シニア世代の多くの人に、鮮烈な記憶を残した在日コリアンがいる。 金嬉老(キムヒロ)元受刑者(故人)である。日本語読みで「きん・きろう」といった方が通りがいい。1968年、ライフルを手に静岡県の旅館に人質を取って籠城した人物だ。 要求は一つだった。街中で在日の人々に差別発言を放った警察官の謝罪である。 彼の幼少時からの差別体験は現場からテレビ中継を通じて全国に伝えられた。言語道断の事件であることは前提に、在日コリアンの人権意識を覚醒させた出来事として歴史に刻まれている。 在日運動家たちは、当時活発になっていた部落解放運動にも大きな影響を受けていた。在日コリアン人権協会の創設者は「私たちにはそれまで、差別と闘うという概念がなかった」と言う。被差別部落の人々は大正時代に始めた差別との闘いから、「人間の尊厳」を取り戻す運動を在日の人々に伝授していった。 差別される側に共通するのは「初めは