土偶は極めて縄文的な遺物である、といわれる。というのも、縄文時代、特に東日本で数多くつくられた土偶は、弥生時代になると日本の多くの地域で、姿を消すからである。そこには縄文的な信仰体系が変質したことがうかがわれる。 この土偶は鰺ヶ沢町大曲遺跡(現在の大曲(1)遺跡)で出土した弥生時代前期砂沢式のものである。顔面が特徴的である。 高く盛り上がった水平なラインは目か、はたまた眉の表現か。近未来的なマスクをかぶったようにさえ見える。腕はほぼ水平に開き、脚はがに股。まるで土俵入りの横綱のようだ。 実は、このころの土偶は縄文晩期の遮光器土偶から次第に変化していったものなのである。砂沢式土器も最後の縄文土器とよく似ている。そのほか引き続きつくられる縄文時代の祭祀(さいし)具もある。青森県の弥生時代は教科書に出てくる典型的な弥生時代像とはかなり違っていたのである。 (県立郷土館主任学芸主査 中村哲也)