橿原市との村境に近い明日香村大字越の丘陵先端部の一番幅広で、高所の安定した場所に位置しており、戸の古墳の墳頂部の標高は126.3メートルであり、国の史跡である岩屋山古墳(明日香村大字越)の西方約500メートルの地点に立地する。 以前より、巨石をくりぬいて2つの墓室を設けた特異な内部構造で知られており、斉明天皇(皇極天皇)と娘の間人皇女(孝徳天皇の皇后)の合葬墓とする説があった。また、1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)にかけて環境整備事業の一環として発掘調査がおこなわれており、その際、実際の測量をもとにした実測図が作成され、円墳と報告されながらも[3]八角墳の可能性が高いこともあわせて指摘されていた。 2009年9月より2010年9月にかけて、明日香村教育委員会による学術目的の発掘調査がおこなわれ、2010年(平成22年)9月9日、村教育委員会は調査成果を発表した[4][5