タグ

2009年2月11日のブックマーク (5件)

  • 2007年を代表する傑作『狭山フラット』です(1): retour&Retour

    デザイナーズ・スケルトンリフォームと呼べばいいでしょうか。 基コンセプトは2DK・2LDK住居の壁・天井・床を抜いてどこまでシンプルな形に住居を考えられるかって、1Rストゥデイオな方向性を「ファミリー向けの大人しいマンションの中に当たり前のように実現する」ところです。 それはマンションの素性そのもので、非木造のレーゾンテートルを問うものでしょう。 デザイナーズリフォームは3階以上の上層階が中心で、和室6帖の一般的なフルリフォームのお部屋もあるんです。 こちらが原型と、 キャッチコピー的には「造作・塗装自由、アトリエ派アート系」になるんですが、このお部屋は”生成り”なところが特徴で「非常に”完成度”が高い」ので、改装可能物件的(相当誤解が多いです)な延長で見るのはちょっと違うのじゃないかと思います。 (この辺詳しくはレポートの締めくくりでまとめようと思います) 名前のとおり立地は埼玉県狭山

    ida-10
    ida-10 2009/02/11
    長坂常(スキーマ建築計画)による狭山フラットの紹介記事/「壊す」ことによるリノベーション
  • Business-商[あきない]

    ida-10
    ida-10 2009/02/11
    プロパティデザインオフィス/横浜シァルのリニューアルプロジェクト紹介など
  • http://hairwe-3.com/

    ida-10
    ida-10 2009/02/11
    寳神尚史(日吉坂事務所)が設計した、横浜市鶴見の美容院
  • 有楽町イトシア|有楽町歴史絵巻|第1回「地名の由来と江戸時代」

    有楽-織田信長の弟が地名の由来? 1952年(昭和27年)のNHKラジオ・ドラマ「君の名は」や、1957年(昭和32年)に歌謡曲の「有楽町で逢いましょう」で、一躍全国的に知られるようになったその地名の由来は、 江戸時代にまでさかのぼります。 有楽町の地名は、戦国時代を代表する武将、織田信長の実弟、安土桃山から江戸時代初期の大名茶人で千利休にも学んだ「織田 有楽斎 長益(おだ うらくさい ながます)」 (1547年-1621年)の屋敷があった、あるいは屋敷跡を有楽ヶ原(うらくがはら)と呼んだことに由来しているといわれています。また数寄屋をいくつも建てたので、そこから 数寄屋橋の由来になったという古書もあるようです。 ただ江戸時代の古書や江戸図からは織田有楽斎の屋敷があったという確証はありません。 はっきりしているのは江戸時代中期の頃から有楽ヶ原と江戸の絵図に地名がでており、正式な町名としては

    ida-10
    ida-10 2009/02/11
    日比谷・有楽町の変遷(特に近代以降)
  • Television Cultural Centre by OMA | Dezeen

    Andrew Lih has sent us a set of photos of Office for Metropolitan Architecture's Television Cultural Centre in Beijing, which was destroyed by fire last night (via Dezain). The 40-storey building is adjacent to the China Central Television Headquarters (see our earlier story). The almost-complete building was due to open this May and contain a hotel, theatre and studios. It was used for the 2008 O

    Television Cultural Centre by OMA | Dezeen
    ida-10
    ida-10 2009/02/11
    燃えたCCTVのビル(OMA・TVCC)の写真