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ブックマーク / note.com/twovirgins (10)

  • 本屋、はじめまして #5 ヤンヤンー前編|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    屋、はじめまして」について オープンしたての独立書店の店主が、屋を開くまでのリアルなお話を綴る屋開店エッセイです。屋をやってみたいなーとぼんやり思っている人の背中を一押しできるような、そして開店準備にとりかかってもらえるような記事をお届けしていきます。前編は屋開店エッセイ、後編は一問一答&ブックレビューをお届けします。お楽しみに! JR中央線の高円寺駅から歩いて5分ほど。エトアール商店街から1外れた小さな道沿い、こぢんまりとある急な階段を登ったところに800冊ほどの書籍や作品が並ぶ店。もともと知らない方にはかなり見つけづらいところにそれはあります。そんな場所に訪れた稀有な方々には、「秘密基地みたい!」と言っていただくのと同時に、しばしば「屋さんで修業されていたんですか?」「こちらにあるは全部読まれたんですか?」と訊ねていただきます。 入口の正面突き当りには小さなギャラリー

    本屋、はじめまして #5 ヤンヤンー前編|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 26 狂気と正気|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界。今回がひとまずの最終回です。 人は基動物で、動物のままなのが、イコール人間の狂気なのだと思う。 なぜ始まったのかもう誰にも説明不可能で、そしてもうどうしてもやめられない戦争というのは、ある狂気の正体なのだと思う。 燻った、動物の攻撃能としての怒りエネルギーの発散の正当化。 中島敦の『山月記』やカフカの『変身』が魂にズシンと響くのは、わかってしまうからなのだろう。 虎や巨大な昆虫は、狂気の比喩だ。 知性やセルフコントロールの放棄だ。 李徴は詩人となる夢に破れ、グレゴール・ザムザは繰り返す日常を拒否した。 動物園で動物を見てゾッとすることがあるのは、その動物が自分の前世

    26 狂気と正気|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 第4回 「今年は服が来る」|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] アーティストなのかパフォーマーなのか、芸人なのか構成作家なのか、グッズ業者なのかSNS界のマルジェラなのか、一言ではくくれない(SNS界なのに)ぼく脳さんの文章世界!(月1回更新予定) 先日渋谷に行って確信した。服は流行っている(これマジ)。 以前何かのテレビ番組で「今年はパンが来る!」というコーナーをやっていて「来っぱなしだろ」と思ったことがあるが、去年あたりから「服」が来ている。これは間違いないだろう。 服だって来っぱなしだろ、と思ったそこのあなた。それって当に服が来ていましたか? 色が来ていただけじゃないですか? (無茶苦茶な言い分でも強気で言い切られるとそうなのかなって思いますよね)。しかしこれは突拍子もないことを言おうとして言っているわけではなく、大マジで言っているのだ。感覚の問題かな。服ってすごくないですか? 服が溢れてますよ今。 ありがたいことに

    第4回 「今年は服が来る」|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 本屋、はじめまして #2 RIVER BOOKSー前編|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    屋、はじめまして」について オープンしたての独立書店の店主が、屋を開くまでのリアルなお話を綴る屋開店エッセイです。屋をやってみたいなーとぼんやり思っている人の背中を一押しできるような、そして開店準備にとりかかってもらえるような記事をお届けしていきます。前編は屋開店エッセイ、後編は一問一答&ブックレビューをお届けします。お楽しみに! はじめまして。静岡県沼津市で2023年9月からリバーブックスという新刊書店を始めました。店主の江典隆と申します。地方で屋を始める、という大冒険をスタートしてしまった私の経験が、同じく屋を始めてみたいと思っている方、新しいことを始めてみようと考えている方の一つのサンプルになれば幸いです。 リバーブックスのある沼津という街リバーブックスがある静岡県沼津市は、人口約19万人の県東部の都市です。古くから商業の街として栄え、目の前に駿河湾、背後には富士山

    本屋、はじめまして #2 RIVER BOOKSー前編|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 20 マドレーヌとフィナンシェ|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定) マドレーヌは貝の形。フィナンシェは、金塊の形。 マドレーヌを見るたび、渚の音が聞こえる。 フィナンシェを見るたび、黄金の光が眩しい。 マドレーヌは、午後三時の右手のお供。 フィナンシェは、ウォール街の株価アナリストの左手のお供。 プルーストの『失われた時を求めて』の主人公が紅茶と一緒にべたのはマドレーヌ。 それをきっかけに田舎町コンブレーの全景が、遠い島国ジャポンの水中花のようにティーカップの中から広がった。 フィナンシェとは、フランス語。英語なら、ファイナンス。 マドレーヌは全卵で出来ている。 フィナンシェは卵白だけで出来ている。 だから、マ

    20 マドレーヌとフィナンシェ|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 19 耳かきと梵天|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定) 昔の耳かきの先には、梵天というものが付いていた。 子どもの頃は漢字変換できず、「ぼんてん」と音認識のみだった。 見ていると、父も母も、耳かきの際にそのぼんてんを使わない。 だからわたしは、それをタンポポの綿毛を模した飾りなのだと思い込んでいた。 中学生になって「ぼんくら」という言葉を知ると、音の似た「ぼんてん」はぼんくらの仲間、お気楽な怠け者というイメージになった。 そしてわたしは、耳かきの先に付いている「彼」を、ナマケモノの化身のように軽視した。 見ても見ないふりをし、無視した。 そのうちに、うちには梵天の付いていない耳かきが置かれるようになり

    19 耳かきと梵天|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 18 外と内|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定) 脳外が脳内と同一質量であることが、「普通の生活」なのだろう。 何を見ても驚かない。すでにお馴染みの光景だから。 その驚かなさが、安心、平和。 もちろん、日々脳外に微量のニューはある。 しかしそれは、取り込まれるべき脳の餌。 旅行に行くと、外は初めましてのニューしかない。 五感の情報量が多すぎて、脳は更なる情報流入を阻止すべく、シャットダウン(早めの就寝)。 遠くに見える厳島神社の全景を目から脳内に入れると、その圧縮情報は還元され、中で元の大きさに戻る。 するともう、目から出せない。 赤い鳥居は「中」の海に仁王立ちし、脳宇宙を守り始める。 観光客が

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  • 14 なんまいだと千枚田|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定) なんまいだと千枚田は、同じベクトルの祈りなのだと思う。 なんまいだは、南無阿弥陀仏の変形。 それを呟くのと、千枚田を眺める行為は、祈祷のカジュアル化という意味において、同じなのだと思う。 祈りって、一体どこにどんなふうに捧げればいいの? というのが、目を開けて生活している人たちの困惑だ。 目を開けていると、雑念の物質化しか見えない。 その状態で悟りを開けたら物だが、忙しい日常の中でそっちの物になってしまうと、戻れなかった場合に都合が悪い。 でも、そんな日常でも祈りコンディションに入りたい。 そんな人にうってつけなのが、なんまいだと千枚田なのだ

    14 なんまいだと千枚田|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 08 本物と偽物|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定) たとえば贋作とは、上手すぎてバレるのでは、と思う。 物のピカソの絵は、きっと所々下手で、それが能的にリアルに感受されるということなのだろう。 リアルとは、上手さと下手さの、ちょうど良いバランスのことなのでは、と思う。 それが光と影のように、画面に現実感、つまり感覚の立体感をもたらすのだ。 物とは、画面の画素の濃淡がリズムとなり、絶妙なハーモニーを醸し出しているのだ。 そのことを、質の良さ、クオリティーの高さと言うのだろう。 「何とも言えない感じ」とは、この点在する「抜け」によって生み出されるのではないだろうか。 抜けとは、言わぬが花的、ジグ

    08 本物と偽物|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
  • 06 林檎と梨|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)

    [編集部からの連載ご案内] 白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定) 林檎と梨は、大きさと形が似ている。 5メートル向こうにあったら、それが青林檎か二十世紀梨か、区別がつかない。 しかし、べたときの別物感は、一体どうしたことだろう。 林檎は、サクサク。梨は、シャクシャク。 アイスクリームとシャーベットくらい、その歯ごたえ、舌触りが異なる。 その中身の質感のせいなのだろうか、林檎はうさぎにするのに、むしろ皮の色的にはよりうさぎに近い梨は、うさぎにしない。 いや、今日もどこかで誰かが、梨をうさぎ形に切って梨うさぎにしているのかもしれない。 しかしわたしの人生では、今のところただの一度も目撃していない。 うさぎの目が赤

    06 林檎と梨|出版社トゥーヴァージンズ(TWO VIRGINS)
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