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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (8)

  • インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳

    身体性という言葉を見かけたので、それに言及したについて2003年7月26日に作成した読書録をリサイクル。再読する余裕が今はないので、とりあえずそのままのかたちで残しておく。今読んだら感想もだいぶ変わるのだろうな……。 序論 ドレイファスのこのでの一貫した見方は、「身体性」という言葉に要約できる。 私は哲学者なので、インターネットの具体的な使用法の良し悪しを論じる立場にはない。私の問いはもっと思弁的な、次のような問いである。もしネットがわれわれの生活の中心となったとしたら、つまり、ハーバード大学ケネディ・スクール学長のジョセフ・ナイが「魅力的な新たな文化」と呼ぶものが実現するとしたら、どうなるのだろうか。生活のかなりの部分をサイバースペースで送るようになるにつれて、われわれは、人間を超えることになるのだろうか、それとも人間以下になるのだろうか。 これらの問いを考える際、次のような可能性が

    インターネットについて - 哲学的考察 - 雑記帳
  • 「インターネット先進ユーザーの会(Movements for Internet Active Users : MIAU)」設立について。 - 雑記帳

    『CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)』の共著者の小寺信良さんと津田大介さん、そして法政大学の白田秀彰准教授らが発起人となってインターネット先進ユーザーの会(Movements for Internet Active Users : MIAU)が設立されることとなりました。明日、10月18日に設立発表会を行うとのこと。 既にいくつものブログで話題になっているので、自分が重要だと思っていることだけメモしておきます。すべては以下の津田さんの文章に集約できるのではないでしょうか(強調は引用者による)。 小委員会には消費者団体の代表(主婦連合会事務局長)はいましたが、「消費者団体=ネットユーザー」ではない。だから、僕はこの1年半小委員会での議論に参加してきて、きちんとネットユーザー利益や主張を吸い上げて、政策を作るプロセスに関与させるための団

  • 著作権問題を「創る」 - 雑記帳

    ここ最近業務に忙殺されていて、6月15日の著作権保護期間延長問題を考えるフォーラムの第3回公開トークイベントも出席することができなかった。茶会の人たちからそのときの白田先生の講演が熱かったという話は聞いていたけど、その雰囲気をそのままテキストにしたような投稿が増田にあって、いろいろと考えさせられた。 平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録 そういえば以前、「著作権法は創造性のためにあるんじゃない、お金のためにあるんだ!」というエントリで上記と同じような意見を書いたことがあった*1。 白田先生に「最近は、茶会のメンバーですら、私の書いた記事にコメントくれなくなった」と言われ実際その通りなので反論できないのが申し訳ない。文章を書く中で負荷が高いのは「自分にとっては当たり前だと思っている内容を文章化すること」。こういった内容を定期的に形式知化して文章にし、アウトプットとして外に出すのは難しい。もち

    imaokazuki
    imaokazuki 2007/06/23
    ''文章を書く中で負荷が高いのは「自分にとっては当たり前だと思っている内容を文章化すること」''誰に伝えたいのか、とかってのもでかい
  • 「下流」という言葉 - 雑記帳

    肝心の『下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)』が部屋の書棚から見つからないので、今書いてしまうのもどうかと思うが、Spiegelさんが昨日のエントリについて言及して下さったので、ちょっとメモ。Spiegelさんの記事のなかで、下流という言葉について指摘している部分がある。 ……『下流社会』が与えたもっとも大きなインパクトは「下流」という階層意識を社会的に認知させたことにあるようだ。今の日は格差社会と言われるが,格差そのものは昔からある。しかし「一億総中流」といわれる中,「下流」であることは認めたくないタブーであったように思える。 それが『下流社会』の登場によって「下流」階層の存在を知り「下流でいいんだ」と開き直れる根拠を与えてしまったのかもしれない。もう「中流」に必死にしがみかなくてもいいのである。まさに「下流でも、みんなで流されれば怖くない」である。 この手のが流行ってるの

  • <わたし>のメタ社会学 - 雑記帳

    上野千鶴子の「<わたし>のメタ社会学」で情報について書かれていた一節。強調は引用者による。 ここで「情報」とは何か、を定義しておこう。「情報」とはノイズの別名である。ノイズをはさんでその両端には、一方に自分にとって自明なあまり情報にさえならない領域、他方に自分にとって疎遠なあまり「認知的不協和」(フェスティンガー)のせいで情報としてひっかからない領域とがある。「情報」とはまったき自明性とまったき異質性の中間領域、そのファジーゾーンにはじめて発生する「意味あるもの」の集合である。 情報科学の概念では「ノイズ」はもともと「情報」と対立する概念である。だがノイズがノイズとして「聞こえる」という事実の中には、ノイズから情報への契機が含まれている。言い換えれば、「情報」とはノイズから絶えず生成される「意味生産」のプロセスと考えてよい。したがって情報とノイズとの境界はほんらいあいまいで流動的なものであ

  • Web 2.0、或いは「イノベーション」の悪意なき嘘について - 雑記帳

    Boing Boingでちょっと前に紹介されてた動画。Web 2.0について5分ほどの短い動画で説明している。解像度の高いバージョンをこのサイトからダウンロードすることもできる。Long TailのChris Andersonも、Lessig先生もお勧めしている。確かにTim O'Reillyが書いたWeb 2.0の記事より分かりやすい、気もするけど、どうなんだろう。 名和小太郎の新著、『イノベーション 悪意なき嘘 (双書 時代のカルテ)』を今日読み始めて、今日読み終わった。全112ページ、価格も1,115円、お手頃である。サラリーマンや大学生の通勤・通学電車の往復時間1日分で読み終えることのできる分量だろう。でも、このの意図するところを考えると、その重みは凄まじい。ちょうど上記のYoutubeの動画を見て、筆者の主張の重要性について考え込んでしまった。そして、それは昨今流行りのWeb

  • 定本 物語消費論 - 雑記帳

    今の消費やマーケティングの在り方なんかを考える上で絶対に外せない一冊。現代思想とマーケティングの融合について考えるための入門書、みたいな存在か。ビックリマン・チョコを買っていた世代の人が読むと、衝撃の度合も大きいのだろうな。2002年に読んだ時のメモがあったので、それをちょっとだけ修正。今はが手元にないけど、もう一度読んだらまた印象が変わってるのかも。 印象に残った部分をピックアップ。 今日の消費社会において人は使用価値を持った物理的存在としての<物>ではなく、記号としての<モノ> を消費しているのだというボードリヤールの主張は、80年代末の日を生きるぼくたちのとっては明らかに生活実感となっている。ぼくたちのは目の前に存在する<モノ>が記号としてのみ存在し、それ以外の価値を持つことがありえないという事態に対し十分自覚的であり、むしろ<モノ> に使用価値を求めることの方が奇異な行動でさえ

    定本 物語消費論 - 雑記帳
    imaokazuki
    imaokazuki 2006/09/09
    読みたい。現代思想とマーケティングの関係、云々がよく分からない。偶然とか、単なる流行りとかが大きい気がする
  • 倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦 - 雑記帳

    世界の中の私、私の中の世界。アインジヒトという仕組みを使うことで、独我論を「語る」ことを擬似的に可能にした思考実験。ここから先は『私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)』がそうであったように、形而上学的な問いにならざるを得ないように思う。前回読んだのが2004年12月だから、今読めばまた違う印象を受けるかもしれない。 印象に残った部分をピックアップ。 問われるべき最も根的な問いは、そもそも「いけない」とはどういうことか、とか、なぜ、およそ「いけない」ことなどが存在しうるのか、とか、そういう問題だと思うね。逆に言いかえれば、一般的に「他人にとって悪い」という意味で「してはいけない」とされることを、人は「してもいい」のではないか、といった問題だ。(p19) ホッブスの真の課題は、刹那的で深謀遠慮に乏しく非理性的に利己的なだけの人間を、狡知にたけた一貫性のある理性的に利己的な人間に引

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