「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら、「それもまた君の信仰にすぎない」とあっさり返すだけだろう。しかし、だからといって現代思想にふれた者すべてが「人を殺すな」という道徳律をなかったことにし、モヒカンがバイクで世紀末な混沌を望むわけではない。少なくとも僕は「ヒャッハー!」と奇声をあげて殺戮に繰り出す連中を政治的に許容するつもりはないし、読者の多くもそうであろう。誰もが「私を殺すな」という欲望を持ち、それが絶対的な《真理》であると強く思い込んでいる。いやむしろ「私を殺すな」が単なる《信仰》にすぎないからこそ、声を荒げてその正当性を必死に偽装するのだ。 この「私を殺すな」という生命・身体の不可侵性を「自分の身体は自分のものだ」というふうに言い換えて、その権利の絶対性を主張するのが自由主義(リバタリアニズム)だ。そもそもありとあらゆる権利の根拠は、「そうあって当然だ」という