■ユーゴスラビア…多民族国家の背景と崩壊への道 ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)は1992年、それまで属していたユーゴスラビア連邦(以下ユーゴスラビア)より独立して成立した。ヨーロッパとアジアを結ぶバルカン地域は、中世よりイスラム国家であったオスマントルコやカトリック国家であったハプスブルグ帝国などの支配を代わり代わりに受け、その過程で様々な宗教、民族が入り混じり、第2次大戦後に成立したユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という表現に示される複合的な国家となった。 ユーゴスラビアは北から、スロベニア、クロアチア、ボスニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国により構成されていた。ボスニア以外の各国は各国を構成する最大多数の民族名を国名としていたが、ユーゴスラビアの中間に位置するボスニアは多民族国家ユー