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ブックマーク / www.10plus1.jp (35)

  • コモナリティ会議06:「コモナリティ」と「地域社会圏」──「世界」を回復するために

    2014年5月に刊行されたアトリエ・ワンの『コモナリティーズ──ふるまいの生産』と、2012年に刊行された山理顕さんの『地域社会圏主義』(増補改訂版、2013。ともにLIXIL出版)では、いずれも〈個〉と〈公共〉をつなぐ〈中間領域〉に関する議論が展開されています。 お二人の建築思想が生まれる場所、描く構想は深いところで通じていると読めるとともに、作品に現われる差異にも深く興味を抱きます。日は、お二人の〈中間領域〉=「地域社会圏」「コモナリティ」をめぐる構想を、「コミュニティとコモナリティ」「社会と自然」「計画と再生産」などのテーマとの関係とともにお聞かせいただく予定です。「コミュニティ」や「ソーシャル」をめぐる昨今の建築議論への問いかけにも、新しい視点を伴う提案にもなることを期待しています。 左=アトリエ・ワン『コモナリティーズ──ふるまいの生産』(LIXIL出版、2014) 右=山

    コモナリティ会議06:「コモナリティ」と「地域社会圏」──「世界」を回復するために
    ida-10
    ida-10 2021/10/04
    コモナリティ
  • 「参加型アート」「アール・ブリュット」──コミュニケーションのためのアートと、これからの美術館のかたち

    「参加型アート」「アール・ブリュット」──コミュニケーションのためのアートと、これからの美術館のかたち 芸術祭やアート・イヴェントなどにおいて、さまざまなかたちで作品に参加する「参加型アート」が注目されています。また2000年代に入り、アール・ブリュットを専門に扱う美術館が日の各地で開館しています。この2つの動向を「媒介」や「コミュニケーション」などをキーワードとして考えたいと思います。 コミュニティデザイナーとして近年は福祉分野とも関わりが深く、アール・ブリュット美術館《はじまりの美術館》(設計:竹原義二、2014)の開館にも携わっている山崎亮氏とアール・ブリュットの研究者として『アール・ブリュット アート 日』の監修もされている、東京国立近代美術館キュレーター保坂健二朗氏に話を伺いました。 保坂健二朗氏(左)、山崎亮氏(右) 3つの「参加」のかたち 山崎亮──今日はよろしくお願いし

    「参加型アート」「アール・ブリュット」──コミュニケーションのためのアートと、これからの美術館のかたち
  • 彫刻と建築の問題──記念性をめぐって

    ──対談では建築と彫刻の交点から「記念性」を考えます。彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかさんは、今年6月に上梓された『彫刻 1』(トポフィル、2018)をはじめ、作品制作や執筆、出版活動を通して彫刻の議論を展開されています。また建築史家の戸田穣さんは2017年に『建築雑誌』で「建築は記念する」という特集を企画されました。今日は、建築・彫刻の分野における記念性について、きわめて今日的な問題提起を行なっているお二人にお話しいただきます。 戸田穣──このところモニュメントやメモリアルに関心を持っています。最近は特に20世紀後半の日における世俗の慰霊空間について調べていて、2016年には『10+1 Website』に「千鳥ヶ淵から考える慰霊の空間」という文章を寄稿して、谷口吉郎の設計による《国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑》(1958)や海外につくられた慰霊碑について紹介しました。また、日建築学会が

    彫刻と建築の問題──記念性をめぐって
  • インテリアと建築の新しい出会い『TOKYOインテリアツアー』刊行記念トーク

  • 市民社会の建築家・青木淳

    一人一人が思い思いに 私が好きなのは「一人一人が思い思いに」という市民社会だ。みんな一斉にある方向を向いたり、背いたり、これが正しいとか、意味があるとか、そんな風に押し付けてくるようなことは嫌だ。誰だって、当は、そうではないのだろうか? そんなことを言っていられるくらい、お気楽な立場なのかもしれない。まあ、いいや。自分が嫌だから、できるだけ、それに加担したくはないだけだ。 だから、今から書く青木淳さんの批評も、そんなふうでありたいと思う。これ以外は正しくないとか、意味がないだとか、私が一生の仕事として選び取った建築の歴史と批評が、そんな主張のためにあると思われたら心外だ。「一人一人が思い思いに」を拡大する手がかりとなることが、歴史・批評の来の目的だろう。そのことは、来た仕事を一つひとつこなしていけば、伝わるところには伝わるはず。それで社会がより良くなると信じている。 上述の文章の「歴史

    市民社会の建築家・青木淳
    ida-10
    ida-10 2016/06/09
    倉方俊輔 市民社会の建築家・青木淳
  • 《馬見原橋》から考える

    青木淳氏(左)、浅子佳英氏(右) 青木淳──じつは浅子佳英さんとは、ほとんど面識がないのです。では、どうして今回、お相手をお願いしたかというと、3年ほど前、《大宮前体育館》(2014)ができたとき、浅子さんが感想をツイートしていたその内容がおもしろかったからです。当時からこの建物は賛否両論があったのですが、浅子さんは、ある面では褒めていて、しかし納得できない、と1人で賛否両論していました。それが印象的だったので、この人と話をすれば、ぼくがわからないことを教えてもらえるかもしれないと思いました。 浅子佳英──当にお会いしたことすらなかったので、お話がきたときは大変驚きました。改めてよろしくお願いいたします。初対面ということもあり、じつは昨日まで、この対談に備えて入念なプランを準備していたんですね。「こういう質問をしたら青木さんはこう返してくるだろうから、それに対してぼくはこう返して....

    《馬見原橋》から考える
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    ida-10 2016/06/07
    青木淳+浅子佳英
  • 世界集落の発見中川武教授最終講義・記念シンポジウム「世界建築史をめぐって」

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    ida-10 2016/03/07
    原広司
  • 瀬戸内国際芸術祭2013「丹下健三生誕100周年プロジェクト」の来し方と行く末

    建築家・丹下健三の生誕100年を迎える2013年、香川県立ミュージアムにて丹下の足跡を振り返る展覧会を開催する運びとなった。稿では、この展覧会に至る経緯について簡単に振り返り、ここに込められた意味について触れてみたいと思う。 1. 東京展開催の模索と挫折 2006年2月、筆者は丹下研究室について博士論文を書こうと思い立ち、翌2007年2月の審査を経て、晴れて工学博士を取得した。その際に多くの丹下研究室OBの方々にお世話になったが、博士号取得後、OBたちとの会話のなかで、「これから君の研究はどこに向かうのか?」と聞かれることが間々あった。その際、筆者は「代々木体育館の世界遺産化と丹下生誕100周年に向けてなにか準備ができるといいですね」と答えることが多かった。 それからしばらくして、「丹下生誕100周年に東京のしかるべき美術館で回顧展を開くべきではないか」という機運が高まり、実行委員会が組

    瀬戸内国際芸術祭2013「丹下健三生誕100周年プロジェクト」の来し方と行く末
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    ida-10 2015/10/10
    豊川斎赫 瀬戸内国際芸術祭2013「丹下健三生誕100周年プロジェクト」の来し方と行く末
  • 総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ

    『ランドスケール・ブック』から始まる地上学 ──約3年前の『ランドスケール・ブック地上へのまなざし』(LIXIL出版、2012)についての日埜さんの書評は、「地上の唯物論」というとても魅力的なタイトルを持ったものでした。まず当時の日埜さんの応答からお伺いしたいと思います。 日埜──あの書評は、言ってみれば「気配」について書いたものだったと思います。『ランドスケール・ブック』は多くの各論が取り集められているわけですが、それらがざっくり5つにグルーピングされ、さらに全体が「スケール」という言葉によってまとめられていました。体系づけられた全体像が提示されるというわけではないけど、しかし将来これがどのような全体像としてまとまっていくのか期待させるような、「地上学」への気配を含んでいました。 地面あるいは地上はわれわれの生活において背景に廻りがちです。日々のもろもろのことが前景化し、その背景となる。

    総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ
    ida-10
    ida-10 2015/08/10
    総合地上学へ向けて──ランドスケール、キャラクター、生態学的視点からのアプローチへ 石川初(慶應義塾大学大学院教授)×日埜直彦(建築家)
  • 新国立競技場の議論から東京を考える

    槇文彦(建築家・槇総合計画事務所代表) 内藤廣(建築家・内藤廣建築設計事務所代表、東京大学名誉教授) 青井哲人(建築史家・明治大学准教授) 浅子佳英(建築家・インテリアデザイナー) コメンテーター:五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授) モデレーター:松田達(建築家・東京大学助教) 左から、松田達氏、槇文彦氏、青井哲人氏、浅子佳英氏、内藤廣氏、五十嵐太郎氏 問題点の抽出──設計体制/景観/コスト/意思決定プロセス/時間 松田──建築文化週間2014 建築夜楽校「東京オリンピック2020から東京を考える」、今日は第1夜「新国立競技場の議論から東京を考える」です。多くの人に知っていただくために、Ustream中継しており、この中庭ではパブリックビューイングも行なわれています。また、Twitterでは「#yagakko2014」を公式ハッシュタグとしています。 新国立競技場は、国際デザイン・コン

    新国立競技場の議論から東京を考える
  • 進む総括、見えてきた次の展望(展覧会「ジャパン・アーキテクツ 1945-2010」+「3.11以後の建築」レビュー)

    ida-10
    ida-10 2015/03/31
    展覧会「ジャパン・アーキテクツ 1945-2010」+「3.11以後の建築」レビュー 藤村龍至
  • 現代建築思潮の前線

    ポストモダニズムの失脚から 1980年代に全盛期を迎えたポストモダニズムは、筆者が大学に入学した96年当時、学生の目から見ても、既に色あせたものとなっていた。 建築におけるポストモダニズムは、古典主義的な建築言語を自在に引用し、コラージュするかのように表層に散りばめる、装飾過多なデザインとともにイメージされることだろう。ポストモダニズムは、機能主義・合理主義を標榜し、また抽象芸術運動としての側面も併せもっていたモダニズムを超克することを目指すものであったから、モダニズムが否定した装飾を、建築に取り戻そうとする欲望を抱えていたことは確かである。しかし日では、ポストモダニズムによって復権したかのように見えた装飾は、バブル経済で浮き足立つ都市を飾り立てるものとして機能し、過剰に装飾された建物は、事実そうした文脈においてもてはやされたから、バブル崩壊後の経済停滞が誰の目にも明らかになるにつれて、

    現代建築思潮の前線
    ida-10
    ida-10 2014/04/15
    ポストモダニズム以後 門脇耕三
  • 建築にとってフィールドワークとは何か

    フィールドワークの基 フィールドワークとは社会科学において、フィールド=現場から観察や実測によってデータを集める手法である。建築学だけではなく、社会学や人類学などでも使われる。観察や実測は自然科学の基でもあるが、物質の動きや働きを対象とする自然科学に対して、社会科学の対象は人間の行動によるもの、人々がつくり出した空間と環境やそこでの人々の行動、その背後にある制度である。建築学のフィールドワークでは、民家の平面、街並みの立面、住宅の住まい方、建築内部の人の行動、都市空間に佇む人の風俗......といったさまざまなものが対象である。 建築学は建築や都市をつくる学であるから、そこから建築や都市の設計の方法を帰納的に導き出すことがフィールドワークの目的である。フィールドは人々がつくり出してしまった自生的な建築や都市空間で溢れており、そこから設計に活かせる知恵を引っ張り出すということだ。しかし、

    建築にとってフィールドワークとは何か
    ida-10
    ida-10 2014/04/10
    饗庭伸
  • 新国立競技場──ザハ・ハディド案をめぐる諸問題

    ザハ案の受け止め方とリアクション 日埜直彦──簡単にこの新国立競技場に関する経緯を整理しますとだいたいこういうことかと思います。まず昨年新国立競技場の建て替えが決まってコンペが行なわれ、11月にご存知の通りザハ・ハディドの案が1等に選出されました。その案に対して槇文彦さんたち建築家が異論を提起されています。2020年に東京オリンピックが開催されることが決定しましたから、この競技場だけでなく東京全体にオリンピックに付随するプロジェクトが出てくるだろうと予想されます。そして新国立競技場については建設予算が予定を大幅に超過するので縮小にむけて計画の変更をするという報道が最近なされている情勢です。今まさに現在進行形の話でまた状況は変化していくでしょうが、そこをおして考えてみたいことがありましてこの鼎談を企画しました。 ザハの案が良いか悪いかは、敢えて脇に置きたいと思います。というのも、われわれはそ

    新国立競技場──ザハ・ハディド案をめぐる諸問題
  • 知られざる丹下健三──海外プロジェクト・都市計画を中心に

    今、丹下健三の都市計画を見直す 松田──今日は建築家・丹下健三の、特に都市計画家としての側面についてお聞きしたいと思います。今年は丹下健三の生誕100周年で、展覧会や書籍、雑誌の特集などでさまざまな見直しがなされています。その嚆矢とも言える豊川斎赫さんの著書『群像としての丹下研究室』(オーム社、2012年、以下『群像』)の冒頭に、丹下研究室とURTECに在籍した稲塚二郎さんによる丹下の時代区分が紹介されています。第0期(1941〜45年)[研究生時代]、第I期(1946〜60年)[チーフ浅田孝]、第II期(1961〜74年)[URTECチーフ神谷宏治、研究室チーフ大谷幸夫]、第III期(1975〜90年)[チーフ稲塚二郎]、第IV期(1991年〜)[チーフ丹下憲孝]というものです。 豊川さん自身はそののなかで、主に第0期から第II期を扱っていると明言しています。逆に言えば、第III期以降

    知られざる丹下健三──海外プロジェクト・都市計画を中心に
  • 東京駅──再生と復元の美学

    復原された東京駅を実際に見て 藤森──まさかこういう日が来るとは思ってなかったですよ。感動しました。とにかく壊されるのをい止めるのに精一杯で力尽きちゃっていて。驚いたのは、昔は結構雑然とした駅周辺と背後の光景だったのに、周りにボンボン新しいビルができていたことです。実はあれがかえって東京駅にとって良かったと思いました。みんなが辰野金吾(1854〜1919年)の横綱土俵入りを迎える観客のように見えました。三菱地所は無色の灰色建築をつくっていますので、おかげで邪魔にならなかった。あの周りの空間は100%ひとつの美学、三菱地所スタイルで管理されたオフィスビルで囲まれていてすごいですね。あそこに個性を主張したがる建築家が何か建ていたら相当違っていたと思いますよ。 清水──今までより周りがすっきりしたので、こんなに長い建物だったのかと驚きました。超高層が横になっているようなスケール感ですね。 藤森

    東京駅──再生と復元の美学
    ida-10
    ida-10 2012/12/26
    藤森照信×中谷礼仁×清水重敦
  • 地上の唯物論(石川初『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』書評)

    〈場所〉についてのである。 どこでもよいのだが、あるときある場所にいた、としてみよう。あたりをただぼんやり見ているかぎりでは日常的な光景が目に映るばかり。しかしさまざまに具体的なフォーカスをもって見ていけば気がつかなかった事物のつながりが見えてくる。求めよ、さらば与えられん、というわけだ。そこには一定の一般性が観察され、また多かれ少なかれ固有性が見出される。その一般性は世界の成り立ちをあらためて確認させ、その固有性はその場所特有の来歴と可能性を端的に示してくれるだろう。 ある場所のリアリティは、それを読み取るリテラシーによって豊かになるのだ。 そうしたことに触れることはとても面白いし楽しい。その面白さ自体についてはあえてつべこべ言うまでもないだろう。 実は書は評者に『アメリカン・ボーイズ・ハンディブック』というを思い起こさせる。20世紀初頭にアメリカでベストセラーになった少年のための

    地上の唯物論(石川初『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』書評)
    ida-10
    ida-10 2012/10/30
    地上の唯物論|書評:石川初『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』(日埜直彦)
  • 50年後の東京──Struggling Cities展が示すこと

    マルコ・ポーロが伝えたアジアの"理想都市" 辻村慶人──僕は展示を見ていないので、カタログを見せていただいた印象ということになりますが、はじめに補足しておくと、当初はメタボリズムを紹介する企画をやりたいという話があって、でもただメタボリズムを再評価するような展覧会をいまやっても現代的な意味を見いだすことが難しそうという日埜さんの判断で、ここでは都市計画そのものを振り返ろうという主旨にまで広がったと。これからの都市にとって都市計画がどのような可能性があるのか、もしくはないのかを歴史的に振り返って検証していこうという展覧会だと思います。 まずはじめの第一部「History of Ideal City」では、中国における13世紀の都市計画の紹介からはじまっています。これは世界最古の都市計画というわけではないですよね。 日埜直彦──この展覧会企画の出発点はメタボリズムでした。しかし国際交流基金とい

    50年後の東京──Struggling Cities展が示すこと
    ida-10
    ida-10 2012/08/14
    特集:Struggling Cities 50年後の東京──Struggling Cities展が示すこと 日埜直彦(建築家)×辻村慶人(編集者)
  • 対談:転換期における建築家の存在、歴史家の役割

    由晴氏、中谷礼仁氏 司会──2009年の年末に、塚由晴さんと中谷礼仁さんに「ゼロ年代の建築的状況をふりかえり、現在とこれからを考える(極私的に。)」と題して対話をしていただきました。今日はその第2回めを開催する運びになりました。特に今年は世界史的な災害を経験するなかで、塚さんはアーキエイドの活動を通じて三陸復興プログラムを描き、中谷さんは「古凡村」の研究を通して防災学の体系をつくろうとされています。そのほか、アトリエ・ワンによる「みやしたこうえん」がオープンしたのも今年4月のことでしたし、中谷さんは2年間務めた『建築雑誌』の編集長という大役を終えられようとしています。まずは再び建築・都市を考えるための今後のヴィジョンについてお話いただきたいと思います。 「みやしたこうえん」で考えたこと 中谷礼仁──塚さん、「みやしたこうえん」の諸々のプロセスはオフレコじゃないですよね? みやした

    対談:転換期における建築家の存在、歴史家の役割
    ida-10
    ida-10 2012/02/29
    対談:塚本由晴(建築家)・中谷礼仁(歴史工学家)/アーキエイド・古凡村・みやしたこうえん・『建築雑誌』
  • 10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト|__連載|Think about the Great East Japan Earthquake

    トーク「建築の感情的経験」(渋谷区・2/19) レジデンス・プログラムを通じてオランダより招聘しているアーティスト、ペトラ・ノードカンプによるトー... シンポジウム「建築デザインにおいてテクノロジーという視点は有効か」3/7・新宿区 日建築学会建築論・建築意匠小委員会では、テクノロジーの発展が建築家とエンジニアの協働にどのよう...

    ida-10
    ida-10 2011/05/01
    連載:Think about the Great East Japan Earthquake バックナンバー