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academyに関するimaokazukiのブックマーク (3)

  • <わたし>のメタ社会学 - 雑記帳

    上野千鶴子の「<わたし>のメタ社会学」で情報について書かれていた一節。強調は引用者による。 ここで「情報」とは何か、を定義しておこう。「情報」とはノイズの別名である。ノイズをはさんでその両端には、一方に自分にとって自明なあまり情報にさえならない領域、他方に自分にとって疎遠なあまり「認知的不協和」(フェスティンガー)のせいで情報としてひっかからない領域とがある。「情報」とはまったき自明性とまったき異質性の中間領域、そのファジーゾーンにはじめて発生する「意味あるもの」の集合である。 情報科学の概念では「ノイズ」はもともと「情報」と対立する概念である。だがノイズがノイズとして「聞こえる」という事実の中には、ノイズから情報への契機が含まれている。言い換えれば、「情報」とはノイズから絶えず生成される「意味生産」のプロセスと考えてよい。したがって情報とノイズとの境界はほんらいあいまいで流動的なものであ

  • 思考錯誤 - 私の(あくまで個人的な)卒論評価基準

    ひとの卒論(作業)にイチャモンつけるばかりでも何なので、私自身の学生時代の卒論(作業)がどういうものだったか、教員としての卒論評価の基準はいかなるものか、を少し書いておくことにしたい。 私は学部時代は心理学専攻で、卒論は、認知心理学の一研究領域たる、概念(カテゴリー)形成について、実験心理学的な手法で取り組んだ。 概念形成については、主だったモデルと先行実証研究がはっきりしており(概説書・入門書を読めば、共通して取り上げてあるものはすぐわかる)、そのひとつに発展的検討を加えることを試みた。 自分が発展させようとしているモデルについては、原著の英語論文を読んだが、それ以外はさほど先行研究に網羅的に目を通したわけではない。 仮に、自分のやろうとしていることが既にやられていたり、問題含みであったとしたら、それは指導教員(や専門分野の近い院生*1)が指摘してくれるはずなので、学部の卒論レベルの場合

    思考錯誤 - 私の(あくまで個人的な)卒論評価基準
    imaokazuki
    imaokazuki 2007/02/08
    泣ける
  • 卒論主題公募と自己評価 - Blog_inainaba2

    某サイトにおける卒論テーマ公募問題につき、いろいろ議論がなされていて興味深く拝読した。そして知り合いの某先生が公募に応募されたと聞き、くそぉと思ったなどというちょっと不真面目なスタンスで見てしまう自分がいる。そんなおりしも、id:dice-xさんが、ついに卒論自己評価というのをはじめられた。かかれていること自体、非常に学ぶべきところが多い議論である。ゼミの学生さんたちには、是非とも一読をおすすめしたいと思われる。 で、俺はどうだったのよ?と思った。当時はみんなひどいもんだった。教員提出だったのでやりたい放題だったこと。友人の某氏は、はじめに、序論、第一章で、ページをめくると結論になっていたこと。なかには書かずに卒業したのまでいること。等々、学生さんにとり百害あって一利なしの思い出しかない。自分の卒論で覚えているのは、かなり短い時間で書いたこと。元となったのは、大学院の志望書の草稿類と、かな

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