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2023年8月8日のブックマーク (6件)

  • 数学が得意で歴史が苦手だった私は、全ての物事を公式的に理解したい欲求がある

    歴史が苦手だったのは、こんな昔のイベントや用語を覚えて、いったい何になるんだ?と思ったからだった。 そして、個々の知識が細かすぎて、解くべき問題に結びつくまでが遥か遠い、とでも言うべき感覚が嫌だった。 知識をいくつも覚えて、それらを組み合わせてようやくたった一つの答えがわかる。 しかも、それも知ってるか否かだけ。私個人による創意工夫の余地も無い。端的に面白くない。 それらをもどかしく思っていたのだ。 まとめると、歴史は、覚えることのコスパが悪い知識であり、私個人を疎外する教科だと感じていた。 その点で、数学の知識、つまり、公式は一般性を持つので適用範囲が広いし、私の創意工夫も生かせる。 だから、数学は大好きだった。 公式はひとつ覚えれば、多くの問題に適用できるのだ。覚える個数としても、そんなに多くない。 だから、ビジネス書に書かれた格言が多くの応用と工夫の余地を期待されるように、 私も適用

    数学が得意で歴史が苦手だった私は、全ての物事を公式的に理解したい欲求がある
    iinalabkojocho
    iinalabkojocho 2023/08/08
    歴史が得意で数学が苦手だった私はPCとの出会いで数学とSFを入手してアシモフの進化歴史学と言う壮大な釣り針が好きになったし、ブルバキもABC理論解明も超弦理論の本も読むようになった。増田はアシモフが読めぬ
  • 「これで死んだらダサすぎる」28歳ニートが出版社を立ち上げるまで:朝日新聞デジタル

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    「これで死んだらダサすぎる」28歳ニートが出版社を立ち上げるまで:朝日新聞デジタル
  • 「オタク」バッシングに続き「有害コミック」騒動…コミケ存亡の危機を救ったのは:東京新聞 TOKYO Web

    <101回目からのコミックマーケット>第2部 歴史をたどる③TRC、幕張メッセ、晴海(1986~95年) バブル景気による展示会増加のあおりで晴海の会場を借りられなくなったコミケは、1986年冬(C31)から東京・平和島の東京流通センター(TRC)へと場所を移す。が、増え続ける参加者に対応しきれる広さではなく、苦肉の策として開催自体を2日間に増やして乗り切っていった。

    「オタク」バッシングに続き「有害コミック」騒動…コミケ存亡の危機を救ったのは:東京新聞 TOKYO Web
  • 『バービー』監督に取材ー作りながら内心抱えていた“ヒヤヒヤ”な本音をグレタ・ガーウィグが明かす - フロントロウ | グローカルなメディア

    映画『バービー』では痛烈な“マテル社いじり”が繰り返されるが、製作陣のバービーに対する深い愛が感じられるからトゲトゲしさがない笑いになっている。この絶妙なギャップの調和の起点は、ガーウィグ監督の幼少期にあることを、グレタ・ガーウィグ監督がフロントロウ編集部に明かした。(フロントロウ編集部) バービー好きではない母親に育てられたグレタ・ガーウィグ監督 近所の子どものおさがりのバービーで遊ぶほどバービーが好きだったというグレタ・ガーウィグ監督。一方で、母親がバービー好きではなかったため、バービー人形が過去に広めた標準体型や女性らしさに対するステレオタイプを教わって育ったという。 「私はバービーが好きでない母親のもとで育ったので、子どもの頃は、バービーに対するあらゆる反論をきちんと認識していました。でも、バービーは進化し、変化してきた。バービーの信念である、誰もが(バービーランドという)この世界

    『バービー』監督に取材ー作りながら内心抱えていた“ヒヤヒヤ”な本音をグレタ・ガーウィグが明かす - フロントロウ | グローカルなメディア
  • 『バービー』グレタ・ガーウィグ監督来日インタビュー「次代の女性監督に繋ぎたい」 ─ 騒動にも言及 | THE RIVER - Part 2

    『バービー』グレタ・ガーウィグ監督来日インタビュー「次代の女性監督に繋ぎたい」 ─ 騒動にも言及 (c)2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. ──気が早いかもしれませんが、作がこれだけ成功したことを経て、次なる目標はなんですか? 次の目標ですか?40代に突入するので、今のところはしばらく健康でいられればと(笑)。私の家には、4際の息子と、まだ5ヶ月の赤ん坊がいます。だから次の目標は、子どもたちとの時間をたっぷり過ごすこと。それから、睡眠を取ることかな(笑)。 ──(笑)。さて、難しい質問をさせていただきます。アメリカでの“バーベンハイマー”のミームについて、現在の日国内で起こっている出来事です。つい先ほど、アメリカのワーナー・ブラザースから謝罪文が発表されました。私たちは、これがあなたの意図したものでもなく、もちろんあなたによって作られ

    『バービー』グレタ・ガーウィグ監督来日インタビュー「次代の女性監督に繋ぎたい」 ─ 騒動にも言及 | THE RIVER - Part 2
  • 不登校児が願い続けた「普通になりたい」を忘れた話 - ぶりの根性焼き

    爆誕 幼稚園 小学校 1〜2年生 3年生 4年 6年 中学 1校目・私立 / 1年生 2校目・公立 / 1〜2年生 3校目・公立 / 3年生 高校 1校目 / 1年生 2校目 / 1年生 2年生 高校3年生 大学 その後 あとがき 爆誕 幼稚園時代からの培があるため、幼少期についても簡単に。 神奈川県鎌倉市にて爆誕。父親はフリーランスのカメラマン、母は自由人(という言葉がしっくりくる)で、家は大変に貧困…というか、事業が一杯一杯で、子供にお金をかける余裕がなかった、が正しいかも。 おやつはにぼしだったし、おもちゃも買ってもらえなかった。 3歳まで発語ができなく、その後も吃音に苦しんだ。 人がいると公園に入れなくて、いなくなるまで、入り口で待つ。 夜になってやっと人がいなくなってから、恐る恐る入り、ひとり無言でブランコを楽しむ。そういう幼少期だった。 幼稚園 近くにあるキリスト教の幼稚園に、

    不登校児が願い続けた「普通になりたい」を忘れた話 - ぶりの根性焼き