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ブックマーク / koritsumuen.hatenablog.com (5)

  • 北尾修一氏のブログを再読して考えたこと - 孤立無援のブログ

    目次 実は北尾修一氏のブログ記事への反論、書かなくてもよいか、と思っていたんです。わざわざ反論しなくても、読めばどちらが正しいかは明らかだろう。 この原稿、ここから一気に転調します。 引っ張る気はないので、さっさとネタをばらします。 ところが、北尾修一氏もまた、自分に都合の悪い部分は丸ごと削除しているのです。そして、次のような文章を続けます。 盲人や焼死をあざ笑うことのできる俺ってカッケー。 以下、私が元記事と「いじめ紀行を再読して考えたこと」を照合して気付いた点を列挙します。 「ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号)のインタビューで、小山田圭吾は次のように語っています。 いったい何が事実なのか。 北尾修一氏は、都合の悪いこうした文章を削除して、ファンタジーを作り上げているのです。 そうまでして北尾修一氏は、いったい何をしたいのでしょう。 北尾修一氏もその現場にいて、「笑っている」と

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  • 小山田圭吾における人間の研究 - 孤立無援のブログ

    ミュージシャンのコーネリアスこと、小山田圭吾ですけど。 雑誌のインタービューによりますと、彼は、和光大学付属の小・中・高校時代に、いじめる側の生徒だったようです。 「ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号。編集長は山崎洋一郎)の小山田圭吾2万字インタビューによると。 「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」 ●でも、いじめた方だって言ったじゃん。 「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツいことしてたよ」 ●やっちゃいけないことを。 「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」 ●(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど『こんなもんじゃねぇだろうなあ』と俺

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  • 小山田圭吾が障害者を「ロボパー」と呼ぶ - 孤立無援のブログ

    「高い倫理観をもって創作活動に献身するクリエーター」と称される小山田圭吾が、障害者を「ロボパー」呼ばわりしていた証拠画像をご覧ください。(雑誌『クイック・ジャパン』vol. 3号(1995年8月)より引用) koritsumuen.hatenablog.com koritsumuen.hatenablog.com koritsumuen.hatenablog.com koritsumuen.hatenablog.com がんばれ! ! ロボコン DVD-COLLECTION VOL.1 大野しげひさAmazon

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  • 小山田圭吾が障害児とその母親が書いた年賀状を雑誌でさらす - 孤立無援のブログ

    小山田圭吾が、障害者をいじめていたことを認めて謝罪したと話題です。 山崎洋一郎によるインタビュー記事が出た「ロッキンオン・ジャパン」(1994年1月号)でも、「けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)」と笑いながら謝罪しているので、27年ぶり二度目の謝罪ですね。 小山田圭吾は「ちっ、うっせーな」→「反省してまーす」の精神なのです。 いじめられていた沢田君は、漢字が得意で、お母さんに手伝ってもらいながら年賀状を一生懸命に書き、小山田圭吾に毎年送っていました。しかし小山田圭吾は、『クイック・ジャパン』(vol. 3号)でその年賀状をさらして、笑いものにしました。 でも、だからもう、とにかく凄いんです、こいつのやることは。すっごいバカなんだけど……勉強とかやっぱ全然できないんです、数学とかは。でも国語のテストとかになると、漢字だけはめちゃくちゃ知ってて

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  • 小山田圭吾のいじめを次世代に語り継ぐ - 孤立無援のブログ

    毎年この時期になると、戦争体験や被爆体験を語り継ぐイベントが各所で催されている。戦争の悲惨さ、残酷さを忘れず、これを歴史の教訓として次世代に引き継ぎ、戦争のない平和な社会を目指そうという試みである。 どれほど悲惨な体験であっても、時の流れの中で風化し、忘れられていくのが世の常である。そしてそれを知らずに育った若い世代は、知らないままにまた同じ過ちを犯す。人間はおろかである。が、体験を語り継ぎ、歴史に学ぶことで、そのおろかさをいくらかでも矯正できればと願う。 私には戦争をやめさせるなどという大それたことはできない。原発を停めさせる力もない。反原発デモに参加してもいいが、もしそれで日から原発が無くなり、その結果どれほど貧しく悲惨な社会になろうと責任は取れない。 しかし目の前でいじめられている子供がいれば、助けたいと思う。すべてのいじめをなくすことはできないが、なくすための提案はできるかもしれ

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