今回は「心理的抑圧と愛のムチ」について、考えてみようと思う。 「死ね!」「学校に来るな!」と生徒から暴言を受けていた教師が自殺し、「2軍でもいいんやな?」と監督から言われた生徒は、翌日命を絶った。 そして今度は、「『五輪に行けなくなる』『切り捨てられる』と、みんな泣き寝入りしていた」と過剰な暴力と暴言に耐えていたとして、女子柔道の選手たちが告発をしていたことが明らかになり、柔道女子代表の園田隆二監督が辞任した。 いじめ、体罰、パワーハラスメント……。耳をふさぎたくなるような事件の数々。そして、それを“隠蔽”したと受け取られても仕方のない対応を取った、お偉い方たちが君臨する数々の組織。 いろいろなところで、様々な人たちが「体罰」について意見を言っているので、私が今さら書くことはないと思っていた。でも、やっぱり書くことにしました。 新聞の記事で感じた恐怖 理由は、朝日新聞の記事で報じられた内容
スポーツに対する体罰について、私は効果もあり、全てを否定すれば落ちこぼれる子供を救えないと考えています。 目標を与えるだけでできる子供ばかりではない。 強制されてやったことでも達成感・成功体験を繰り返すうちに、自主的に目的を見つけ、自主的に目的に向かって努力できるようになる子供も多いのです。 これらは勉強についても同じです。 その強制には体罰は有効であり、全面禁止の方が全体としての弊害が大きい。 さらに、悪事に対する体罰については、もっと必要であると考えています。 ■分かってやっているか、分からずにやっているか 悪事に対する体罰も、子供が分かってやっているか、分からずにやっているかが重要です。「行けないことである」と分かってやっている場合、言葉では受け入れられないことが多い。(もちろん、受け入れられることもあるけれど) これは宿題をやってこない子供から、駐車違反を咎められたとき悪態をつく大
大阪の桜宮高校で痛ましい事件が起きました。 それによって体罰についていろいろな意見が出ています。 悲劇から始まった議論ですから、多くは体罰を否定する意見が多いのですが、私は体罰は容認しています。 ■体罰否定派と肯定派の意見 体罰の反対派として元巨人の桑田氏の意見を見てみましょう。 「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」 桑田氏のいう体罰は、上下関係を利用した先輩の理不尽な要求はイジメであり、監督やコーチの機嫌で行われる暴力は虐待です。 それら全てを体罰として同列に語るべきものではありません。 体罰の肯定派として、桜宮高校の関係者の意見を見てみましょう。 涙して擁護するOBもいる桜宮バスケ部顧問の「素顔」 桜宮高校のOBには泣いて監督を擁護する人もいますが、それを指して「体罰が人格ゆがめた」「洗脳されている」などという人もいます。どうしてそのような受け止め方の違いが出るのか考えてみたいと思います。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く