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ブックマーク / number.bunshun.jp (17)

  • チェコ史上初の「野球テレビ中継」、選手の本業は「地理教師・消防士・金融アナリスト」…WBCチェコ代表を“絶対好きになる”話(水次祥子)

    相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日文化べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場

    チェコ史上初の「野球テレビ中継」、選手の本業は「地理教師・消防士・金融アナリスト」…WBCチェコ代表を“絶対好きになる”話(水次祥子)
  • 4カ国で予選突破、うち3カ国でW杯前に解任…なぜハリルホジッチは“モロッコ国民の敵”になったのか「たとえ名前が“メッシ”でも呼ばない」(長束恭行)

    8月15日にモロッコの首都ラバトからパリに向かう直行便で目撃されたという情報以外、まったく動向がつかめなかったハリルホジッチだが、解任発表から8日後、旧知のクロアチア人記者に初めて重たい口を開いた。4年前の日本代表監督解任の際も酷く落ち込み、取材電話に初めて応対したのが発表4日後だったことを振り返れば、改めてショックの大きさが窺える。 サッカー人生の総決算になるはずだったカタールW杯 フランス語圏で監督キャリアを築き上げたボスニア・ヘルツェゴビナ出身のハリルホジッチだが、ディナモ・ザグレブを指揮した頃に深く接してきたクロアチア記者陣に彼はもっぱら心を開く。このほどクロアチアのサッカーメディア『Germanijak』に掲載された独占インタビューで、彼はカタールW杯をサッカー人生の総決算に考えていたことを初めて明かした。 「私がW杯で指揮したのはたった一度、アルジェリア代表だけ。ブラジル大会の

    4カ国で予選突破、うち3カ国でW杯前に解任…なぜハリルホジッチは“モロッコ国民の敵”になったのか「たとえ名前が“メッシ”でも呼ばない」(長束恭行)
  • 28歳で現役引退→看護師に転身…なでしこトップ選手が“生死に関わる仕事”を選んだ理由「サッカー選手だったことを知る人はほとんどいない」(石井宏美)

    満開の桜が咲く2021年4月、28歳の若さで一線を退き、看護師として新たな道を歩み始めた元アスリートがいた。 女子サッカーなでしこリーグ1部のノジマステラ神奈川相模原でプレーした尾山沙希さん(32歳)は、17年の現役引退後に、看護学校へ進学した。昨年3月に国家試験に合格し、新人看護師としてのキャリアをスタート。コロナ禍の中、2年目を迎えている。 「どんな仕事でもそうだと思うんですが、慣れるまでが大変でした。最初は当に分からないことばかりで。今も完璧だとは言えませんが、1つずつ業務を覚えるなかで、患者さんのため何ができるのか、先を見据えながらいろいろと考え、日々を過ごしています」 どんなアスリートにもいつかは引退が訪れ、次の人生、セカンドキャリアがスタートする。ラグビーの福岡堅樹や柔道の朝比奈沙羅など、医師を志すアスリートも増えてきているが、それはごく少数。同様にアスリートから看護師という

    28歳で現役引退→看護師に転身…なでしこトップ選手が“生死に関わる仕事”を選んだ理由「サッカー選手だったことを知る人はほとんどいない」(石井宏美)
  • 平野歩夢“あの2本目”不可解採点…北京五輪・日本人ジャッジが初めて明かす“審査員たちが話していたこと”「僕は平野選手を上にしましたが…」(矢内由美子)

    あの平野歩夢2目採点…日人審判はどう見た? 北京五輪のスノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢が悲願の金メダルを獲得してから約2カ月半が過ぎた。五輪史上初となるトリプルコークを成功させて頂点に立った平野の勇姿は、今もなお記憶に鮮明だ。けれども一方で、平野の2目の点数がスコッティ・ジェームズ(オーストラリア)より低かったのはおかしいのではないか、という疑念も人々の心にモヤモヤとしたまま残っている。 なぜ、あの採点になったのか。ジャッジルームで何が起きていたのか。北京五輪でジャッジを務めたFIS(国際スキー連盟)公認審判の橋涼氏が自身の見解を明かした。 「平野選手の2目の採点については、実際に僕が選手だったとしたら納得できないと思います。ただ、スコッティ選手の方に高い点を出した審判の判断も理解できます」

    平野歩夢“あの2本目”不可解採点…北京五輪・日本人ジャッジが初めて明かす“審査員たちが話していたこと”「僕は平野選手を上にしましたが…」(矢内由美子)
    ikura_chan
    ikura_chan 2022/05/03
    いずれはフィギュアスケートみたいに技それぞれに基礎点がついてそこに完成度得点つけるような形になっていくんじゃないかなぁと思うんだけどね。どうなんですかね。
  • 研究者・町田樹32歳が語る“フィギュア界への警告”「(シニア年齢引き上げ案)そんなに甘い問題でもない」「非常に歪な産業構造になっている」(松原孝臣)

    健康問題は今や「女性スケーターだけの問題ではない」 「フィギュアスケートは2003年にジャッジングシステムが大きく変わりました。試験運用されて、2004年から今の方式になっています。それからおおよそ20年経って、新採点法が抱える問題や歪みが爆発した印象があります。 1つひとつの技に明確な点数がついたことで、選手たちは高難度の技に積極的に取り組みました。ただその一方で、過度に身体に負担がかかる状態が続いたり、あるいはより跳びやすくするために過度なダイエットにも励むようにもなった。すると、事から摂取するエネルギーを消費エネルギーが上回って低エネルギー状態になる選手が続出し、女性であれば、女性ホルモンの分泌が抑えられて無月経になり、骨が弱体化して疲労骨折を起こすという負の循環が始まったわけです。もちろんそれは女性だけでなく、男性でも相対的エネルギー不足による弊害はあります。性別的な問題から無月

    研究者・町田樹32歳が語る“フィギュア界への警告”「(シニア年齢引き上げ案)そんなに甘い問題でもない」「非常に歪な産業構造になっている」(松原孝臣)
  • 外国人記者が最後に語った“東京五輪の本音”「セブンイレブンは最高」「あの菓子パンが美味しかった」「シブヤが暗くて驚いた」(近藤奈香)

    閉幕した東京五輪。来日した外国人記者・カメラマンらに、大会の終わりに“音”を聞いた。彼らが話してくれた「コンビニ愛」、「交通のもどかしさ」そして「日人のホスピタリティ」とは――。 「オリンピックの取材を10回、12回、14回と重ねてきたベテランカメラマンであっても、今回に限っては一歩ずつ、様子を見ながら前に進むしかない」(ジョー・マクナリー氏、アメリカ人カメラマン)。地元から「望まれない」なかでの来日、到着後の自主隔離、猛暑……とアスリートのみならず、取材陣にとっても異例尽くしのオリンピックだった。 来日した取材陣のルーティンは「まず3日間の隔離生活を送った後、『オリンピック・バブル方式』に移行する、というものだった。(五輪関係者を外部と遮断するため)指定された宿に泊まり、専用シャトルバスで競技会場へ移動し、競技が終わると再びシャトルバスに乗り込み宿へ帰るというもの」(同前)。 もちろ

    外国人記者が最後に語った“東京五輪の本音”「セブンイレブンは最高」「あの菓子パンが美味しかった」「シブヤが暗くて驚いた」(近藤奈香)
  • 両親は反対「スケボーをやめて」…宮崎生まれの13歳スカイ・ブラウンが東京五輪でメダリストになるまで〈パリ五輪はサーフィンで〉(梶谷雅文)

    来ライバル同士であるはずの出場スケーターたちがお互いの健闘を称え合う姿に感動したという声が相次いだ女子パーク。そんなシスターフッドあふれる話題の種目でイギリスの最年少オリンピアンとして銅メダルに輝いたのが、13歳のスカイ・ブラウンだ。 多才すぎる13歳「ダンス大会で優勝」「サーフィンも」 イギリス人の父親と日人の母親のもとに宮崎県で誕生したスカイは、物心がついた3歳頃にスケートボードを始め、現在はアメリカ・カリフォルニアを拠点に活動している。 弟のオーシャンとスケートボードやサーフィン三昧の毎日を送り、ふたりの日常を切り取ったYouTubeチャンネル「Sky & Ocean」の登録者数は29万人超え(8月6日現在)。2018年には米テレビ番組のダンスコンテストで優勝したこともあるという多才ぶりだ。そして時代の寵児としてメディアに引っ張りだこの彼女はローティーンであるにもかかわらず、大人

    両親は反対「スケボーをやめて」…宮崎生まれの13歳スカイ・ブラウンが東京五輪でメダリストになるまで〈パリ五輪はサーフィンで〉(梶谷雅文)
  • 「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後”(近藤正高)

    アメリカ国務省報道官発言をきっかけに、日でも北京冬季五輪に参加すべきかどうか議論が起こっている。そこで引き合いに出されるようになったのが41年前モスクワ五輪ボイコットだ。政府、JOCの判断により五輪の舞台に立てなかった選手たちの“その後”とは?(全3回の2回目/#1、#3へ) モスクワ五輪のボイコット問題をめぐっては、のちのちまで語られる場面がある。それは1980年4月21日に、五輪参加を目指す選手やコーチが岸記念体育館で開いた「緊急強化コーチ選手会議」だ。その冒頭、議長役の柔道の佐藤宣践(のぶゆき)コーチが招集した理由を説明し、「モスクワに参加すべし」と提唱した。これを口火に選手・コーチが次々と発言を促され、すでに政府の意向を受けてボイコットに傾きつつあったJOCへの不満を爆発させる。それはまさに決起集会というべき光景であった。 なかでもレスリングの高田裕司(当時、日体育大学研究員・

    「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後”(近藤正高)
  • 「イチローや松井が例外だったんですよ」MLBでフロントを経験、斎藤隆が明かす“米国で獲得リストに挙がった日本人野手の名前”(中村計)

    「田中はメジャーのFA選手で、5の指に入る投手だった」 ――パドレスのフロント経験もある斎藤さんに、まずは、昨年から今年にかけてのアメリカのストーブリーグ戦線についておうかがいします。 斎藤 コロナ不況が直撃しましたね。その象徴が楽天に復帰した田中(将大)でしょう。今オフのメジャーのFA選手の中では、5の指に入る投手だった。チームによっては、真っ先に田中獲得に名乗りを上げたところもあったと思うんです。ただ、どこも懐事情が苦しい中で、田中クラスの選手に見合う条件を提示できなかった。結果、あれだけの選手が日に戻ってくることになったわけです。 ――今オフ、渡米を希望した日人選手は4人いました。巨人の菅野智之、ロッテの澤村拓一、日ハムの有原航平と西川遥輝です。有原、澤村は契約まで行きましたが、菅野と西川は契約に至りませんでした。ただ、2人は対照的で、菅野は「行かなかった」のに対し、西川は

    「イチローや松井が例外だったんですよ」MLBでフロントを経験、斎藤隆が明かす“米国で獲得リストに挙がった日本人野手の名前”(中村計)
  • 「24年もかかってごめんね」元SMAP森且行が3つに分かれた5人を再び“1つ”にした日(霜田明寛)

    森且行がオートレーサーを目指し、SMAPを脱退したのは1996年5月のことだった。グループの冠番組『SMAP×SMAP』放送開始の翌月である。 今では珍しくなくなってしまった、現役のジャニーズアイドルのグループ及び事務所からの脱退だが、当時は異例中の異例のことだった。特に森は、その歌唱力の高さから初期のSMAPを引っ張っていたメンバーでもあり、6人の中で最も早く連続ドラマで主演を務めたのも彼だった。 しかも、抜けたのは“1996年のSMAP”。 1991年に発売されたデビュー曲で、ジャニーズとしては珍しく1位を取れなかった当時を人たちが「僕ら、落ちこぼれだったからね」と振り返った話は有名だが、この年はそれまで溜まったパワーをいよいよ爆発させんとしているとき。 前年にはジャニーズとして初めて日テレビ系列24時間テレビのパーソナリティーに抜擢。前月から香取慎吾の初主演ドラマ『透明人間』と、

    「24年もかかってごめんね」元SMAP森且行が3つに分かれた5人を再び“1つ”にした日(霜田明寛)
  • 自粛で練習が減ったら球速アップ?この夏、高校野球で起きている事。(氏原英明)

    近年の甲子園は、膨大な練習と膨大な事を吸収できた"ガタイ”がいい選手が多い。しかし、もっと無理なく成長することができるとしたら……。 新型コロナウイルスはなかなか収束を見せないが、スポーツ界は徐々に活動が再開され始めた。プロ野球・Jリーグの2大プロスポーツが先駆けとなり、アマチュアスポーツも少しずつ活気を取り戻しつつある。 野球界も「withコロナ」の生活様式を進めている。プロ野球の取材をしていても、変化を如実に感じる場面がある。 プロ野球のパ・リーグを2連覇している西武は、ホームでの同一カード6連戦の最後の日、試合前のシートノックを行わなかった。またパ・リーグの首位・楽天は、中軸を担う3選手、浅村栄斗、ブラッシュ、ロメロの負担を休養日やDH起用で軽減しながら、チームをうまく循環させている。 そして彼らは、試合でハイパフォーマンスを発揮している。チームが好調なのもうなずける。 この流れは

    自粛で練習が減ったら球速アップ?この夏、高校野球で起きている事。(氏原英明)
  • さいたまスーパーアリーナは奇跡だ。国内最強の超設備と、唯一の弱点。(池田純)

    2019年のフィギュアスケート世界選手権の会場となった、さいたまスーパーアリーナ。日随一の屋内施設だ。 4月から「さいたまスポーツコミッション」の会長として活動しはじめて、日々さいたまのポテンシャルを発見しています。 地域活性化のキモは“よそ者”とよく言われますが、その土地に住んでいる人がなかなか気づけない、目を向けない、眠っているブランディング価値の高いものごとがそこかしこに存在することを実感する日々です。 中でも新鮮な驚きだったのが、先日じっくりその中を見せていただいた、さいたまスーパーアリーナです……と言うと驚かれるでしょうか。 もちろんスーパーアリーナはみなさんご存知でしょうし、私も何度もコンサートやスポーツイベントで行ったことがありました。でも今回案内をしてもらって、「こんな凄いものをどうやって建てたんだ」と改めて驚きました。 あのアリーナの価値が、あまり世の中には知られていな

    さいたまスーパーアリーナは奇跡だ。国内最強の超設備と、唯一の弱点。(池田純)
  • 甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。(氏原英明)

    過去に何度も見た光景だった。 表現としては“末恐ろしいピッチャー”だ。 秋田県大会からすべてのイニングを1人で投げぬいている金足農のエース・吉田輝星がまた、快投を見せた。 準決勝の日大三戦では、2点を先行すると、そのアドバンテージを最大限に生かすピッチングを展開。ピンチに陥ってもしっかりと間を取り、走者のスタートを一歩ずつ遅らせ、打者に対しては変化球を低めにコントロールして、ギアを上げたストレートで強力打線を黙らせた。 5試合連続完投勝利は見事というしかない。 限界を超えていてもおかしくない心身の状態でありながら、それでも快投をみせる。 しかし、吉田のような投手をみたのは過去に1度や2度ではない。 「投げないという選択肢はなかった」 2006年の斎藤佑樹(早稲田実)しかり、2008年の戸狩聡希(常葉菊川)、2010年の島袋洋奨(興南)、2013年の高橋光成(前橋育英)……。筆者が取材現場に

    甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。(氏原英明)
    ikura_chan
    ikura_chan 2018/08/21
    感動ポルノみたいなもんだからな・・・。
  • 「日本の綺麗なロッカー」騒動とは。ツイート削除、解任、そして気高さ。(及川彩子)

    1人の女性のツイートが日、そして世界のサッカーファンの心を掴んだ。 そのツイートには、日本代表が使用したロッカールームの写真が添えられていた。 「これは94分でベルギーに負けた日のロッカールームです。スタジアムでは代表のサポーターに感謝し、ベンチやロッカールームをきれいにし、そしてメディア対応をしました。またロシア語(キリル文字)で『ありがとう』と書かれたメモまで残していきました。すべてのチームの模範だと思います」 そのツイートの主は、オランダ人のプリシラ・ヤンセンスさん。FIFA(国際サッカー連盟)の運営スタッフとして今大会に関わってきた。 オーバータイムで逆転された日本代表が、怒りや悔しさでいっぱいだったことは容易に想像できる。しかしまるで使用前のように清掃、整頓し、メモまで残した姿に感動したのだろう。 「日にはClassがある」 このツイートは瞬く間に広まり、日人はもちろん世

    「日本の綺麗なロッカー」騒動とは。ツイート削除、解任、そして気高さ。(及川彩子)
  • スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。(矢内由美子)

    平昌五輪で金3、銀2、銅1、計6個のメダル獲得と入賞9という成績を残した日スピードスケート勢。メダルゼロどころか入賞もわずか4だった'14年ソチ五輪からの大躍進の背景とは――。 '14年6月。日電産サンキョー・スケート部の今村俊明監督は、3人の選手を連れてスケート王国のオランダに向かった。'10年バンクーバー五輪では同社(当時)の長島圭一郎と加藤条治が男子500mでそれぞれ銀、銅メダルを獲得したが、ソチ五輪では2人とも入賞止まり。女子中長距離の高木菜那は入賞からも遠かった。 今村監督は高木、入社1年目のウイリアムソン師円ら中長距離の3選手とともに、オランダのプロチーム「ニューバランス・スピードスケートチーム」の門を叩いた。 簡単に受け入れてくれた訳ではない。日電産サンキョーが同チームのスポンサーフィーを払っての参加だった。今村監督はスケート仲間の知人を頼って情報を収集し、「良いコーチ

    スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。(矢内由美子)
  • 「フィギュアスケートに恩返しを」小塚崇彦が語る、新たな出発の決意。(松原孝臣)

    昨春、「氷上を去る」という言葉とともに競技生活に終止符を打ち、トヨタ自動車に入社して10カ月。口にした言葉は、強烈な印象をもたらした。 「これからは、自分の技術を伝えることで、フィギュアスケート界に恩返しをしたいと考えています」 戻ってきた。帰ってきた。思わず、そんな言葉がよぎった。 「いや、戻るというよりも、違う言葉がふさわしいかもしれませんね」 小塚崇彦はそう答えると、入社後の日々、決断に至った経緯を語り始めた。 「一社会人として仕事を覚えることで……」 「今後のためのスキルアップといったら怒られるでしょうけど、一社会人として仕事を覚え、会社でやっていくことで、キャリアがもっと深く掘り下げられるんじゃないかと考えました」 「今まで応援してくれた方々からすれば、引退してもアイスショーで滑ると思う人がいるかもしれない。今後は滑るつもりはないという意思表示をはっきりしなければいけないと思って

    「フィギュアスケートに恩返しを」小塚崇彦が語る、新たな出発の決意。(松原孝臣)
    ikura_chan
    ikura_chan 2017/02/01
    戻ってきた!
  • 子供のときの食事でケガは減らせる!ドイツが取り組む“食事改革”の全貌。(木崎伸也)

    「子供のときに正しい事をしていたものは、プロになってからケガが少ない」 インゴ・フロベーゼ教授(ケルン体育大学) 今、ドイツサッカー界では「事改善」がブームになっている。 パフォーマンスを上げるために、フィジカル、メンタル、テクノロジーといったことを突き詰めているうちに、事にまで行き着いたのだ。 たとえば今季フランクフルトでは、2シーズンぶりに戻ってきたフェー監督の要求により、栄養士のアドバイスの下、事改善に取り組むようになった。 「動物性タンパク質は炎症を助長し、ケガのリスクを高める」という理由で肉を出す機会を以前より少なくし、さらに乳製品を出すのをやめた(代わりとなるのはアーモンドミルクやオート麦ミルク)。小麦は排除し、ライ麦、ソバ、スペルト小麦(古代穀物)を使った事を出している。 これによってドイツU-21代表MFのステンデラは体のキレが増し、10節のハノーファー戦で2ゴー

    子供のときの食事でケガは減らせる!ドイツが取り組む“食事改革”の全貌。(木崎伸也)
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