2020年9月12日のブックマーク (2件)

  • 人種は存在しない…のか? - 道徳的動物日記

    gendai.ismedia.jp 上記の記事は3ヶ月前のものだ。ブコメは現時点で30ほどしか付いていないが、わたしを含めて、違和感を表明しているコメントが多い。 特に違和感があるのは、やはり、「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」というタイトルだろう。ここには、ある種の文系の"学問"や"社会学"に独特なレトリックと、市井の感覚との乖離が見出せる。今回は上記の記事を直接批判したり反論したりするわけではないが、このタイトルが象徴するような、"社会学的"なレトリックや議論に対してわたしたちが感じる違和感について、ちょっと書いてみたい。 人種の問題に限らず、ある種の社会学(あるいは、ある種の「哲学」や「思想」)では、"わたしたちが「自然」であったり「普通」であると思っている物事は社会的に構築されている"、ということが強調される場合が多い。 そして、多くの場合には、その社会的構築の背景には"レ

    人種は存在しない…のか? - 道徳的動物日記
  • 支配エリートが進める現代版「帝国主義」と闘うにはどうすべきか?(松尾 匡)

    特にロシア革命後は「資主義の全般的危機」の段階に入ったとされ、「全般的危機論」なんてのが大学の講義科目になっていたとも聞きます。 けれども一向に資主義はつぶれてくれないので、資主義の全般的危機の「第二段階」だ「第三段階」だと言って、しまいに「第四段階」になったとかならないとか、そんな議論がされていました。 庶民の苦しみよりも指導者の理論 これの何がダメかと言うと、世の中を変革しようという志は、たいてい、自分や目の前の庶民が苦しんでいるのをなんとかしようということから始まるものなのに、そこから切り離された理由づけで社会変革を根拠づけてしまうことです。 目の前の闘いに合理的でスケールの大きな根拠づけができて、元気が出て運動が広がることまではいいことです。 よくないのは、歴史の進歩のためという根拠づけの方が一人歩きして、自分や目の前の庶民の働き方や暮らしの素直な願望をふみにじる末転倒が起

    支配エリートが進める現代版「帝国主義」と闘うにはどうすべきか?(松尾 匡)
    hwapyung
    hwapyung 2020/09/12
    部外者には意味不明なアイデンティティ絡みの差別認定やひたすらアベを馬鹿にする記事には物凄い数のブコメや星がつく一方、こういう耳に痛い内容だと閑古鳥が鳴くのが今のはてな