクをとおして他のウェブサイトへと繋がりあっていたおかげで、その書き手・その文章がどういう文脈に位置づけられているのかがハイパーリンクの次元で明らかになっていた。ネットサーフィンという行為、リンク集を辿る行為が、そのまま書き手の文脈を理解する助けになっていた。 ところがいまどきのインターネットは違う。ブログは記事単位で読まれ、グーグル検索などをとおして流入する人々の大半は書き手の文脈など調べるまでもなく、検索文字列と一致した情報の断片だけ持ち帰ろうとする。 このブログのトラフィ
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