四ツ谷の弘済会館で開催された「麻原裁判」講演・公開討論会(第3回)に行って参りました。主催は麻原裁判控訴審弁護人の松井武弁護士と松下明夫弁護士。 麻原裁判 控訴審弁護人 http://www.asahara-kousoshin.info/ 「麻原裁判」講演・公開討論会 http://www.asahara-kousoshin.info/news/touron.html 第一部では、「国家と麻原裁判」という主に国家と司法およびそれに関係することについてのテーマで、司法関係に詳しいフリージャーナリストの魚住昭氏が、『国家の罠』『国家の崩壊』などの著書でも知られる現・外務省職員の佐藤優氏に質問しお話を伺うという形で進行されました。 また第二部では、「誤った西山鑑定」というタイトルで、控訴審弁護団に依頼されて麻原被告と接見し意見書を作成された金沢大学名誉教授の秋元波留夫氏・小木貞孝氏(作家名:加賀
■[etc]オウマーだったあの頃 #4 1995年の初夏のある日、オウム真理教がサリン事件以降に、一般の人々と出家信者の交流のために「サティアン横浜」というスペースを作ったというニュースを知ったのは、たぶんワイドショーを通じてのことだと思う。もちろんこの時期新たにオウムが場所を借りたりするのは難しかっただろうから、既存の道場を開放したのだろう。そのサティアン横浜の住所をどうやって調べたのか、今では思い出せない(その頃ネットにつながったコンピュータなど持っていなかったのだけど)。 この当時すでに、世間はオウムのことを、死者12人重軽傷者5千人強の被害者を出した地下鉄サリン事件の犯人…と断定まではできないにしても、限りなくクロに近いと思っていた。そしてほとんどのオウム信者は、サリン事件のことを、何者か強大な力を持った組織が、オウムに濡れ衣を着せ陥れるためにやったと信じていた。この両者が出会う場
■[web][etc]犬にかぶらせろ!試論 画像意味無し。オウム関連で長いエントリを書いていたのだけど、読み返すとおもしろくないので自主ボツに。僕は一応元オウマーですから、書きたいことはいっぱいあるのだけど、やーいざ書こうとするとむずかしいっす。 ほいで、変わりといっては何だけど、gotanda6さんがらみのを何かと思って書き出した矢先、当の[B面]犬にかぶらせろ!:それぞれの史観 に書きたいことを書かれてしまったYO! でも途中まで書いた文章がもったいないのでアップするだす。 ------------------------------ gotanda6さんの好きなものはディスコとTシャツとペイドパブである。なんだかアメリカだ。嫌いなものはマルチ商法と自己啓発とカルト宗教とエコロジーと佐藤可士和さんだろうか。おお。こうやって並べて気付いたけれど、これらもみんなアメリカだ。とにかくアメリカ
そうやって、視点を我らよりも30cm上に置き、無難に普遍化することはた易い。そうした意味でこのR30という希代のブロガーが今までしてきたことは、絶え間ない「趣味による」普遍化の重層的な繰り返しであったとも言える。 民主党懇談会でほとんど一言の発言もなく速記に集中し、誰よりも早くその特報エントリーを速報アップした上で、ブロガーの「はしゃぎすぎ」を500マイル離れたところから1人侮って見せた彼は、その同じ筆によって、今回は2ケ月もの長きにわたって、この問題の問題点に対して沈黙した末に、極めて恐るべき、そして優秀なオーマー「松永英明」を、我ら日本人の「普遍の問題」として捉え、「趣味として」そして「仏教徒として」、この事件をこともあろうに、アジアと日本の問題にメタ昇華して、今後も華麗なるアルファブロガー人生を続けていこうとしているのである。 泥水に一瞬身を浸すと見せて、鮮やかにタオルで身を拭い、「
■[etc]オウマーだったあの頃 #3 前回までのあらすじ。1995年、仕事にヤられてしまったワタクシは、人生(きゃ!)のリセットボタンを探しもとめていた。シャットダウンボタンでは無い。せっかく生まれてきて自分から死んだら馬鹿馬鹿しいし、痛かったり苦しかったりするのは苦手なほうだから。だからあくまでリセットボタンであった。 ------------------------ 1963年生まれの僕は、子どもの頃はあらゆる宗教に対して「人間が月に行く時代に神様でもあるまい」という簡単な理由から興味を持てなかった。物心がついて以降、選挙の時に創価学会が絶大な力を振るっているのを知ったり、杉並の立正佼成会の建造物をナマで見るに至って、いや宗教侮れないなとは思ったものの、やはり自分には無関係なものだと思った。 いわゆる新宗教の支持層をあらわす(?)言葉に「貧・病・争」という有名なものがある。まじめに働
R30 :積極的な帰依というのは、宗教的なルールに定められてる以外のことはしないというのだと思うんですよ。で、もう一つは、消極的なと言ったら変だけど、ルールに禁止されていること以外はOKっていう(笑)、そういう信心の仕方もある。仏教徒のつもりである僕自身は、仏教が在家信者向けの戒律で禁止していること以外はなんでもOKという感覚です。松永さんは、自分の中のそういうつまみを今どの辺に回そうとしているのかっていうのを聞いてみたいんですが。 松永 :それは松永として行動しはじめた時点で、かなりゆるい方向に行って、出家者としては普通やんないというところまで実際振り切れてたというかね。だから実際破戒者と言ってもいいんじゃないかというくらいのレベルまでは当然行ってて、それでもう「これはサマナじゃないよな」という自覚が完全に出るぐらいにはなっていた。だから2003年の夏に、教団の経済状況が悪化してきたから
オウムの「禁断の」教義本を発見 苫米地英人インタビュー【実話ナックルズ5月号】 http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/133.html 投稿者 釜井@オリジナル 日時 2004 年 4 月 19 日 23:32:10:VrLoF9Jzh5YuU コンビニ系実話誌風エロ雑誌【実話ナックルズ5月号】に、あの 苫米地英人 がまたまた登場。 灘高→東大医学部の元オウム最高幹部の石川公一周辺の情報も出てくるが、 ここで面白いのは、オウム関連のタネ本のはなし。 ”ある脱退した最高幹部から、催眠によってごく一部の人間しか入れない 麻原の部屋を再現させ、彼の本棚にあった本をいくつも探し出した” そうで、 オウム関連のタネ本を、いくつか取り上げている。 以下転載。 ------------------------------------------------------
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