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ブックマーク / suumo.jp (22)

  • おれ、死ぬまで練馬がいいや。老若男女が「ちょうどよさ」に溺れる街 - SUUMOタウン

    著: 安田理央 西武池袋線、都営地下鉄大江戸線を擁する練馬駅 埼玉県浦和市(現・さいたま市)育ちの筆者にとって、練馬区といえば、子どものころ、親に連れて行ってもらった豊島園遊園地(としまえん、2020年8月に閉館)だった。 としまえん以外のかかわりができたのは、高校時代。当時組んでいたバンドのメンバーが江古田周辺に住んでいたことから、江古田に足繁く通い始めた。ドラマーの実家の離れに毎週のように集まり、昼間っから音楽の話や女の子の話を延々と交わしていた。 その流れで高校卒業後、一人暮らしをする時も、迷うことなく江古田に住んだ。 江古田は「将来を考えていない若者」に優しい 最初に住んだのは家賃2万円、風呂なしトイレ共同、絵に描いたようなオンボロアパートだった。地震があったら窓が開かなくなり、もう一度地震があったら開くようになった、と言えば、そのボロさが分かるだろうか。それでも毎晩のように友達

    おれ、死ぬまで練馬がいいや。老若男女が「ちょうどよさ」に溺れる街 - SUUMOタウン
    i196
    i196 2021/07/15
    沿線住みだけど、練馬の交通の便の良さはガチ。Ingressで区内をかなりくまなく歩いたけど練馬区の多様性は凄いよ
  • 欲を覆い隠さない、人間の街「池袋」。講談師・神田伯山の地元愛 - SUUMOタウン

    インタビューと編集: 小沢あや 文: 佐藤はるか 写真:飯貴子 寄席だけでなく、テレビやラジオ、YouTubeなど、さまざまな場所で活躍している講談師・神田伯山さん。池袋出身の伯山さんは、「青春時代からプロになるまで、一番印象に残っている街は、やっぱり我が地元・池袋」「池袋にすべてがあった」と語ります。 おもちゃ箱みたいなごちゃっと感が魅力の街 ―― 伯山さんは、中学生まで池袋西口エリアにお住まいだったんですよね。 神田伯山さん(以下、伯山):池袋は僕にとっての「地元」。池袋にある母方の実家に、家族で住んでいました。中学生ぐらいのときに引越したんですが、その後もずっと近所でしたし、よく池袋には遊びに行きました。 伯山:池袋って、少し雑多というか、子どもが自分の好きなおもちゃをギュッて集めてできたような街だなあって思います。必ずしもイケてるわけじゃないし、「ダサい」とか、バカにされがちな街

    欲を覆い隠さない、人間の街「池袋」。講談師・神田伯山の地元愛 - SUUMOタウン
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    i196 2021/05/18
    店がだいたい分かる自分もすっかり池袋一派かも。毎日通過してるし
  • 日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「日一有名なニート」という謎の肩書を過去に持ち、長年にわたってギークハウスというシェアハウスを運営していたphaさんが、2年前にとうとう一人暮らしを始めたそうだ。phaさんを知る人にとっては、ちょっとしたニュースである。 そもそもなぜシェアハウスを始めたのか、どうしてニートの道を歩み続けたのか、そして今はどんな暮らしをしているのか。学生時代から遡って、人からじっくりと話を伺った。 ちなみにphaさんと私の関係は、共通の友人に呼ばれて年に何度か顔を合わせるくらいの薄い関係で、二人きりで会うのは今回が初めてである。 家賃4100円の寮で過ごした京都大学時代phaさんは1978年生まれの42歳(2021年3月現在)。出身地は大阪で、大阪城の側にある高校を卒業後、現役で京都大学の総合人間学部に進学。 最初の一年間は実家のある大阪から京都まで通っていたが、二年目からは伝統的に寮

    日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン
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    i196 2021/03/11
  • 池ノ上。心の輪郭にはまった私のための東京。 - SUUMOタウン

    著者:  出川 光 今でも、池ノ上に引越して2日目の夜のことを思い出す。1日目はコンビニ弁当を引越しの段ボールに囲まれながらべた。荷ほどきを終えて2日目にやったこと、それが直感で決めたこの街一番のバーの扉をひとりで開けることだった。 というか、初めてこの街を訪れたときからもう開けるべきドアを決めていた。くる人を試すようなその佇まい。唯一の窓からもほとんど中の様子をうかがうこともできないけれど、入り口に置かれたメニューには親しみやすい家庭料理がならぶ。木製の重いドアを勢いよく開けたその時、池ノ上は私の街になったのだ。 わかりやすく言えば下北沢の隣。曖昧に言うなら池尻大橋からちょっと入ったところ。はぐらかすなら代々木上原あたり。便利な立地にありながら東京大学と下北沢というアイコニックな場所に挟まれてメジャーになりきらない池ノ上の名前を、あまり人に言ったことはなかった。この小さな街に、誰にも引

    池ノ上。心の輪郭にはまった私のための東京。 - SUUMOタウン
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    i196 2021/02/12
    河合塾の駒場校に行く時に池の上から歩いてたなぁと懐かしんでたら、駒場校2008年に無くなってたのか
  • 同居人・隣人たちとの奇妙な出会いに満ちた、私のマンション遍歴|かあいがもん - マンションと暮せば by SUUMO

    20歳当時の著者私が初めて自分で賃貸物件を借りたのは18歳の時。それから45歳の現在に至るまで、仕事場として借りたマンションも含めると8部屋ぐらい借りてきたと思う。 マンションを借りるたびに、私は面白い出来事や大変な出来事に遭遇してきた。騒音問題に悩まされたり、玄関を開けたら全裸の女性がいたり、隣の部屋で殺人事件があったり、発砲事件があったり。 その中で特に思い出に残る賃貸マンションの話と、そこでの暮らしを経た現在の私の住まいに対する価値観について話したいと思う。 都心のプール付きマンションと、スターになった同居人 20歳の時にプール付きのマンションに住んだ。新宿から徒歩10分ぐらいにある14階建てのオートロック付きマンションで、13階の私の部屋からは都心の夜景が一望できた。 家賃は8万円ほど。80万円ではない、プール付きで8万円ぐらいだった。 立地とプール付きということだけを聞けば「いや

    同居人・隣人たちとの奇妙な出会いに満ちた、私のマンション遍歴|かあいがもん - マンションと暮せば by SUUMO
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    i196 2021/01/27
  • きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人の小峠英二さんです。福岡県筑豊地区の田舎町に生まれた小峠さんは、小学生のころからお笑い芸人に憧れ、高校2年生の夏休みを利用したプチ上京を機にその気持ちが沸騰。しかし高校を休学して大阪へ乗り込むも、養成所の面接に通らず挫折。その後、晴れて芸人になってからも、なかなか芽が出ずもがいていました。 東京でくすぶっていた若手時代に、現状を変えるために郊外から都心部への住み替えを決意。以降は、ゆるやかに歯車が回り始め、今に至るブレイクへの道のりが少しずつ開けていったと

    きっかけは先輩の一言。都心部への引越しからゆるやかに人生が好転した――小峠英二さん【上京物語】 - SUUMOタウン
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    i196 2019/11/15
    何のチャンス感も見出さず粛々と東京生活しちゃってるのは反省すべきなのかなぁ
  • シングルマザーになったとき、職住近接を実現させてくれた港区(寄稿・勝間和代) - SUUMOタウン

    著: 勝間和代 離婚してシングルマザーになった34歳の時、それまで住んでいた実家近くの荒川区から、港区に住み替えました。以来ずっと、港区のどこかに住み続けています。 なぜ港区への住み替えを決意したかというと、3人の娘たちの小学校や保育園と、六木一丁目にある当時の職場との距離を近くしたかったからです。小学校や保育園へも職場へも、自転車で10〜15分くらいで行ける物件を選びました。 通勤時間を短くすることで、なるべく家にいる時間を長くしようという意図もありました。とにかく、シングルマザーになって以前より時間がなくなるのが目に見えていたので、それを職住近接で補おうとしたわけです。 家賃や生活費を抑えるために工夫したこと ただ港区に住む上での問題は、何といっても 「家賃がお高いこと!!」 に尽きます。 そこでまず、収入の何パーセントまでなら家賃に充てられるかを計算し、さまざまな物件の1平米当たり

    シングルマザーになったとき、職住近接を実現させてくれた港区(寄稿・勝間和代) - SUUMOタウン
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    i196 2019/06/13
  • 15年以上アイドルを続けられたのは、新潟と新潟のみなさんのおかげ――Negicco Kaedeさん - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 小沢あや 写真:きくちよしみ 2003年の結成から、新潟県を拠点に活動を続けているアイドル・Negicco。現在は「にいがた観光特使」を務める、地域の顔です。 結成後、なかなか芽が出ず、苦しい時期が長かった彼女たち。2014年に『光のシュプール』で悲願のオリコンチャート5位を獲得して以来、順調に動員を伸ばしています。 今回は、4月23日にソロシングル『クラウドナイン』をリリースした最年少メンバー・Kaedeさんをお迎えし、全国区のアイドルとなってからも上京しない理由や、地元愛について聞きました。 「新潟でアイドル?」最初は冷ややかだった地域の目 ――Negiccoは3人とも、新潟生まれ新潟育ちですね。Kaedeさんが暮らしているのは、新潟のどんな街ですか。 Kaedeさん(以下、Kaede):新潟の中心地から離れた田舎です。もともと両親が「自然があるところで子育てをし

    15年以上アイドルを続けられたのは、新潟と新潟のみなさんのおかげ――Negicco Kaedeさん - SUUMOタウン
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    i196 2019/04/23
  • 何かの手違いで「大阪」に行くことになったら、知っておいてほしいこと - SUUMOタウン

    著: いぬじん ぼくは大阪で生まれ、大阪で育ち、大阪で働き、大阪で子育てをしている。 仕事では、大阪以外の土地にもよく出かけて、色んな人と話す。 そこで感じるのは、外から見た大阪人の印象と、大阪人自身が思っている大阪人像は、ちょっと違うということだ。 それゆえに、ぼくの大阪に対する気持ちは、色々複雑にねじれてしまっている。大阪の内と外で、大阪人のイメージはどんなふうに違うのか、ぼくの思いとともに書いてみようと思う。 外の人と会うとき、大阪人は「大阪人」を演じている 大阪人ほど、周りから典型的なイメージを抱かれている人々は少ない気がする。 やれ笑いにうるさいとか、話にオチがないと怒るとか、グイグイこっちに来る感じで圧が強いとか、おばちゃんはみんなヒョウ柄を着ているとか、やたらケチだとか、せっかちだとか、たこ焼きとお好み焼きばっかりべてるとか、そういうやつである。 おまけに、きっと大阪人と接

    何かの手違いで「大阪」に行くことになったら、知っておいてほしいこと - SUUMOタウン
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    i196 2019/04/11
    言葉が強いせいか、普通に話してるだけなのに、東京の若者からはパワハラと受け止められてるの見て気の毒に思ったりする
  • 駅前のふしぎな建物に一目惚れ。我慢が苦手なオタクが安住の地に「武蔵境」を選んだワケ【#オタ女子街図鑑】 - SUUMOタウン

    著: 劇団雌 二次元、ジャニーズ宝塚アイドル。次元もジャンルも異なれど、オタク女子にとって趣味人生の重要な一部。趣味を満喫するうえで、実は大切なのが「暮らす街」。オタク女子はどんなことを考え、どんなことを重視して街と家を選ぶのか? 『浪費図鑑』『だから私はメイクする』が話題の4人組オタク女子ユニット「劇団雌」がお届けする連載「オタ女子街図鑑」。 今回ご紹介していただく街は「武蔵境」。中央線沿線には、吉祥寺、中野、阿佐ヶ谷など人気の街もたくさん。その中で、武蔵境を“推す”理由は? 日の語り手 ダマスカスヤギさん 家探しもオタ活も、ときめきを我慢しない 私が住んでいるのは、中央線の「武蔵境」という駅だ。 「武蔵」を冠する駅名は東京近郊に多くあるため、よく「どこ?」と聞き返されるのだが、武蔵境は中央線で三鷹の隣に位置する、西武多摩川線の始発でもある駅だ。 私はオタクである。ただ、何の

    駅前のふしぎな建物に一目惚れ。我慢が苦手なオタクが安住の地に「武蔵境」を選んだワケ【#オタ女子街図鑑】 - SUUMOタウン
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    i196 2019/02/27
    え、いつの間にヨーカドーが2棟になったんだ…俺が知ってる武蔵境は駅前にドムドムがあった頃なんで相当古いが
  • 東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を――みうらじゅんさん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 朝井麻由美 写真: 関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」に登場いただくのは、みうらじゅんさんです。「マイブーム」や「ゆるキャラ」といった言葉の生みの親としても知られるみうらさん。1958年に京都で生まれ、18歳の夏、美大への進学を目指して上京します。そして予備校に通い、2浪を経て武蔵野美術大学に合格。在学中に『月刊漫画ガロ』でマンガ家としてデビューします。 東京で暮らし始めて40年ほど。三鷹や国分寺、高円寺、原宿など、さまざまな東京の街で過ごす中で、泉麻人さんや糸井重里さんらとの出会いをきっかけに「みうらじゅん」としての活動の幅を広げていきます。そんなみ

    東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を――みうらじゅんさん【上京物語】 - SUUMOタウン
  • 人生のやりなおしをさせてくれた街、大阪「四天王寺」 - SUUMOタウン

    著: 吉村 智樹 夢破れ、大阪へと戻ってきた 大阪の「四天王寺」(してんのうじ)という街で暮らした期間は、わずか3年ほど。 しかしその3年間、街の路地を歩き、街の空気を吸うことで、僕はやりなおすことができた。四天王寺は僕にとって、命の恩人ならぬ、命の恩街だ。 31歳。ひと旗揚げたくて大阪から上京した。 41歳。結局、何者にもなれず、大阪へ戻ってきた。 高円寺で借りていたひとり暮らしのアパートを引き払い、こころざし半ばで帰郷を決意した最も大きな理由は「ぎっくり腰」。 往時、僕は頻発するぎっくり腰に悩まされていた。ひどいときは救急病院へ担ぎこまれるほど。 お医者様から「車椅子をお貸しすることもできますが、介助の方はおられますか?」と問われたが、恋人はおろかそこまで頼れる友人や知人はおらず、両親が住む大阪へ戻るほか選択肢はなかった。 大阪へ戻る。 それは同時に「夢をあきらめる」ことを意味していた

    人生のやりなおしをさせてくれた街、大阪「四天王寺」 - SUUMOタウン
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    i196 2018/02/27
  • 独身OLだった私にも優しく住みやすい街「池袋」 - SUUMOタウン

    著: 小沢あや 社会人生活の序盤から、独身OL時代のほとんどを池袋で過ごした。 はっきり言って、最初は妥協から選んだ街だった。当は、吉祥寺や三軒茶屋に住んで毎日カフェラテを飲みたかった。恵比寿とか中目黒とかに住んで、アーバンな地元住民が集うバーなどに通うなどしたかった。 しかし、オシャレなイメージがある駅はどこも家賃がべらぼうに高い。さらにはその土地に見合った生活をする甲斐性も、新卒OLにあるわけがなかった。 実家は都内にある。「なんで? 実家でよくない?」と友人にも言われた。確かにその通りなのだが、「女の子はそんなに働かなくてもいいんじゃない?」「XXちゃん、結婚したんだって!」「おばあちゃんが元気なうちに、ひ孫を産んであげてね」と話す母に対して、心がズキズキしてしまう瞬間が確かにあった。よくある話である。 母を傷つけず、またわたし自身の自由を守るためには適度な距離も必要だと思い、あえ

    独身OLだった私にも優しく住みやすい街「池袋」 - SUUMOタウン
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    i196 2018/02/13
    新宿とか渋谷には無い、ギュッとまとまった地方都市感が好き
  • 上京して10年。人生と向き合ってようやく「岡山」のことを好きになった - SUUMOタウン

    著: 友光 だんご 岡山にいたころは、毎日をずいぶんぼんやりと過ごしていた。人並みに悩みもした思春期も、晴れた空とだだっ広く続く田んぼを見ていたら大体の不安はどこかに去った。岡山県民の大らかさと、晴天率の高さは関係が深いはずだ。 僕は県南に位置する岡山市の西大寺で生まれ育った。 かつては門前町として栄えた土地で歴史を感じる街並みもあるものの、それは一部。実家のある西大寺の外れは、いわゆる地方のロードサイドをイメージしてもらえばいい。国道沿いにチェーン店が延々と並ぶ、よくある光景だ。 やCDは近所の宮脇書店やゲオで手に入る。30分ほどバスに乗り中心部に出ればシンフォニービルの丸善にクレドの紀伊國屋、オーパにはタワーレコード(※現在は閉店)もある。 友人たちと街へ出れば、カラオケならグレートパンプキン、ボウリングなら両備ボウル、ゲーセンならジョイポリス。3択から選べるくらいの遊び場はあった。

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  • 【俳優・大泉洋さん】北海道で30年、東京で10年過ごして、いま一番住みたい街とは? - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) さまざまな方に「街」にまつわるエピソードについて伺うインタビュー企画。今回ご登場いただくのは2017年12月1日(金 ※映画の日)に、最新作「探偵はBARにいる3」の公開を控えている大泉洋さん。 北海道の人気タレントとして確固たる地位を築いていた大泉洋さんが、東京で暮らし始めたのは30歳を過ぎてから。俳優としての自分を磨くため、役者の仕事が集まる東京で勝負することを決めたといいます。それから10年。全国放送の連続ドラマや映画で経験を重ね、主演映画『探偵はBARにいる』(11)では第24回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞、第35回日アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞されました。 生まれ育った北海道での30年。俳優として大きな飛躍を果たした東京での10年。今では、どちらも大事なホームタウンになったと語る大泉さん。暮らして分かった東京の良さ、離れて

    【俳優・大泉洋さん】北海道で30年、東京で10年過ごして、いま一番住みたい街とは? - SUUMOタウン
  • おしゃれじゃないけれど、いつだって受け入れてくれる気がした。小さな「富士見台」 - SUUMOタウン

    著: みやけ 池袋から電車で15分ほどの「富士見台」は、西武鉄道池袋線の小さな駅だ。急行は止まらない。 ふじみ◯◯という地名は日にあふれていて、「ふじみ野」「富士見町」、国立市にも「富士見台」がある。だから、「富士見台に住んでいました」といっても、一瞬で分かってくれる人はなかなか少ない。 この富士見台は練馬区と中野区の境目にある。南口からまっすぐに進めばすぐに、境目の一道がずっと続いていることが分かる。富士見台駅自体は、練馬区に属している。 ←練馬区 中野区→ ←練馬区 中野区→ 山形で18年間、埼玉で4年間暮らして、その次の引越し先がここだった。ちょうど大学を卒業して、新卒入社をするタイミングである。 アクセスの良さが異常 「西武池袋線の駅」とだけ聞くと、池袋から所沢・飯能までの路線を想像する人が多いだろう。 実はこの富士見台から渋谷、元町・中華街まで一、有楽町、新木場までも一

    おしゃれじゃないけれど、いつだって受け入れてくれる気がした。小さな「富士見台」 - SUUMOタウン
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    i196 2017/10/27
    西武池袋線住民的には素敵記事!最近たまに降りるけどいつも夜ばっかだから、今度は昼に行ってうどん食べてみたい。
  • 下北沢と「魔法のバス」の向かう先(寄稿:柴 那典) - SUUMOタウン

    著: 柴 那典 下北沢の近くに住んでいたのは、やっぱり、便利だったからだ。 街を歩いていて、なんだか安心する、というのもある。いい歳をしたアラフォーのオッサンが平日の昼間からTシャツにジーンズでふらふらしていても、違和感がない。たとえ長髪だったり髪の色を染めていたりしても「え? あの人何……?」みたいな視線を浴びたりするようなことは基的にない。スーツにネクタイをビシっとしめてる方が逆に珍しい。そういう意味では、都心のオフィス街とも、世田谷区の高級住宅街とも、やっぱりちょっとムードが違う。 そして、下北沢に「若者の街」というイメージを持つ人も多いと思うけれど、同じように「若者の街」という印象が広まってる渋谷や原宿や吉祥寺と比べても、その空気感はちょっと違う。気張ってオシャレしてるような人がそんなにいなくて、生活に密着した普段着の感じがある。 独特のユルさがある。 ライブハウスや小劇場が点在

    下北沢と「魔法のバス」の向かう先(寄稿:柴 那典) - SUUMOタウン
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    i196 2016/09/29
    行かなきゃって気持ちにさせてくれる
  • キラキラしていない恵比寿の隅っこに暮らす(寄稿:灰色ハイジ) - SUUMOタウン

    著: 灰色ハイジ 住みたい街ランキング1位になったり、駅の西口にアトレの新館ができたりと、何だかキラキラしているイメージがある街、恵比寿。 そんな恵比寿に住み始めたのは、2年ほど前のことだ。 初めは恵比寿に住むことなんて考えていなかった。引越しを検討していて良さそうだなぁと思い見ていた物件が、たまたま好きなデザイン事務所が施工していると分かったのだ。そのとき「ここしかない!」と思ったことを、今でもはっきり覚えている。 建物ありきで決めたので、住み始めてから「ここはどんな場所だろう?」と思い、街を見て回ってみた。私が住んでいる場所は、恵比寿駅からは離れているためか飲店なども少なく、すごく静かな住宅街で、私の中の「キラキラした恵比寿」のイメージと異なっているのがとても良かった。 恵比寿のY字路 住んでいる場所は恵比寿、中目黒、目黒、どの駅からも徒歩15分ほどあり、不便と言えば不便なのだけれど

    キラキラしていない恵比寿の隅っこに暮らす(寄稿:灰色ハイジ) - SUUMOタウン
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    i196 2016/08/25
    Ingressのミッションで歩いた辺りだ。坂が多い閑静な住宅街の印象
  • 都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン

    著: 雨宮まみ 青春、という言葉は大嫌いだけど、自分のこれまでを振り返ってみて、いちばん青春っぽかったのは、西新宿で暮らした25歳~35歳の10年間だったのではないか、と思う。 西新宿に引越したのは、会社を辞めてフリーライターになるタイミングだった。とにかく貧乏になることは分かりきっていたし、出版関係は新宿での飲み会が多かったので、付き合いで行かなきゃいけないことを考えて「新宿からタクシーで千円ぐらいで帰れる距離で、家賃がなるべく安いところはありますか?」という、かなりアバウトな条件で物件を探した。「会社員」という肩書きがないと、家を借りるのは難しいと思っていたので、とにかく慌てて探していた。そして、「ここならなんとか住めるな」と思った西新宿の古いアパートの1階に引越した。 実際にタクシーを利用することはほとんどなかった。歩いて帰れたからだ。お金がなくて仕事がなくて時間だけがあり余っている

    都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン
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    i196 2016/08/05
    Ingressでのホームグランドとしてさんざ歩き回った僕でもまだ知らないこと一杯あったし、こんな素敵な街なんだなと再発見した感
  • どのエリアに? 引越しタイミングは? 育児ブロガーと考える、住まい選びのポイント

    春といえば引越しの季節です。一人暮らしの小規模なものから家族そろっての移動まで、引越しはなかなか大変。まして小さいお子さんがいると、大人以上にいろいろな要因を考えて住まいを選びたいものです。そこで、不動産住宅の総合情報サイトSUUMO(スーモ)の副編集長と、育児にあたり住み替えも経験した、はてなの“育児ブロガー”kobeniさん、kubohashiさんに、住まい選びのポイントや育児を見据えた環境など、さまざまな角度からお話をうかがいました。「育児中には、はてなブックマークがおすすめ!」というkobeniさんの熱い思いも登場します! ――ということでお三方に、はてな東京オフィスにお集まりいただきました。まずは皆さん、自己紹介をお願いします! 千葉 SUUMO副編集長の千葉由里です。1児の母で、子どもは5歳です。子育てのための住まい選びなど、個人としても幅広く情報発信しています。 koben

    どのエリアに? 引越しタイミングは? 育児ブロガーと考える、住まい選びのポイント
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    i196 2014/04/17
    豊洲かぁ。ないわー。