自分の facebook の投稿を振り返っていると、2014年10月19日に以下のような文章をあげていた。もう6年以上経ったのか! 題名は「哲学的考察が「浅い」と言われるとき」である。ひとによっては何かしら役に立つかもしれないのでここにアップロードしておく。 >>> http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20141015/p1 森君のブログ(うえのリンク)にもありますが「分析哲学は浅い」と批判されることがあるようです(あるいは「薄っぺらだ」や「本当の哲学でない」などの表現で批判されることもある)。 「分析哲学は浅いか」――この問いについて気になるのは、ここでの「浅い」はどういう意味か、です。以下、私の考えを述べます。 まずは前置き。私の関心は《分析哲学は本質的に浅いか否か》にはありません。「分析哲学」と呼ばれる伝統に属す者が深い思索を展開しうるか否かは、結局のと
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