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建築と地理に関するida-10のブックマーク (4)

  • 【ラルンガルゴンパ】スリバチの修行地

    長距離バスで17時間、標高4200mへ 成都から長距離バスで、途中山崩れの通行止め待ちなどしながら、およそ17時間くらいかけて、「ラルンガルゴンパ」という場所に来た。チベット仏教ニンマ派最大の学校、というか町らしい。 成都の標高が大体500mで、ここが4200mくらいだから、一気に3500mも登ってきたわけだ。そして、高山地帯初挑戦の僕。高山病を避けるためにはだんだんと高度を上げていくのが一番なのに、なんだか途中に行きたい町もないからエイッと来てしまったのである。(薬はばっちりである) 朝早く成都を出て、バスに揺られて着いたのは真っ暗な町。標高が高いため寒くて、足元がぬかるんでいて、街灯もあまりない。バスで会った日語が喋れる陳さんと、巡礼の為に来たという家族たちと夜メシをべる。あまり味のしない麺だったことを覚えている。高山病はそんなに感じない。 バスの降車地から、乗り合いバンでホテルに

    【ラルンガルゴンパ】スリバチの修行地
    ida-10
    ida-10 2016/06/09
    チベット ラルンガルゴンパ スリバチ
  • 総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ

    『ランドスケール・ブック』から始まる地上学 ──約3年前の『ランドスケール・ブック地上へのまなざし』(LIXIL出版、2012)についての日埜さんの書評は、「地上の唯物論」というとても魅力的なタイトルを持ったものでした。まず当時の日埜さんの応答からお伺いしたいと思います。 日埜──あの書評は、言ってみれば「気配」について書いたものだったと思います。『ランドスケール・ブック』は多くの各論が取り集められているわけですが、それらがざっくり5つにグルーピングされ、さらに全体が「スケール」という言葉によってまとめられていました。体系づけられた全体像が提示されるというわけではないけど、しかし将来これがどのような全体像としてまとまっていくのか期待させるような、「地上学」への気配を含んでいました。 地面あるいは地上はわれわれの生活において背景に廻りがちです。日々のもろもろのことが前景化し、その背景となる。

    総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ
    ida-10
    ida-10 2015/08/10
    総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ 石川初(慶應義塾大学大学院教授)×日埜直彦(建築家)
  • 「すみ切り」を愛でる

    道が曲がっている部分に面している建物は、しばしばその角が切り落とされたようになっている。専門用語ではこれを「すみ切り」という。隅を切るから「すみ切り」だ。 以前からこのすみ切りが気になっていた。いろいろな「すみ切られ方」があって、じっくり見ていくと楽しいのだ。楽しいんです。 で、楽しいなあ、と思いながらとあるエリアのすみ切りを見ていたら、不思議なことに気がついたのでその話をします。

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