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ブックマーク / www.itocia.jp (1)

  • 有楽町イトシア|有楽町歴史絵巻|第1回「地名の由来と江戸時代」

    有楽-織田信長の弟が地名の由来? 1952年(昭和27年)のNHKラジオ・ドラマ「君の名は」や、1957年(昭和32年)に歌謡曲の「有楽町で逢いましょう」で、一躍全国的に知られるようになったその地名の由来は、 江戸時代にまでさかのぼります。 有楽町の地名は、戦国時代を代表する武将、織田信長の実弟、安土桃山から江戸時代初期の大名茶人で千利休にも学んだ「織田 有楽斎 長益(おだ うらくさい ながます)」 (1547年-1621年)の屋敷があった、あるいは屋敷跡を有楽ヶ原(うらくがはら)と呼んだことに由来しているといわれています。また数寄屋をいくつも建てたので、そこから 数寄屋橋の由来になったという古書もあるようです。 ただ江戸時代の古書や江戸図からは織田有楽斎の屋敷があったという確証はありません。 はっきりしているのは江戸時代中期の頃から有楽ヶ原と江戸の絵図に地名がでており、正式な町名としては

    ida-10
    ida-10 2009/02/11
    日比谷・有楽町の変遷(特に近代以降)
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